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喫茶桃子の懲りない面々 第一話

ねぇ、マスター、今日、朝にさあ。

いつものように五郎が話しかける。
毎朝の恒例行事だ。

喫茶桃子の朝は早い。近くに幹線道路があるためか、いや工場(こうば)もあるため、彼らの活力の源として朝早くから営業しているのだ。
すでに店を開いて、30年。常連の中に親子二代で通う人も少なくない。
営業当初は、夫婦水入らずで切り盛りしていたが、母ちゃんはダンディな男に手を出して、何処かにトンズラしてしまった。まあ、よくある話だ。もちろん、母ちゃんの名前は桃子。これもよくある話だ。

で、よう。

五郎の話は続きがあるようだ。

あのデカイ交差点でよう。直進だけ青の時に左折したバンがあってよう。白髪のジジーが、叫びながら注意しとってよう。

それはいい話しでは、ないですか。

マスターは素っ気なく応えた。あまりつけ込むと、止めどなく話してくる五郎のことをよく分かっている。

いやいや、明夫さん。話には続きがあるのよう。その日は雨が降ってて、ジジーは傘差しでチャリンコ乗っててよう。

それはまた難儀な。二人とも交通法違反じゃないですか。

五郎はニヤッした。久しぶりに明夫の受け答えに満足している様子であった。

ずいぶんと詳しいね。五郎さん。

そりゃあ一部始終みていたからよう。

ジジーはなんと言ってたんだい?

わしゃー。耳栓しててようよく聞こえなくてよう。

耳栓?

ちょうど、ミミコのおはようパラダイスの時間でよう。ラジオ聞いててよう。

五郎さん。いつも移動は原付なんじゃない?

おー。原付でカッパ着ててよう。

そして、ミミコの番組を聴いてた。そういうことかい?

そうそう。ミミコの甘ったるい声は幾つになってもいいもんだよ。

五郎さん。自転車も自動運転の時代かね〜。

そしたら、ジジーの叫び声も聞けねーよう。

どうせ。聞いてないからいいと思うよ。ミミコがいいでしょ。五郎さんは。

いいね。いいね。明夫さんも聴くかい。ありゃ一日元気になれるよ。

五郎はまだ、ミミコのことを話し続けている。そうだ五郎さんのトンズラした母ちゃんも美々子って言ってたな。

今日は濃いめの珈琲を入れよう。桃子が好きだった濃いめの珈琲を。

#小説 #ショートショート #喫茶店 #ノスタルジー

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