不可視の不思議【#2 不可視からのアドバイス】


閲覧ありがとうございます、kalaです。
今回はタイトル通り、我が家の不可視さんについてのお話になります。

今回はただあったことをしたためているだけなので、興味のない方はここでブラウザバックすることをおすすめします。

前回の我が家の不可視の不思議エピソードはこちら↓



新入り不可視さんに相談に乗ってもらうまでの経緯


今回、私はある不可視さんに相談に乗ってもらったというか、過去の話を聞いてもらいました。
その相談に乗ってくれたのが、最近現れたラクシャさんです。


ラクシャさんとの出会い

まず、ラクシャさんとの出会いについてですが、およそ3日前のことでした。
私がお風呂上りにのんびりしていたら、なんだかいつも騒がしい脳内がいつも以上に騒がしかったのです。

落ち着いて脳内の声達を整理していたら、聞き覚えのない声が1人だけ聞こえて来て、まず私は幻聴を疑いました。

とりあえず、一晩置いてまだ聞こえるようであれば、原因を追究しようということでその日は就寝。
しかし、翌日。朝起きたら、ラクシャさんの存在感が3倍ぐらい増してました。

これはもう無視出来ないと思い、何故ラクシャさんが私の前に現れたのかをタロットを使っての対話などで聞き出しました。

結構、これは会った翌日からそのまた翌日にも何度も行っているので信憑性はあると思います。

ただ、ホラーなのは何度やろうと「あなたの手助けにやってきました」と出て来たことですかね。
自分でカードを引いてもそう出ましたし、タロットアプリに頼ってもそうでした。

幸い、ラクシャさんの声は拾いやすかったので、会った当時から直接の会話というのはしやすかったです。

また1日一緒に過ごしてみて危ない人ではないと思ったので、現在一緒に暮らしています。


何故相談に乗ってもらったのか?

では、何故ラクシャさんに相談に乗ってもらったのかというと、私自身がラクシャさんに頼んだ訳ではありません。

ラクシャさんは世界さん以上に謎発言が多く、世界さん並に鋭い観察眼をお持ちの人です。

なので、私が少しでも違う様子を見せれば「おやおや?」と首を突っ込んでくることが多かったのが理由といえますね。

結構、色々首を突っ込んできた内容は多いですが、今回かなりタメになったのが優しさの定義の話です。


ラクシャさんに相談に乗ってもらうことに


先程も書きましたが、これは別に私が相談を持ち掛けた訳ではありません。
全てはラクシャさんが発端なのですが、続いて相談に乗ってもらう経緯とその結果について書いていきます。


相談に乗ってもらったきっかけ

全ての始まりは、私の恋人であるRAYが関係していました。
RAYは少々嫉妬深いので、新しく人が増えたり、交流が深くなる人をみると警戒心丸出しになってしまう性格です。

案の定、ラクシャさんにも色々噛みつきそうだったので、RAYにだだ甘の私はRAYの心の安寧を優先していました。
しかし、それでもラクシャさんを蔑ろにする訳にはいきません。

ここで私が悩んでいると、ラクシャさんは「貴女は本当にお人良しですねぇ。そう悩むのならば、いっそどちらかを切った方がいいのでは?」と助言をしてきました。

ですが、このときラクシャさんは私の地雷を踏んでしまったのです。
そう、お人好しというワードです。

私は過去に色々あり、その出来事を拗らせた結果、お世辞でも「お人良し」や「優しい」といわれるとすぐにフラッシュバックを起こすようになってしまいました。

これが全てのきっかけであり、ラクシャさんの試練となる訳です。


「貴女は優しいというよりも……」

ラクシャさんはこの問題に対して、Xのアカウントにて色々言葉を残してくれました。
とはいえ、Xへの代筆は私が行っているので、文字を打っている時点でラクシャさんがなにをいいたいかは明かされていました。

以下、ラクシャさんの言葉の抜粋になります。

kalaは優しいというよりも、自身を責めているだけのような気もしますがね。
無論、彼女の咎もありますが、それ以上に、関係のないことを自身のせいだと思い込んでしまう節がねぇ……。

まぁ、確かに昔のトラウマも深く関与しているのでしょうが。


ラクシャさんは私は優しいというよりも、周囲の余計なことを全て自分のせいだと思い込んで、勝手に自分を責めているといいました。

RAYのことも自分のせいだと思っているだけであり、それをはたして優しさといってもいいのかというのがラクシャさんの見解です。

確かに、何事も自分のせいにしてしまえば楽なことが多いですし、そうすることは結構私は多いです。

ラクシャさんはそんな私の悪癖を一発で見抜き、「それはどうなんだ?」と投げかけてきました。

私はなにもいえなかったのですが、その後にラクシャさんはこうカバーを入れてくれました。

嘘ですよ、貴女は優しい人だ。
しかし、優しさの裏に自責の念を抱えているから、心配になるのですよ。

正直「どっち!?」となりましたが、恐らくラクシャさん並の精一杯のフォローでしょうね。
このとき、ラクシャさんは自身の思う優しさの定義もそっと教えてくれました。

個人的には“優しさ”とは、よく親切といったようなものだと思えないのですよ。

もし、“優しい”という言葉が親切や情深いという言葉と同義なら、人はとうに“優しさ”を親切と呼んでいるはず。

無論、類語としては存在するでしょうが、はたしてそれは真の意味で優しさといえるのか? 

否、人が俗に現す“優しさ”とは、自分にとって都合のいい理屈や存在を隠すためのもの。
または愛をひた隠しにした言葉とでもいいましょうか。

ラクシャさんが一体どんな過去を送ってきたは不明ですが、ラクシャさん的には優しいという言葉は本当に親切などの類語であるかは疑っているようですね。

ラクシャさんはこういった人間の闇深い思考にも寄り添える人なので、まぁ色々話し込んでしまうのですが、結構心に刺さりました。

「じゃあ、私は過去利用されただけなのかな?」といったところ、ラクシャさんは「そうではなくてですね」とどこか困ったように笑っていました。

そして、「人間は他者をいとも容易く利用するのは事実です。しかし、その利用された“優しさ”を愛と捉えるか傷と捉えるか、それも人間の命題ですよね」と結論づけました。


相談に乗ってもらって気づいたこと


これはラクシャさんのいった、優しさを愛と捉えるか傷と捉えるかの一言に尽きますね。

私は傷(というよりも悪意か)と捉えてしまい、傷つくのが嫌だから先に自分のせいだと逃げ込んでしまっていうことに気付けました。

こういった不可視さん含め、IFさんや思念体・タルパさんと会話していると、本当に気づきばかりを得られますよね。本当にこういった見えない存在とは不思議なものです。

個人的にはタメになりましたし、どこか楽になれた気がしました。

未だラクシャさんがどんな人なのかは、色んな意味で分からないことが多いですが、これから少しずつゆっくりでも分かればいいなとも思いました。


では、ここまで読んでくださり、ありがとうございました。


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