怪我の功名 その9 完治の身体感覚

最初に筋を伸ばして、およそ2ヶ月。
大した事ない、と思っていたら結構痛く、そして、普通に歩けるまでに時間がかかりました。
仕事中など、意識が外へと向かっていれば気にならないものの、一人、じっとしていると、どうしても痛みを「観察」してしまい、痛みが強くなるし、不安も生まれます。

古傷

古傷が痛む、という人もいるかと思います。
記憶に刻まれてしまった怪我や病気は時々、意識に上がってきますよね。
これ、肉体的にどうこうした、という理由はなかなかみつからないもの。
痛みの原因は身体の深く深く、あちこちに散っています。

ただ、元気はなくなるのは確か。
元気があれば何でもできる、と聞いて生きているけど、なかなか元気は出てきません(笑)。

心臓の働きは二つ

心臓の働きは血を送り出して、戻す。
大雑把に言えばこの二つ。動き的には二つ。とりあえず、そこから。

元気を出す時には血を送り出す。
痛みを見つけたなら、そこに血を送り出せば元気を出せる事がわかりました。これは本当に大きな事。心折れずに、もう少し、頑張れる、そんな力を血はくれます。

ただ、頑張るだけではちょっと大変。
元気がまた、足らなくなります(笑)。
この時、「血が戻る」感覚が役に立ちます。

我慢の身体感覚

血は心臓から出て、戻っていきます。
そういう「働き」がある、わけです。
心臓から出ていく時、そこに元気がついてきます。
もちろん、その血が外へと噴き出していけば心配になりますが、それは怪我。それは治療をしてください(笑)。

自然に働いている心臓。
出ていく血だけではなく、戻ってくる血も使えないかな?と考えたのが、完治とは何か、につながりました。

痛みがある時、そこで痛い痛い、と言葉や動きにすれば、気持ちは少し解消されます。
そして、その時、血がそこへと集まるイメージを持てば元気も出ます。
しかし、いつも、そこにばかり集中するわけにもいきません。目の前の仕事などに向き合いたい時って有るはずです。

この時、身体に見つかった痛みやひっかかりを血液の流れに乗せて心臓へと戻してみます。
すると、不思議と刺激は収まり、心穏やかになっていきました。

痛みを口にせず、我慢する、というのはある意味、発散です。痛みの部位から大声が外へと出ていても、ギュッと肉体がそれを抑えているようなもの。緊張は溜まっていきます。
しかし、心臓を意識して、そこに戻すようにしてみれば、同じ「何もしない」という状態であっても、気分は落ち着く事がわかりました。

心臓はブラックホール

痛みは心臓へと返す。
血の勢い、流れの力を借りて、見つけた痛みや引っ掛かりを自分で何とかしようと工夫するのでは無く、心臓に任せてしまおう、これが完治の秘訣かもしれません。

怪我や病気をすれば、それは新しい経験になります。
これまで感じた事のない身体を見つけて、それと共に過ごしていれば、自然と身体の声がより細かく、聞こえてくるようになります。
稽古的にはこれ、いい事に見えます。いや、確かにいい事、大切な事です。

ただ、見つけてしまった後、ちゃんとそれを活かし、納得し、解消できるかどうかが問題になるのです。
自分には可能性があり、この世の全てを手掛かりにして、新しい世界を見つけてやる!稽古にはこんな思いが必要です。
しかし、どうしても、現代を生きると、何かをやろうとすると、そこに面倒さが出てきます。そして、誰かにそれを頼んで、生きていく癖がついてしまいます。

病気や怪我で感度が上がってしまうと、気にしたくなくても、身体の変化に気づいてしまいます。
これが、大変。
いつも、ちょっと気になる、というのが続くと、どうしても、気分が上がらなくなります。

ちょっと踏ん張ればゆがみを見つけ、天気が悪くなると傷みだす。
感度が上がっているからこそ、そこが気になり、また、どんどんと痛みやゆがみに敏感になっていってしまいます。
古傷なんかはまさに、これです。
どうしたらいいんでしょうか。

心臓にお任せ

というわけで、そのちょっと気になる事は全部、心臓へと送ってみたらいいじゃないか、と思ったわけです。
まだ、ちょっとおかしいな、そう思ってしまった時に、自分で出来る事がなければ、それを心臓まで送ってみる。
すると、そこでなぜか解消される気がするわけです。

この時、おぉ、これは完治だ!と思いました。
完治とは気にしない力なのだ、と定義したのです。

もちろん、丁寧に観察すれば、痛みはすぐに出ます。
昔ほど踏ん張れるわけではありません。
それをみれば、まだ、完治してないじゃん、と言われます。
客観的にはそうかもしれません。

しかし、学会に出て正しさを証明するわけではないのです。
日々、暮らしていく中で、痛みやゆがみを気にせず、もっと集中したいものに向き合う。それがしたい事です。
小さな痛みであれば、気にしなければいいんです。
ただ、完治した、と終わりをつけておかないと、その痛みが出た原因、痛みによって出てきた不都合の経験などが、不意に現れるちょっとの痛みによって、一気に噴き出してくるかもしれません。それは精神的に面倒。忘れるぐらいがちょうどいいように思います。

新しい痛み、怪我

一度、完治した、と決めてみれば、その後見つかる痛みは「新しい痛み」として認識が出来るかもしれません。
ちょっとここは言葉遊びに聞こえるかもしれませんが、身体感覚を合わせて稽古してみると、新しい痛みとしての認識はそれほど難しくありません。

そもそも、私たちは「老い」ているわけです。
厳しく強い時間の流れの中に身を置いています。
怪我によって大きく変化をする事は認識しやすくても、緩やかに見えてしまう時間の変化はないがしろにしがちです。

身体は毎日変わっている。それは止められない。
この立場に立てば常に新しい痛みとして向き合った方がいいとも言えます。
少なくとも、武術的な場面でいえばそうです。

もしかしたら、完治したくない、気持ちもあるかもしれません。
病気や怪我を持っていれば、心配もされます。
それを言い訳にして行動する事も出来ます。それはそれで一つの働きですから、使いたいなら使えばいいでしょう。
ただ、いつでも、完治できる、その力もあったなら、もっと自由にこの先の未来を生きられるはず。
実にモラルのない話ですが、全て身体の持つ力だと思っていますので、勇気をもって言葉にしてみました(笑)。

怪我の功名

時間を空けて書く事になってしまったので、少し、ダラダラな文章になってしまいました。
ただ、「怪我の功名」というのはある、それがわかってくれたらいいな、と思います。
そして、それはいつもあり、むしろ、怪我から得る経験を通して身体観、世界観、死生観を変えていける事がわかれば、すべての経験が価値観を変えるきっかけになる、事が分かるかもしれません。

怪我は経験です。
そして、当人だけ、自分だけがわかる経験です。
痛みを判断する機械はありません。今、自分が経験している痛みや苦しみをどう受け止めるかを試していくチャンスとなります。

現代には便利な機械も、良く効く薬も、親切な他人もたくさんいます。
それがあり、なおかつ痛みも自分の経験として生かせる事が出来る、とわかればきっと、楽しく過ごせる時間が増えていくはず。

もし、この先、怪我や病気、アクシデントに巻き込まれる事があれば、ちょっとだけ、この経験から何か学ぶ事はないかな、と考えてみてください。
では、終わります。
いや、また、何か思いついたら、書き足すかもしれません(笑)。

ありがとうございました。

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9/11 つくば稽古
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8/24(水)午前名古屋、夕方大垣
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