すべてがアメリカ化していく。
『クーデタ』ジョン・アップダイク 池澤夏樹(訳)
この2月の1日、ミャンマーで国軍がクーデターを起こしたというニュースが飛び込んできた。ミンアウンフライン司令官率いる国軍がクーデターを起こし、現政権を握るアウンサンスーチー国家顧問を拘束したと。
私は世界情勢には疎くあまりミャンマーという国のことも知らないが、このクーデターという言葉から、真っ先に思い浮かんだのが、アップダイクの小説『クーデタ』だった。池澤夏樹によって編纂された世界文学全集の本書である。
予てから小説を読むということは、自分が世界と繋がっているということを確認する行為だ、と思っているので本書を手に取った。
本書の舞台は、アフリカの架空の国「クシュ」という沙漠の国だ。そこを統治するのが、元兵士でアメリカの大学への留学経験もある大統領のハキム・フェリクス・エレルー。クシュは厳格なイスラム・社会主義の国で、現在は旱魃続きで国自体が大きく疲弊していて苦しい現状にある。その旱魃を打開するための糸口をつかもうと、また神懸かりなインスピレーションを得るためエレルーはお供と共に、お忍びで国内行脚を始めるというのが大きな筋である。
この現状のなか、世界の警察アメリカは援助物質をクシュの国境まで運び入れており…はたまた、国の中にはソ連(当時)の秘密のミサイル基地がありアメリカの同盟国を狙っていたり。下地には当時の冷戦の情勢があることがわかる。
大国アメリカやロシアに挟まれながら、アフリカの小国がまたそこの独裁者がどういった運命を辿っていくのか、その話はときにはブラックジョークがあり、ときには荒唐無稽でもある。
エレルーとその取り巻きの国内行脚は、さしずめ時代劇の「水戸黄門」みたいだ。権力の象徴である大統領専用のメルセデスで荒野をひた走り、ときには平民やオレンジ売りに変装して市井のなかに身を窶し、悪事を(あくまでも独裁者としての価値観で)見つけては成敗、そのときにはメルセデスの運転手とボディガード(助さん格さん)も加わり、印籠のごときメルセデスで現れ「この紋所が目に入らぬか!」的な展開でことを収めたりだ。そんな行脚もひとつの沙漠の冒険譚として興味深い。
もとはというと、この小説はアメリカの中流階級者の生活を一貫して描いてきたアップダイクの、異国から見たアメリカ論的な小説なのだという。異国の大統領から逆照射で見えるアメリカ。私は国際情勢には疎いのであまりその辺はよくはわからないが、ただこの独裁者の話を読んでいると、どうしても海を隔てた隣の社会主義のミサイル実験ばかりしているあの国の、あの独裁者の様を思い浮かべずにはいられない。そういう意味では、悪いジョークだと思いながら読んだ。
また、この独裁者エレルーにはムスリムの四人まで妻を持てるという制度に則って、四人の妻がいる。そして、そのそれぞれの女から見える独裁者の姿というのも、面白い。
結局は、今ミャンマーで起こっている軍事的な制圧による政権転覆劇というのとはすこし違うかもしれないが、『クーデタ』において、国が外圧によってどう変化していくのかということがよくわかる。すべてはアメリカ化していくというのが皮肉なのか、なんなのか。
現在、ミャンマー情勢は27日時点でいまだに、民衆内で多きな反旗を翻すデモが起こり続けている。死者や負傷者も出ている。国軍は民衆の情報発信を禁じるためにSNSも統制したりしているようだ。
いまだに国際情勢には疎いながらも、民主主義が崩れることの危うさ(いまのコロナ禍の日本の現状、また前政権の私用化の流れとしての現政権総務省接待問題なども)を危機感を持って注視したいと思う。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?