イタリア人はなぜそこまでサッカーに熱中するのか?<ダービーマッチのドキュメンタリー番組を踏まえた考察>

私の趣味はスポーツ観戦です。サッカー、野球、バスケ、アメフト、アイスホッケー、F1、陸上競技など、私が面白いと思った競技は常に見ています。とりわけ、スポーツとその観客を結ぶ文化に非常に興味があります。自分がプレーしてもいないのに、なぜあれほど熱狂的になれるのか。そんな疑問を持っているときにYouTubeで偶然、サッカーのダービーマッチを特集したドキュメンタリー番組を見つけました。今回は、イタリアにおけるダービーマッチを特集した3本から分析していきたいと思います。

イタリアはサッカーワールドカップを4度優勝したことがある強豪です。2017年の調査によると、「イタリアのスポーツといえば」というアンケートに92%が「サッカー」と答えるほどの国民的スポーツです。その中でも今回取り上げるのは、ACミラン対インテルの「ミラノダービー」、ACローマ対SSラツィオの「ローマダービー」、そしてBCアタランタ対ブレシアの「ロンバルディアダービー」を取り上げます。


①ミラノダービー

 ミラノダービーはヨーロッパで、最も注目されるダービーマッチの1つといわれています。なぜなら対戦する両チームともがヨーロッパ屈指の名門チームだからです。1つ目はACミラン。かつて本田選手が在籍したことでも有名で、チャンピオンズリーグ優勝7回を誇る名門です。2つ目はインテル。長友選手が在籍していたチームで、チャンピオンズリーグの優勝を3回しています。くしくもセリエAの優勝回数はどちらも18回。本拠地も同じスタジアムを使用しています。(呼称はチームによって異なり、前者はサンシーロ、後者はスタディオ・ジュゼッペ・メアッツァと呼ぶ。)ミラノの街だけではなく、イタリアそして世界中のファンを虜にする2チームです。まずはチームの歴史を紐解いていきましょう。

1871年に統一され、北部を中心に産業革命が進んだイタリアでは、多くの外国人が貿易に来ていました。とりわけ、イタリア屈指の貿易港であるジェノヴァに外国人が滞在しており、そこにいたイギリス人がスポーツに興じていました。ジェノヴァで輸入されたものは、急激に発展を遂げていたミラノに輸送されました。モノの流れが活発化すると同時に人の流れ、そして文化の流れも活発化しました。そして1899年、あるイギリス人がACミランを設立しました。しかし、当初はクリケットチームとして設立されました。しかし、サッカー部門も設立され次第にサッカークラブとして大成していきました。余談ですが、ACのCはクリケット(cricket)から、そしてミランという英語での読み方であるのはイギリス人が設立したことが由来であるといわれています(イタリア語ではミラノ)。しかし、1908年にある事件が起こりました。ACミランのある職員がクラブから離れることを決めました。なぜなら選手として所属していた彼のスイス人の友人がプレーさせてもらえなかったからです。そしてその職員は、同調した他の43人とともに新たにクラブを立ち上げることにしました。新しいクラブは、国籍にとらわれず誰もがプレーできるチームにしようと願いを込めて、チーム名を決めました。その名も「インテルナツィオナーレ・ミラノ」。インテルナツィオナーレとはイタリア語で「国際的な」の意味で英語のインターナショナルです。このようにしてミラノの街に2つのチームが設立されました。

それぞれのチームに対してどのような印象を持っているのでしょうか。ACミランファンは「インテルなんて、しょせんウチから生まれたもの。」という一方で、インテルファンは「ミランが当時なかった発想をウチはした。全く違うチーム。」と一歩も譲りません。しかし、両者とも常に仲が悪いのか、というとそうではありません。インテルの選手とミランの選手が同じレストランで食事をしていることもあるそうです。つまり、憎しみあう敵として戦うのではなく、いがみ合う兄弟のような関係なのです。サンシーロという家で兄弟げんかをしている、それがミラノダービーを表したともいえるでしょう。


②ローマダービー

次にご紹介するのがローマダービー。デルビ・デッラ・カピターレ(首都ダービー)です。ミラノダービーが兄弟げんかなら、こちらは乱闘というのが正解かもしれません。このダービーマッチは世界の中でも有数な、危険なダービーマッチといわれています。なぜなら、2つのチームが憎しみ、恨みあっており、過去にファン同士の乱闘による死亡事件が複数回発生しているからです。両チームのファンにとって、ダービーでの勝利はタイトルよりも大きな意味を持つともいわれ、地元紙も試合当日の新聞では12ページも紙面に割くほどローマ人にとっては重要な意味を持つのです。

ローマダービーの主役のうちの1チーム、SSラツィオは1900年に総合スポーツクラブとしてローマ市の中心で生まれました。そして、20年ほどはローマ唯一のサッカークラブとして愛されました。しかし、1922年にムッソリーニが政権を獲得して以来、それは変わってしまいました。「イタリアを強国にする」というプロパガンダのもと、労働者層を中心に支持を広げていたファシスト党は、サッカーによって民衆の支持を得ようとしました。そして、「首都・ローマに強いサッカークラブを1つ作る」という方策が行われました。その結果、ローマにあった4つのクラブのうち3つを統合して、1927年にできたのがASローマでした。そして、ASローマに唯一統合されなかったのがSSラツィオでした。それは、当時のある将軍が、イタリアサッカー連盟の幹部かつ、SSラツィオのクラブ会員であり、彼がこの合併に介入したからです。そして、当時の権力者にお墨付きをもらったASローマは首都クラブとしてローマ中心部の支持を集め、SSラツィオはローマ中心以外の支持を集めるようになりました。

ファシスト政権崩壊後も両チームの遺恨はなくなりませんでした。ファシスト政権の支援の下成立したASローマに対し、SSラツィオファンは、ナチスドイツのカギ十字(ハーケンクロイツ)やファシスト党のシンボルを掲げたりしました。一方で、ローマファンもこれに対し「首都にサッカーチームは1つでいい」と主張し、ローマファンがラツィオファンに襲撃する事件も多発しています。その結果、ダービーの日には警察が厳重に警備をしています。しかし現在、イタリアではスタジアム内に発煙筒や爆竹などを持ち込むことは禁止されており、以前に比べると比較的安全に観戦できるようになったことは確かです。ローマのスタディオ・オリンピコにしか出せない独特の熱気を持ったダービーも面白いのではないでしょうか。

③ロンバルディアダービー

3つ目は、アタランタBC対ブレシアのロンバルディアダービー。今までの2つに比べると注目度は低めかもしれませんが、その分今までとは違う特徴を持っています。このダービーの主役はイタリアで最も新型コロナウイルスの流行に苦しんだベルガモを本拠地とする、近年躍進が続くアタランタと2019-20シーズンにセリエAに昇格したブレシア。この2チームが対立する理由はざっくりいうと、「互いに似ているから」。つまり、同族嫌悪からきているのです。

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2つの都市があるロンバルディア州はイタリアで最も裕福な州であり、イタリアで最も大きな街であるミラノを州都としています。ベルガモは建築資材を生産し、ブレシアは農業や鉄鋼を中心産業にしています。この事実から両都市は「ロンバルディアのエンジン」と呼ばれています。また、両都市とも建築業者が多く、両者とも「ミラノを作り上げた」ことを誇りに持っています。そんな根っからの職人気質な両方の街の人々の性格はハードワークをいとわず、勤勉だといわれています。また、他にも方言、食文化など多くの類似点がります。ロンバルディア州のほかの地域の人にさえ、ブレシア人とベルガモ人の違いがはっきり分からないそうです。では、この2チームの対立はいつから始まったのでしょうか。それは1119年に始まります。

1119年といっても当然サッカーチームではありません。2つの都市が十字軍の資金捻出のために土地を奪おうとしました。そしてその土地の領有権を争う戦争が、記録上初の対立といわれています。900年も前の話です。それ以来中世には幾度も戦争が起きました。近世に入ると、オーストリア・ハンガリー帝国やドイツなど諸外国の侵略を受け、都市間の戦争は収まりました。そして1871年イタリアが統一され、都市間の軍事的な戦争の代わりに1900年代ごろにサッカーによる代理戦争が始まったのです。

では、2チームをそれぞれ見ていきます。チーム名の由来となったアタランタとはギリシャ神話の女英雄です。チーム名の愛称も”La Dea(女神)”。アタランタは、ベルガモ人の人生といわれるほどベルガモの地で愛されています。ベルガモの病院で赤ちゃんが生まれると、アタランタのベビー服を渡されるほどです。また、スタジアムに行くことを「アタランタに行く」というそうです。チームのスローガンは"La maglia sudare sempre(常にシャツを濡らせ)"。ここでもハードワーカーなベルガモ人の気質が顕著に表れています。

一方でブレシアは2つの動物をシンボルにしています。それは燕と雌ライオンです。前者は、大きな街の強豪チームに対し、果敢に突っ込んでいく燕を表しています。そして後者はブレシア市の市章に描かれており、街のシンボルです。前者は「V」のマークをユニフォームすることで表し、後者はチームエンブレムに描かれています。ブレシアの特徴として、ベルガモ人の動揺にハードワークをするだけではなく、長期間にわたる被支配の影響からか、「ひたすら耐えてディフェンスをし、燕のように素早く攻撃をする」がモットーとなっているようです。

以上で説明したように、すべてでそっくりなこの両チーム。しかし、その対戦は多くありませんでした。アタランタはセリエAで定着しているもののブレシアはセリエBが主戦場でなかなか昇格できませんでした。しかし、2019-20シーズンにセリエAに昇格し、ついに13年ぶりにロンバルディアダービーが行われることになりました。しかし、ブレシアがセリエBにいる間、熱心すぎるアタランタファンによるフーリガン的行動が問題視され、アタランタ側がファンクラブを結成。そこに入会しない限りスタジアムで観戦できないことになりました。また、チケットの価格が高騰。古くからのファンはこれらの制限に抗議。13年ぶりのダービーはブレシアのファンのみで行われました。これにはブレシアファンも、「こんなのダービーではない」とがっかり。第2戦も、コロナウイルスで無観客開催。そして残念なことにブレシアはセリエAから降格。13年ぶりのダービーマッチはすっきりしないものとなりました。ブレシアには早く再昇格してもらい、また楽しませてほしいものです。

以上のように、一言「ダービーマッチ」といっても、サッカークラブの価値観の違い、古くからの政治的怨恨、同族嫌悪と様々な感情によって成り立っているのです。中世から都市国家として発展していったイタリアは現在でも「イタリア人」という意識よりも「ローマ人」や「ミラノ人」といった、その町やコミュニティに強いアイデンティティを持っています。そのため、それぞれの街のサッカーチームに強い愛着を持っています。そして、コミュニティを大切にするイタリア人は、自分の「家族」のようにチームを応援するのです。その一方で、その「家族」をけなすものに対しては徹底的に抗戦するのです。このようにして、熱狂的なファン文化がイタリアで形成されていると考えられます。

2020-21シーズンがヨーロッパ各国で開幕しようとしています。ファン文化に注目してみるのも面白いと思います。


参考文献・映像:

calciofinanza.it(2017.3)

COPA90 Stories(You Tube Channel)

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