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なっちゃん 第五話
夏子は春が来たかと思った。
ただ、現実は世帯辛いものであった。
最初の頃に社交辞令的なやり取りがあったくらいで、以降は互いが忙しくなり連絡が途絶えてしまった。
夏子は就職活動がうまくいかず、イライラしている毎日が続いていた。
もうすぐ10月になろうかという9月末。いつもにも増して暑い日だった。
一本の電話の着信履歴が携帯に残っていた。ヒロアキ、ヒロくんの番号だった。
でも着信は午前4時。あきらかに番号を間違えてかけていると夏子は思うことにした。
とは言うものの、携帯が鳴らないか、午後になるまでにらめっこしていたのだ。
流石にあきらめて、徳島から送られてきた半田麺をニ輪茹でたところであった。
その時、突然、携帯に着信が入る。しかもヒロアキの表示が見える。3コール目にしてやっと落ち着きながら、電話に出ることができた。
「も、もしもし?」
「な、夏ちゃんさん?お久しぶりです。ヒロアキです。」
ヒロアキの慌てている感じが伝わったのか、夏子はなんだか逆に落ち着いてきた。
「どーしたんですか。電話とかしてきて。」
「ごめん。朝方間違い電話してしまって、お詫びをしようかと。海外から帰ったばかりで、時差ぼけで電話しちゃって。」
電話先はどうやら外からかけている感じであった。
「あの、よかったらお食事でもどうですか。」「あ、はい。」
気づいたら夏子は二つ返事をしていた。
何故かお昼ご飯の話になって、半田麺を茹でようとしているという話をしたら、食べたいですと言う話になり、ヒロアキが何故か夏子の部屋に来ることになってしまった。
夏子は自分の部屋を見て安堵した。昨日あまりの暇さに掃除をしていたのだった。
でも夏子は何かウキウキして来ていた。
「器はどれにしようか。」
大谷焼きの青みのかかったステキなつゆ鉢があったことに気付いた。
夏子の父が陶芸に一時期はまって、その時の講師の方が大谷焼きが好きで自分の作品を譲ってくれたのであった。夏子は上京の時にしっかり拝借してきたが、父はまだ気付いてもいない。
半田麺を入れるのは大皿のガラス鉢に入れることにし、それに徳島から送られてきた、すだちを添えることにした。
半田麺といっても太さが太く徳島ではそうめんの部類に入る。
煮麺にしても美味しく、お吸い物に少し入れる場合がある。
夏子は半田麺が大好きで夏はこれがないと生きていけないと豪語するくらいであった。
開けっ放しの窓際で風鈴が静かに鳴り、少し風を感じ始めていた。
夏子の部屋のチャイムがピンポンと鳴った。
「はーい。」
夏子は元気よく玄関に向かう。
開けると白いシャツを腕まくり、ジャケットを抱えて、大きな鞄を持ったヒロアキが突っ立っていた。見るからに汗だくである。
「す、すいません。汗だくのままお邪魔しちゃって。」
「大丈夫ですよ。お構いなく。」
夏子はそう言いながら、大きな鞄を受け取りながら、なかなか部屋に入れそうにないヒロアキを気遣った。
「いい部屋ですね。東京じゃないみたいだ。」
「ここは景色だけはいいですよ。窓の前は大きな木があって。都内は山というほど大きなものが無いので緑があるだけで嬉しいんですよね。」
「なっちゃんさん、関東弁になっとるね。」
「あはは。こちらにいるとどうしてもね。」
「はいタオル。シャワー浴びて来てください。ご飯の用意はもう少しかかるので。」
「あ、でも。。」
「はいはい。突っ立ってるのはじゃまじゃま。バスルームはあちらでございます。」
ヒロアキは夏子の気遣に笑顔になりながら
「では、すっきり男子になってまいります。」
そう言いながらバスルームに入っていった。
ヒロアキがすっきりしてバスルームから出る頃にはテーブルの上には藍色のテーブルクロスが引かれ、その上に料理が用意されていた。
「すごくいいですね。夏って感じです。」
「一人だと、ここまではしないんですけどね。今日は特別ですよ。」
大谷焼のつゆ鉢に注がれたつゆは高級料亭の料理のようにみえる。
「この鉢すごいですね。この内側の青い線は・・美しい。」
「料理も褒めてくださいね。」
夏子は笑いながらそう言った。
「つゆは優しい感じでダシがよく効いていますね。」
「いりこ、かつお節をベースにしていますよ。あとは薄口醤油とお酒で。」
「付け合せは竹輪を輪切りにして、じゃこをのせた物です。すだちをかけて食べてくださいね。」
「徳島の実家で母が同じようにしてくれます。大根の葉を湯がいて、細かく切ったものをのせていたかな。」
「それもおいしいですね。ご飯に混ぜたら最高ですよ。」
白いTシャツに着替えたヒロアキは歳を聞いていたより若く見えた。
時々見せる笑顔から溢れる白い歯が一層若く見える。
「お昼ご飯。すごく美味しかったです。東京ではいつも外食かコンビニの弁当だったもので感激しました。」
「なんか敬語みたいですよ。もっと楽にしてくださいね。」
ヒロアキはなんか照れてしまったのか、顔に赤身を帯びているようであった。
「なっちゃんさんは・・」
「はい?」
「お、お付き合いされている方はいるのですか。」
「うーん。特にはいません。」
「お、お友だちさんとかは?」
「それはナイショです。」
「で、ですよねー。」
夏子はドキドキしながら、期待に胸を膨らましていた。
だか、ヒロアキはそれ以上話を進めず、夏子の期待は少し生温い風に連れ去られた。
いくつかとりとめのない話をした後、ヒロアキは、また何処かでお会いしましょうと、海外土産を夏子に渡すと、まだ暑い夕方の日差しの中、帰っていた。
ヒロアキを見送った後、リビングでパタンと夏子は座り混んでしまった。
「なんだったんだろ・・・」
なぜ私の家に来たんだろう。彼の心を思い描くことはできなかった。
自分の誕生日に男性が家に訪れるという偶然が素敵な結果になると思ってしまった。
偶然が2回続けは現実になる、そう思っていた自分を恥いていた。
「まぁそんなもんですよね。人生って。」
夏子はオレンジ色になり始めた空をずっと眺めていた。
うっすらと瞳に雫をためながら。
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