「親ガチャ」というワードが流行っているらしい

いや~Twitterで何度か目にした気はするんだけどここ最近特に目にするな~と思っていたらどうやらテレビのワイドショーでも取り上げられてたらしい。

最近のワイドショーTwitterでの流行りとか取り上げるからね。
正直この言葉はネットスラングみたいなもんでお茶の間に流すような内容じゃないと思ったんだけれど、それでもこの概念自体は一考の余地があるかもしれない。

親も含め、生まれや環境は人によって差異があり公平とは言えない、というところ。
社会のこと、政治のあり方なんかを考えるときに念頭に置かなければならないことだ。

あらゆる人の生まれを確認できる者などおらず、どうしても主観的なはなしになりがちだ。
人生万事塞翁が馬という言葉もあり、極論、良い親、悪い親どちらがガチャの当たりになるかはわからなかったりする。


私自身の話しを書こう。

私は産みの母親の顔を知らない。
元々身体が弱く、私を出産してすぐ亡くなったとのことだ。
父と育ての母にこのことを言葉で伝えられたのは小学校に上がった後だったが、実は伝えられる前に理解していて、そのことを話したら驚かれた。

幼少期、祖母の家で育てられていたが、そこに父親が再婚相手として育ての母を連れてきたときのことを覚えていたからだ。
当然そのときはわかっていないわけだけど、その後成長するにつれ「親」と言う概念がわかってきてなんとなく理解したわけだ。
再婚したのは私がまだろくに言葉も話せない歳だったから、父も母も私が「物心ついている」とは思っていなかったのだろう。


子供の頃の私にとって母親はイライラしていることが多く、ちょっとしたことで怒らせてしまうと大変な仕打ちに合う厄介な存在であった。

こうして書き出してみると色々思い出してくるもので、そういえばまだ小学生の時期だったと思う、私は一度自殺を意識したんだ。
叱られ続ける日々が子供の時分にとっては相当堪えたのだろう、どこで覚えたのか定かではないが包丁で手首を切ろうとした。

まあ、こうしていま生きているので当然未遂に終わったわけだけど、そう思い詰めるくらい親とはうまくいってなかったわけだ。
死ぬのはいつでもできる、と思い直したのだが、この時に感じた辛さを忘れないために手首に小さく傷をつけたんだ。自分にしかわからないほどの傷。

その後も生きてて辛いと思うことはいくらでも出てくるわけだが、この時につけた傷をみては生と死について考え立ち直っている。
あんなに小さくつけた傷なのにいまだに残ってるのは不思議なものだけどね。


今にして思えば、母は若すぎたのだろう。
突然、心の準備もないままに子供の面倒をみることになり父もさほどフォローするタイプの人間でなかったからギリギリの精神状態だったのかもしれない。
後年、妹が生まれて以降はこころなしか穏やかになった気がしている。
これ、逆でなくてよかった。
自分の子が生まれた途端連れ子に辛くあたる、みたいな不幸話にならずに済んだ。


それ以降穏やかな家庭で育ちました、だったらよかったんだけど、父が借金をこさえ、母との仲が険悪になっていき、最終的に離婚したんだよね。

母は妹と弟を連れて出ていき、私は父と共に祖母の家に戻ることになった。
中学生の頃のことだ。
まあ、普通にショックだった。

それまで成績トップを維持していたのがわかりやすく落ち込んで、さすがに学校の先生になにがあったのか?と聞かれた。
最初はこんなこと人に話すようなことじゃないと思って黙っていたが、その先生、辛抱強く話を促してくれたもんだから、最終的には洗いざらい話した。
少しづつ気持ちを落ち着けたらいい、と言ってもらいその後は成績のことなどとやかく言われることもなくなった。
かと言って腫れ物に触れるような対応ではなく、ときおり調子はどうだと相談に乗ってもらえて、私も少しづつ気持ちの整理ができたものだ。
この点で言えば先生ガチャはSSRだったのかもしれない。

金が無いながらも専門学校に進学できたのは会ったこともない祖父(産みの母の父)が遺産を私宛に残してくれたからだろう。
奨学金制度という名の借金をしようとしていたところだったから本当に助かった。これもSSR。

その後、ここだと決めた会社に就職。
それも、最初はもう今年は採ってないんだと断られた。
しかし粘りに粘って無給のインターンを譲歩してもらったんだ。
一度中に入ればやりようはいくらでもあった。
皆忙しくて散らかり放題の社内、朝誰よりも早く行き掃除をしてゴミ出しをすませ、電話や来客対応など面倒な雑用を引き受け、スキを見て仕事を教わる。
予算オーバーしてたけど熱意を買ってもらえて就職できた。
これくらいのことで職にあぶれずに済んだわけだから、これも当たりだったか。

その後年収アップや技能向上を求めて転職を繰り返すことになるのだがそのはなしはまたいずれ。

ああ、なんだかとりとめない話になってきた。
何の話だったか、親ガチャか。

どうなんだろうね、当たりなのかハズレなのか。
人の数だけ親子関係あり、思うに親というのは子にとって心地のいい存在ばかりではないのだろう。

最初に書いたように親だけじゃない、その他の環境も全く一緒なんてことはなくてこの世の中はめちゃくちゃ運に左右されるサバイバルゲームなのだ。

月並みなことで言うと、親ガチャでハズレ、って認識できただけでも一歩前進なのかもしれない。
ハンディを負ってると思えばボヤボヤしていられない。
当たりを引いたやつに轢き殺されないよう食いしばって生きるしかないんだろうな。

生きてさえいればその後色んなガチャがあるからね。
どこかで当たりを引くかもしれない。

まあそれが本当に当たりなのか、死の間際までわからないわけだけども。


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