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バリアフリーチャレンジの歴史

前回の荒川のブログに引き続き、Gift-Challengeの助成先でもあるバリアフリーチャレンジの活動を記事にさせていただきました。

Giftとして行った助成金事業がどのように活用され、その結果どのような成果が出たのかという助成金事業のご報告として、また、それと同時にバリアフリーチャレンジの島本さんの事業や活動を多くの方に知っていただくことで、活動に興味を持ち支援してくださる人が増えることを期待しています。

バリアフリーチャレンジの歴史

小山:バリアフリーチャレンジを立ち上げる前の島本さんの心境、ご自身がこの活動をすることになったきっかけとして過去にあったストーリーをお聞かせください。特に助成金の申請の中にあった「暗黒の20代」という表現やその時代に支えてくださった方について詳しくお話をお聞きしたいです。

島本:新卒で就職して半年のときに脳出血で倒れました。22歳でした。倒れてから9か月間入院し、退院後はリハビリを続けていました。リハビリをして身体機能を取り戻したら元に戻れるというのを心の支えにしてやっていた感じです。

そういう時期が長くなると周りはドンドン変化していきますよね。友人たちが結婚して子どもができて。友人の結婚式に呼ばれることがあり、祝福はしていましたが、気持ちが沈むのを感じる瞬間もありました。当時を振り返ると、心の奥に積もっていく負の感情はあったんだろうなと思います。

それでも、倒れるまで専門学校の講師をしていたし、学生時代はバンドでボーカルもしていて、目立つのが好きだったので、友人代表の挨拶は率先してやらせてもらっていました。

周りと比較して自分を卑下せず、昨日の自分と比較して前進していけばいいと自分を鼓舞していました。周りの家族や、親友が無条件で支えてくれました。病気で倒れる前と後で私への対し方にほとんど変化がなかったおかげで存在価値を確かめられました。

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リハビリをすることでわかったこと

小山:リハビリを頑張ってやっていたということを聞いていますが、その頃はどんな想いで過ごされていましたか?

島本:それまでに、努力が報われるという成功経験をしていたから、リハビリも同じだと思って頑張っていました。しかし、残念ながら、脳の病気の場合はそうでもなくて、もし、今、当時の自分にアドバイスできるならば、「今すぐ車椅子に乗れ」と言います。

なぜなら、リハビリにあてる時間を社会的なことにコミットするほうが道は近いからです。当時もリハビリにこだわらず、道具を使って社会復帰したほうが良いと医師には言われました。

ですが、リハビリをやったことによって、少しですが車椅子を使わずに自力で歩けるようになったのは大きいですね。車椅子だけの場合よりも行動の選択肢が広がりました。

リハビリをやったことによって感じ得たこともたくさんあります。回り道かもしれないですが良かったと思っています。
結局、運動能力を回復させるために30代になるまでリハビリに多くの時間を割きました。しかし、年齢的に30を越えて、閉塞感が募り、今の能力でやれることをやると考えたときに、まず収入を得ていこうと考えたら、車椅子を使うことを現実的に受け入れることができました。

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団体を立ち上げようとした経緯

小山:収入を得ること、団体を立ち上げようと思った経緯や、その際に協力してくれた人や苦労した点などについてお聞かせください。

島本:何に自分が軸をおいていくのかが定まればあとは早いのですが、それまでは、心は揺れ動きましたね。

行政書士になったのですが、自分には行政書士として稼ぐという能力がないと感じました。向いていなかったんだと思います。それよりは、組織に入って安定的に得られる方が良いかなと。それで、そっちにコミットしていこうとしました。

昨年の12月から外資系の企業で働いています。
将来一緒に生きていきたいという人に出会って、今の行政書士の収入のままでは無理だよねと現実的にならざるを得ませんでした(笑)

バリアフリーチャレンジを立ち上げた経緯は、行政書士時代で収入が安定しない中、看護学校から講演依頼があり、講演をさせていただいたところ3時間程で全く実績がなかった状態で5万円をいただきました。これならマネタイズできると感じました。

その後、活動を始めて2年目に、感謝を伝える会として講演会を自主開催したのですが、そのときに、これからは、「応援」と「挑戦」と「恩返し」の3つの柱で生きていこうと決意したのです。

「応援」と「挑戦」と「恩返し」の3つがいい感じで結びついて、応援が挑戦になり恩返しになる。

ただ、そういう価値観を押し付けられると嫌だという反応はあると思っているので、他者に強要はしません。実際に頑張りたくても頑張れない状況の人もいる

私としては、やれる範囲のことは生きている以上は命燃やしてやっいきたいと思っています。

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