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断る力

卒業研究も佳境である。
私はとある理系分野の大学生で、大学生活最後の一年を研究に捧げている。毎日9時にラボに入り、研究を開始。作業は早ければ17時、遅ければ19時まで続く。最近は、お昼休みの1時間すらまともに休めず、10分程度で昼食を済ませて作業に戻ったり、昼食を食べながら作業することも多い。
卒論の内容を教授に添削してもらいながら、報告会への資料作りをする。去年いっぱいはこれに加えてジャーナルクラブのための論文読みとスライドづくりも加わっていた。日中は作業、17時頃に教授に資料を見せ、ここについての論文を探して読め、スライドのここを直せと言われる。これが長引けば「遅くなったしまった。帰るからこの作業やっておいてね」と教授がやるはずだった作業を任されることもあった。18時19時頃、作業が増えれば20時頃に帰宅。大学は家から遠いので、玄関の戸を開けるのは20時。それからご飯や風呂を済ませて22時。そしてようやくスライドを修正し、論文を探し読む。24時、25時になって一区切りをつけ、ようやく眠る。

こんな生活を繰り返して、ここ最近になって限界を迎えてしまった。

こんな生活は続けたくないけど、データが上手く取れない。土日も作業はあってバイト帰りにやっているのでまともに休めない。でも〆切までに卒論をまともな形にするためには、続けなくてはいけない…。
あまりの忙しさに、友人に愚痴をこぼすことすらもできなかった。その友人すらもきっと忙しいだろうと遠慮した。
そうして思いに思い詰めて、先日母に「研究がつらい。もうやりたくない」と吐き出した。

母「やりたくないなら休めばいいじゃない」
私「最低限のラインまでのデータが取りきれてないんだもん、休めないよ」
母「その最低限のラインって何?学士はとりあえず頑張った感出せば卒業できるとか言ってなかった?何それ?誰が決めてるの?」
私「論文として形にするためにはここまではやりましょうって教授に言われたの」
母「そんなの、できなかったらできなかったで仕方がないじゃない。とりあえず卒業するのが目標でしょう?今あるデータでとりあえず作れさえすれば卒業できるんだから。その"最低限のライン"って、あづさがやりきりたいだけなんじゃないの?」

ここまで言われてぐっと言葉を飲み込んでしまった。
そうだ、私はできればここまでやりきりたいから苦しんでいるのだ。

母「やりたいんだったら頑張るしかないでしょう」

これは嫌だった。やりたくて頑張っていても健康に問題が出てきたからこうして言っているのに。

母「それか修士まで行って続けるしかないね」

これも私の中では"ナシ"だ。これ以上学生ではいたくない。研究なんてもう二度とやりたくない。

母「じゃあ、出来ることろまでやるしかないでしょう。そのために邪魔なものは徹底的に断りなさい。自分のキャパシティを超えた作業を抱えるからこんなことになるんだよ」

その通りだと思った。
自分の膨大な作業。わずかでもラボの補助員に任せれば少しは楽になれただろうが、遠慮したし、任せて人的ミスをされたこともあったので全部自分でやっていた。
それに加えて、私の研究に関係のない作業をプロトコルを知っていて何回かやっているから、作業の合間にできるからと言われて任され、引き受けていた。
日々の作業で使う使い捨ての道具を補充をするのも、少なくなっていることにいつも私が最初に気づいて、私が最もよく使うので切れたら困るからと先導して補充していた。たまにラボの人に声をかけ一緒にやってもらっていたが(彼らも毎日しっかり使っている)、作業を離れられないと断られて、全部やったら30分以上かかる作業を自分の研究を中断して一人でやっていたことも多かった。切れたら進められないから仕方ない、と。
使う器具もきれいに洗われていなくて、でもすぐに使いたいから何も言わずに再度洗っていた。

もっと、「こちらで忙しいのでできません」だとか「そんなこと言わずにあなたも手伝って」とか、しつこくても何回も「ちゃんと器具を洗ってほしい」だとか言えばよかったんだろう。人付き合いについても、ラボに新しく入ってきた留学生に「初めて日本に来て大変だろう」と気を遣って配慮しまくるから変に懐かれてすべての作業の説明を任されてしまうし、本来教授が説明すべきことも私に投げられてしまった。
"No thankyou."と言っても"Why?"と食い下がられてしまうものだから食べたくもないのに留学生から渡されたお菓子や食べ物を律儀に食べているからストレスが溜まるのだ。

「断る」「強く言う」ということが私には足りていなかったのだなと感じた。

そうすることで教授から小言を言われ、自分が傷つくのが嫌だった。家族のことでただでさえ大きな傷を抱えていて毎日しんどくて、「これ以上傷ついたら耐えられない」と思いすべてを受け入れてた結果がこれなのだから、やっぱり言った方がよかったじゃないか。
言わないから「断らない都合の良い存在」として何でもかんでも任されてしまっていたのだ。それに今になって気がついた。単純ですぐ気づけそうなことではあるが、毎日ただ息をすることで精一杯だった。落ち度だ。

相手に注意したり強く言おうとしたときに、「私だったら…」と邪推してしまう癖がある
私だったらくよくよ引きずってしまう。こう言ったら傷つくかもしれない、と。
本当はそんなことより、自分が駄目にならない方を優先すべきなのだが、私はまだこういう面で自分の優先度を下げる一種のセルフネグレクトを直せていない。
それでも、相手も自分も傷つけずにやんわりと言いたいことを言う方法はあるんだと思う。
これから社会に出るんだし、そういう処世術みたいなものをちゃんと身につけていきたいと思う。
せっかく親元から離れ呪いから解放されるのに、そんなことで死ぬわけにはいかないから。


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