結婚式と「さよなら」のフィーリング
会社の同僚の結婚式に出てきた。
結婚式はずいぶん前にいとこのものに一度出ただけなので、ほとんど初めての参加だ。
これが思いもかけず(というと失礼な感じもするが)感動してしまった。
同僚の「この責任をこれから背負います」という決意のこもった表情や言葉にもグッときたのだが、何より感動したのが両家のご両親の姿だった。
チャペルでの新郎新婦の姿を見て、または披露宴での新郎新婦のスピーチを聞いて、涙を堪え、涙を流す両家のご両親の感情に何故だかすごく共振した。
子供もいない自分が、我が子を見守る両親の感情のどこに共振したのか。
それはおそらく、結婚式を見守る両親の「さよなら」のフィーリングだ。
結婚式は言うまでもなく新しい門出を迎える新郎新婦を祝う式だが、同時に「自分の子供」という立場を離れる子と両親のお別れの式でもある。
チャペル内でのいくつかの儀式や新郎新婦からのスピーチで、両親は明確に「さよなら」を告げられる。
実際のところ、両親とは別にこの日にお別れする訳ではない。今までだって毎日一緒にいた訳ではないだろうし、これからも縁をきる訳でもない。
それでも(だからこそ)式の最中繰り返される「さよなら」の儀式に、明確な意思としての「さよなら」を感じてグッときてしまうのだ。
思えば普段の生活で「さよなら」と言ったり思ったりすることは本当に少ない。
基本的に誰かと別れる時の挨拶は、「またね」だ。
友人と遊んだ帰り道も、学校を卒業する時も、転職する同僚とも、僕たちは「またね」と言って別れている。
実際にはその「またね」が最後の言葉となって、もう一生会わない人もたくさんいるのだろう。
結果としてお別れしている人たちは山ほどいるのに、その中で自分の意思を持って「さよなら」とお別れを告げる人はほとんどいない。
それがいいことなのか悪いことなのかはわからないけど、とにかく僕にとって「さよなら」の意思はすごく珍しいものになっていて、結婚式みたいな場でふとそういう意思に触れてしまうとなんだか泣きそうになってしまうのだった。
両親との「さよなら」にせよ、二人で生きていきますという「誓い」にせよ、結婚式って人間の意思みたいなものがそこかしこに溢れていて、いいもんだなあと思いました。
新郎新婦のお二人、どうぞお幸せに。
サイトウでした。
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@いえもん
「チェリまほ」見てなかった!
異性間の関係を同性の関係にちょっとズラすと、ベタすぎる王道展開も新鮮味を持って見られるって感じなんですかね。
そういうのってなんかフィクションの本質って気がするなあ。
見てみなきゃ!
信頼のおける会社の後輩めっちゃ気になります。
@きっちゃん
自分のことを賢い(他人を賢くない)と思っている人間がいかに愚かか!
これはほんとにそうですよねえ!!
「考え方が違うからあいつはバカ」っていうのはほんとに愚かだと思うのだけど、最近はフェイクニュースやらエコーチェンバーやらで元の情報からして所属コミュニティーによってねじ曲がっているから難しいよね。
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