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『からこといのち通信 №27』9月号(人間と演劇研究所 瀬戸嶋 充 ばん)2022/8/30 発行

『からこといのち通信 №27』9月号(人間と演劇研究所 瀬戸嶋 充 ばん)2022/8/30 発行

グラウンディングという。

大地と足の裏の境界が無くなる。樹木が深々と根を下ろし、植物として地面から生えているように、私は立っている。
これがグラウンディングである。地に足を着けるともいう。

地面からから樹液が流れ込み、私たちを立ち上がらせている。立っているのが気持ち良い。
バケツを持って立っていなさいと言われれば、大喜びで何時間でも立っていそうである。

私たちは、このようにして立ち、そして歩く。

グラウンディングをするとき、足の裏や大地に意識的に注意を向けて、立つのだと言われる。
そんなことを言う指導者を信じてはいけない。

グラウンディングが成り立つためには、足の中身の緊張をほどけば良い。
体重に任せて立ち、足の中身の通り道がひらくように、膝を両手で前後から支えて、水平面に円い軌道を描くように、ぐるぐる回してやれば良い。
足の中身を空けてやれば、足の裏から大地へと体重が流れ込み、交流を起こす。
やがて、大地と私の間の境界が、失われて行く。

意識というのは、あなた(地球)と私の間に、線引きをする働きがある。
注意を向けるほどに、境が際立つ。
グラウンディングではなくて、足の裏と床との身体接触である。
私と床の関係は、一体ではない、物と物との接触である。
意識を向けることからグラウンディングへとは、発展して行きようが無い。

地面という対象と一つになりたいのなら、意識は地面に直接向かってはいけない。
水平面において、緊張の解放に意識を向けるのである。
結果、私と大地とは一つになる。

否、分別なんて意識が造った幻である。もともと大地と私の間に境などない。
私=大地である。

声を出すのも一緒だ。

声を出そうと一生懸命に力を入れて、相手に向かって頑張る。
そうではない。ひらいてやれば良い。蓋を取るように、ドアを開けるように、声が出るのを妨げる緊張を除けてやれば良い。

緊張による障害を外された「こえ」は、喜び勇んで相手に向かって飛び出して行く。

「声が出ていない!」と頑張らさせる指導者がいる。努力が足りないと、困っている人を攻め立てさえする。
当人も、言われたとおりに努力をして声を出す。声の化粧は覚えるが、本当の声はまず出ない。
嫌になって、声のことは自分には合わない、ダメだと決めつけてしまう。

そうではない。誰もが素敵な声を身内に潜めている。声を出したいならば、力を抜いて蓋を開けるのだ。閉じ込められた声が相手に向かって響きだす。
普段ないことなのでちょっと勇気がいるが、その気持ちよさにこっちのほうが本当だと思えてくる。

声の誕生に立ち会っている私どもの顔も、柔らかくほどけてくる。
声は人の心を開放する。
声は開かれ、出て行くのである。

瀬戸嶋 充 ばん

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【1】 クラウンのこと
【2】 あまねとばんの交換日記
【3】 レッスンのご案内
【4】 あとがき
【5】 バックナンバー( ばん|note )

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【1】クラウンのこと

あれは若かりし頃。30歳になったばかりのことだろう。クラウンのレッスンというのを受けた。

フランスのルコックさんが始めたレッスンで、マスクを着けることで、自己の深層を開放していく。
炎になったり、鬼や笑いなど、さまざまな仮面をつけて、その集中度を見て行く。

そのレッスンの頂点に「クラウン」というのがある。あの丸い赤鼻をつける。
世界で一番小さな仮面である。最も自分らしい自分の仮面でもある。
世界でたった一つの、自己を露わにすることで支えられるマスクである。

私はルコックさんのお弟子さんの、小谷野洋子さんから指導を受けた。
赤い鼻を着けて、みんなの前に立ち、自己のクラウンを演じてみる。
いうのは簡単だが、やるのは大変だ。

幾重にも埋もれた自己を破って、舞台の上に本当の自己を差し出す。
度を越えた、深い集中を求められる。
頼りは、観客の反応である。観客を笑わせることが出来るかどうか?
それも、表層的なお付き合い笑いではない。
腹を抱えて笑うような、笑わずに居られないような、腹わたが引きちぎれるような。
観ているものも体力がいる。

「ああやってもダメ、こうやってもダメ、ありとあらゆることをやりつくしたところに、
どうしようもなくなって立ち尽くしたところに、クラウンはやって来る。」
なんて、言い方をする。

まるで禅の悟りである。

クラウンは、一日やそこらでは見つからない。
何か月にもわたる、課題の遂行が必要だ。それでも見つからない場合もある。
厳しいレッスンである。

けれども場の集中度は上がっていくので、レッスン自体が演技者の集中力を鍛えることになる。

今回は、3日位の短いレッスンである。
一通りの工夫はするが、すぐにクラウンが見つかるものでは無い。

でもこの時に、私は小谷野さんから指摘されたことがある。
「ばんのクラウンは、障がい者のクラウンだね。クラウンの世界では一番偉い、一番、位が高い。」
こんな言葉を覚えている。

障がい者のクラウン。30数年前に指摘されて以来、このことばの意味が、私には結びつかなかった。
私は、障がい者ではないと思ってきたし、障がい者には気を使ってきた。

ところが障がい者のクラウンが、障がい者の世界で一番偉いとすれば、逆にこの現実の世で、私は一番偉くない。一番地位が低いのではないか・・・?

じつはもう何年も前から、一人でレッスンをしているのだが、稼ぎが付いてこない。
それでもカスカスの貧乏で、凌いでいる。
国のコロナ補助金に頼ったり、親のすねをかじったり、稼ぎが無いのだけれど食えなくなるわけでは無い。
実際今も、あと残るところ3か月分くらいの貯金があるだけだ。

いつも貧乏である。でもレッスンを希望の光にして過ごしているから、苦痛はない。何とかなるだろうくらいに、おっとり構えている。
けれどもさすがに最近はぎりぎりで、これ以上はもうレッスンを止めるときかと、考えたりする。

そのうえ5月には糖尿病の診断である。糖尿病の辛いところは、食制限である。毎日メニューの作成と、食事の作成、食べて片付けて3時間。
一日に自分のために使える時間が無い。なんと9時間は自分のご飯に取られているのだから。バイトも出来ない。治療もできなくなるだろう。

それがここに来て、「俺は、世界で最低の人間では無いと思っていたのが、間違いだった。それは自分の個性を認めないことだ。何もできないならば、何とかしようなんて考えないで、何もできないままに、好きなことをしていればいい。」と考えた。

同時に、私は私になった。障がい者である。特に発達障がいがある。世間に適応しようとすればするほどに、そもそもが無理をしていたのである。
空気など、どんなに努力をしても読めない。だから人間関係を持てずにきた。何とかしなければと、自分を責めてきた。
コミュニケーションレッスンなど自分のためだったのだ。

それが自分の障がい者性を認めた時から、レッスンも変わった。参加者からは、「透明になった」と言われた。「もうすぐお迎えか?」などと冗談を返したが、自由になったという事だろう。

自分を縛っていた、よくあろうとする緊張が外れたのである。努力してもダメなものはダメなのである。
クラウンの意味が、今になってようやく見えてきた。

瀬戸嶋 充 ばん

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【2】あまねとばんの交換日記

あまねさんは、美大出身で油絵専攻、インタビューをライフワークとして、現在は子育てに奮闘中。
( あまねさんの最近の記事は「あそどっぐ インタビュー」 https://note.com/kobagazin/m/m52dc197ffbaf )


(8月29日(土)14:38)

あまねさん

いかがお過ごしでしょうか?

秋が来ていますね。
肌寒い風に身を晒していると、息が深くなるのを感じます。

さて、いろいろと考えてみるのですが、どうやら私は、ようやく自立したようです。
といっても経済的なことでは無くて、自分のスタンスについてです。

竹内敏晴との出会いから、40年の月日が過ぎました。
竹内の考え実践した「からだとことばのレッスン」を自分のものにしよう、その意味と実践をわかりたい。

そのことを願いずっと続けてきたのです。
ところが、なかなか正体が分からない。

だけではなく、世間一般のワークには否定の意見が膨らみます。
皆と共同するところから、離れて行くのです。
孤独になっていく。

今になって言えるのは、竹内レッスンは何かのためのレッスンではない。何かが出来るようになったり、自己を進歩させたりと言った意味を持たない。

一言で言えば、集中力を鍛えるレッスンです。その果てに見えてくるのが、自己なのです。
ここから先は何が起こるか分からない地点に立ち、一歩を踏み出す。そこにやって来る何かがある。
正しいかどうかよりも、自分にとってそこでの体験が、どんな意味を持ってくるのか?

レッスンをやるということは、結局、誰のためでもない。自分のためなのです。
このことについては、私も竹内と同じ道を、知らず知らずのうちに歩いてきました。

そしてその果てに見えてきた自分は、竹内とは違います。当然のことでしょう。
集中とは、誰とも比較や関係性を持って語ることの出来ない、絶対的な自分の個性と出会うことですから。

今や竹内の個性について、私は語ることが出来ません。竹内の道を歩いてきたつもりが、実際には私独自の道を歩いていたのですから。

勿論、竹内以外の様々な実践者とも私は異なるのです。誰か共有できる人が居ないものかと、事あるごとに打診をしながら、私は歩いてきました。孤独が辛かったし、怖かったのだと思います。手に入るはずのないものを私は求めていたのです。

これからは私独自のレッスンが形作られて行くことでしょう。その中心は私の「からだ」の特徴・個性に添うたものとなるでしょう。私の集中は、他者の「からだ」と私の「からだ」が、境を失い一つになること。

他者の「からだ」を、自分のこととして体験し、開かれた「からだ」へと共に超えて行く。それがレッスンです。そこに他者と私を超えた存在=無意識が生まれて動き始めます。賢治童話の物語のキャラクターの姿が鮮やかに姿を顕わすのです。

さらに、これを集団の力=場の力としていくのが、私の望みです。

人と人の間に距離はありません。いつも一つに響き合っている。そこのところから始まる実践の道を歩んでいくことが、私のこれからでしょう。

こんな自分を発見するために、二年以上にわたる交換日記を続けてきたようです。この通信もそうですが、誰かのためではない、私自身のために「書く」ことをしてきました。

書かなければ、スタートに立つことが無い。自分の考えを持てないのです。自分を晒して、自分の中の矛盾と対面していく。そして繰り返し自己の嘘を見出して行く。書くことで、自分の歩く道を舗装して仮設しては、歩いていく。そんな作業ですね。

その頂点に立ち、いまはどうするか迷っています。「書く」ことの役割はとりあえず終えたようです。通信の位置づけが変わります。これから先、書くことにはどんな意味があるだろうか?

そんなことを、秋の曇り空からの風を受けて考えています。

ばん


(8月30日(火)17:02)

ばんさん

メールよんでまず、
とにかくまあ、またいっしょにぷらぷらお散歩でもどうですか?
と昨日もおもいましたが、やっぱり今日もそう思います。
とはいえ、ばんさん食事の計算で大忙しと聞いていてなかなかデートにさそいづらいな・・・とも。
そんなふうにモジモジ思ってきた数ヶ月だったのですが。

こちらは中旬から由がもちかえった病気で、
(府中きてからほとんど実家に住んでいます)
大人たちも全員たおれ、由はいちぬけぴ! 大人たちもゆっくりゆっくり回復中・・・
なので、いますぐ!はむずかしそうでもあるのですが。まだジジババわたしはゲホゲホやっております笑

「ここから先は何が起こるか分からない地点に立ち、一歩を踏み出す。そこにやって来る何かがある。
正しいかどうかよりも、自分にとってそこでの体験が、どんな意味を持ってくるのか?」
というの、本当にそう思います。
頭だけで考えるとどうかんがえてもクレイジーなこと、
社会からみてもしかりなこと。
魔女狩りの時代に魔女が魔女であることをかくさないことが、
どれだけ危険なことであるかも、わかっていても、
魔女が魔女として立つことで見えてくる景色を、
見ないで死ねるかこの野郎。見ずに生きてられるかこの野郎。
ていうかあたしゃ魔女として生まれたんだこの野郎、魔女として生きさせろこんちくしょう。

そういう、魔女の交換日記として、わたしは捉えておりますけどね、この先はどうなるんでしょうね。
お会いして、生身でブレイクいれてみるとまたちがうかなあと思いますが、ばんさんはいかがでしょう。

その後、ばんさんのからだのちょうしはどうかな?
どうぞ無理なきところで〜。

あまね


(8月30日(火)18:28)

あまねちゃん

たいへんな中で、お返事ありがとう。

だから、やっぱり何とか続けるかと考えてしまうのですね。

お弁当デートが出来ますよ。

朝起きてご飯を作って食べて、その時にお弁当を作れば、10時半くらいから会って、3時くらいまで。
合うのは、とりあえず府中本町あたりかな。

落ち着いたら、デートしましょう。

宜しく。

ばん

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【3】 レッスンのご案内

● 無料体験会のお知らせ
レッスン体験会を開きます。
https://ningen-engeki.jimdo.com/%E7%84%A1%E6%96%99%E4%BD%93%E9%A8%93%E4%BC%9A/

● 神戸市東灘区 ゆらゆらワークの会主催WS
『「からだ」から始まるコミュニケーション入門 』
2022年9月3日(土)~4日(日)
https://ningen-engeki.jimdo.com/2022%E5%B9%B4%E7%A5%9E%E6%88%B8%E3%82%86%E3%82%89%E3%82%86%E3%82%89%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%81%AE%E4%BC%9A-9-3-9-4/

● 伊豆川奈 秋の合宿
2022年10月8日(土)~10日(月)
https://ningen-engeki.jimdo.com/2022%E5%B9%B4%E7%A7%8B-%E4%BC%8A%E8%B1%86%E5%B7%9D%E5%A5%88%E5%90%88%E5%AE%BF-10-8-10-10/

● 神戸市東灘区 ゆらゆらワークの会主催WS
『「からだ」から始まるコミュニケーション入門 』
2022年11月5日(土)~6日(日)
https://ningen-engeki.jimdo.com/2022%E5%B9%B4%E7%A5%9E%E6%88%B8%E3%82%86%E3%82%89%E3%82%86%E3%82%89%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%81%AE%E4%BC%9A-11-5-11-6/

● ワークショップ・合宿などのイベントのご案内は Facebookページ https://www.facebook.com/SensibilityMovement に「いいね!」して頂ければ、詳細が出来次第、FB通知でご案内します。

● オンライン・レッスン『野口体操を楽しむ』のご案内は、
https://ningen-engeki.jimdo.com/%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3%E6%95%99%E5%AE%A4/

● オンライン・プライベート・セッション開始
http://karadazerohonpo.blog11.fc2.com/blog-entry-370.html

●「出会いのレッスン☆ラジオ」https://www.youtube.com/playlist?list=PLnDMDlLE0m1LaDrvijAQA8RwzaiNAAdpZ
番組表は、https://ningen-engeki.jimdo.com/

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【4】 おあまり(あとがき)

● 糖尿病の食事制限は大変だ。食材のカロリーをもとに、組み合わせを割り出し料理を設計する。そして設計に基づいて調理をして、食べて、片付け。その間なんと3時間あまり。一日にすると9時間。ほとんどの時間、食事に明け暮れる。
けれども効果は抜群だ。インシュリン注射が必要な血糖値が、僅か一か月で定常の数値に収まった。一日の基礎エネルギーを全食食べるという、漢方のやり方だけど、私は他のやり方を知らない。毎食、美味しくいただいている。
元々は長年続いた暴飲暴食。若いころから浴びるように酒を飲み、そのうえ甘いものが大好きと来ている。さすがに最近は酒の量は減ったが、発症寸前には、小豆の飴玉を食べるように舐めていた。一日半袋+饅頭一個が日課になっていた。
食べることにはだらしが無かったと、今更思う。
まあお陰様で、死ぬような思いをして、レッスンを含めて覚悟が決まったが。
こないだの伊豆では、参加してくれた人に、透明になったねと言われた。
影が薄くなって先が短いのかと、言い返したが、もちろんそんことは無い。
存在感が透明になったということだ。
余計なものが落ちたということだろう。
ありがたい話である。
(せとじま)

● レッスンに参加したいけれど、どうも内容の説明が分かりづらい。との問い合わせを受けました。レッスンの資料をホームページにまとめてみました。ご覧ください。
https://ningen-engeki.jimdo.com/%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%B9%E3%83%B3%E3%81%A8%EF%BD%97%EF%BD%93%E3%81%AE%E6%84%9F%E6%83%B3%E3%81%A8%E5%8B%95%E7%94%BB/

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● 私、瀬戸嶋 並びに 人間と演劇研究所『からだとことばといのちのレッスン教室』の 活動と情報は、ホームページで告知しています。
レッスンへ参加頂く際は、ホームページをご確認ください。
https://ningen-engeki.jimdo.com/

● 問合せ・申し込みは、メール karadazerohonpo@gmail.com 又は 電話 090-9019-7547 へご連絡ください。

人間と演劇研究所代表 瀬戸嶋 充 ばん

『からこといのち通信 №27』9月号 2022/8/30 発行

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