見出し画像

なっちゃん 第三話

お見合いもなくなった夏子はすることがなくなってしまった。
徳島の友達に会ってもいいが、あまりにも突然すぎるのと、彼女らには相手がいることも知っていたので、今回のお見合い騒動のことも話難かった。
「お母さん。私、東京に帰るわ。」
「そうなん?もう少しゆっくりして行けばいいのに。」
父の方を見ると、こちらは見ないが少し寂しそうであった。
「父さんごめんね」心の中で小さく呟いて、部屋に戻って帰り支度を始めた。
昨日はよく見てなかったが部屋はこの前正月に帰ってきた時のままのように見えた。でも床や机の上に埃がないことを見ると、母が毎日掃除をしてくれていることが分かる。
今回、もしお見合いをして上手くいって結婚とかなって徳島に住んだら父母は喜んだだろうか。夏子にはパジャマを畳みながらそう思った。
網戸からは中津峰が見える。遠くに見える山は青みを帯びて、霞がかかっているように見える。夏子はそれを見るのが好きだった。やっぱりいいな徳島。

本棚を見返すと、高校のときに女子の間で流行った交換日記が見つかった。夏子はそれを手に取ると懐かしそうにページを捲る。
馴染んだ紙は次のページが捲られるのが分かるかのように、先に先へとページを捲っていった。
ふと止まったページには小さな栞が挟んであった。友達と田んぼのあぜ道で見つけた四つ葉のクローバーで栞を作っていたものであった。
「こんなところにあったんだ。」
夏子はその栞をそっと取り出すと、今使っている手帳に挟み込んだ。

そういえば、あのとき見つけたクローバーは誰と見つけたんだっけ。
思い返して、そして、詳細を思い出すと夏子の顔はだんだんと真っ赤になっていった。
それは初恋だった隣に住んでいたお兄ちゃんと見つけたのものであった。
それほど歳は離れていなかったと思う。
小学校二年生のとき、学校の帰り道で友達と道草をしていたときのことだった。
まだ、その当時は田んぼがまだ多く残っていて、蓮華がいっぱい咲いていた。学校では、蓮華やクローバーで髪飾りを作ったと自慢していた同級生から刺激を受け二人で田んぼのあぜ道を、蓮華やクローバーを摘みながら帰っていた。
「なあ。なっちゃん。好きなひと。おるん?」友達のみっちゃんが、不意にそう言った。(美津子をみっちゃんと呼んでいた)
「びっくりしたわ。どないしたん、みっちゃん。なんか今日、教室でシンミリしてたから、おかしいと思ってたんよ。」
「うーん。あんな。皆んなにはナイショな。私な。こ、こーちゃん好きになってしもたんよ」
こーちゃんというのは同じクラスの浩太くんのことであった。勉強はイマイチだったけど、スポーツは万能であった。みっちゃんは輝いている人を見るとどうも好きになってしまうらしい。夏子はそれが羨ましかった。
「じゃあ四つ葉のクローバー見つかると両想いになるかもよ。」
そう言って二人で探し始めたが、一向に見つかる気配がなかった。日が傾きはじめて、山からの涼しい風が吹き始めた。
「なっちゃんごめん。私習い事の時間や。」
「えーよ。私はもう少し探してみるから。」
みっちゃんは大きく手を振ってサヨナラをすると、急ぎ足で家の方に駆けていった。
それから1時間近くたったであろうか、白い雲がオレンジ色に輝き始めた。
ふと、見上げると、一人の青年がこちらを見ている。夕日でうまく見えなかったがお隣のお兄ちゃんであった。
「どうしたのなっちゃん?お母さん心配してたよ。」
すっかり夢中になってしまって、こんな時間になってしまった。
夏子は焦ってしまった。
「なんか探してるん?」
「う、うん。四つ葉の。クローバー。」
隣のお兄ちゃんは、ちょっと考える素振りをしてから、
「前にあの辺で見つけたことなるな。」
隣のあぜ道の端の方を指差した。確かにクローバーが群生している。
「一緒にみつけようか。」
そう言って隣のお兄ちゃんは手伝ってくれた。
二人で探しているうちに、夏子は何とも言いようのない感情に包まれた。とても幸せな感じと、もっと一緒に探していたいそう思ってしまった。7歳の夏子にとってそれが恋だとは気づくことはなかった。
日はかなり沈み、後少しで光も当たらなくなりそうになって
「なっちゃん。みつかったよ。」
隣のお兄ちゃんが1つのクローバーの葉を指差した。そこには確かに四つ葉のクローバーがある。
「ありがと!お兄ちゃん!」
二人でゆっくりと四つ葉のクローバーを摘んだのだった。

夏子はランドセルからノートを取り出すと、ゆっくり四つ葉を挟んで、そうおっとランドセルに戻した。
「よかったな。なっちゃん。さぁ帰ろうか。」
そう言って、二人で肩を並べて家の方に歩いていった。夕焼けに照らされた影は長く、そして寄り添うようであった。

帰ってきた夏子を待っていたんは母のビンタであった。母はビンタをした後、夏子を抱きしめて大泣きしていた。痛い夏子であったが、なぜか涙が出なかった。もう母を泣かせてしまうのはやめようと思った。
そんな7歳の春であった。

結局、その四つ葉のクローバーは、みっちゃんに渡せずじまいで、自分の大切なものとして大事にしまってしまった。高校生になった時に、ふと見つけたこの四つ葉のクローバーを栞に使うようになったが、あの初恋までは思い出すことがなかった。今日思い出したのは、ちょっと恋心に敏感になってしまったせいかもしれない。昔の日記を少し読み返しながら、でも文面は目には映らず、昔の思い出に浸っていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?