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小説:毒を吐く女上司

 このクソアマいつかぶち殺してやるからな。俺は今日も心の中で叫ぶ。申し訳なさそうな顔を作りながら。しかし、そんな顔をしても意味はない。目の前の女は俺の仕事のみならず人格の否定までも行うのだ。

 沢辻彩音。31歳で1歳になったばかりの息子がいる。産休を取り始めたときは天に上るほどうれしい思いだった。ようやくヒステリックな罵詈雑言を聞かずに済む。うれしさのあまり、仕事の効率もはかどったものだ。

だがしかし、この女は1年で帰ってきやがった。復帰したとき、皆は驚き、尋ねた。1歳の息子がいるのに会社に来て大丈夫かと。それに対して一年前と変わらぬゴミを見る目で答えるのだ。一年間かわいいわが子と一緒にいたのではないのか。子育ては外資に勤めているエリートサラリーマンが仕事の時間を減らして相手をしているらしい。それと、保育園もやってくれるとのことだ。そして、彼らに子育てを任せる理由はキャリアをあきらめたくないからだそうだ。部下を徹底的に怒鳴り散らして得るキャリアなんてさっさとあきらめてしまえ。子育てしろ。この馬鹿。旦那も稼いでるならこの女に子育てさせろ。

 子育てできないから人の心がないのだろう。子育てというのはいわば、弱き者を守り育てることだ。彼女にとってはそれが最も苦痛で苦手なことなのだろう。その証拠がこの状況だ。この私への態度を見てほしい。

 自分は足を組み、椅子に偉そうに座り、私を見もせずに、罵詈雑言を飛ばす。そして時々にらみつけ、周りから見られぬように私の足を蹴とばすのだ。対して別室にいる部長や常務にはいい顔を見せる。自分が気に入った部下にもそれは同様である。つまり彼女は自分が嫌い、もしく価値がないとしたものはゴミとしかとらえられぬ人間なのだ。

「わかったんならさっさといけよ」

 小声でこのゴミがと彼女は吐き捨て、自分のPCへ顔を向ける。そっぽを向いた女はいかにも無防備に見えた。この女ぶち殺してやろうか。つい腕が勢いよく上がる。でも、少しの理性がしっかりと仕事をし、何とか耐える。世の中で殺したいとまで思う人物が女になるとは思いもよらなかった。

「そんでさ、へんにスタイルよくてよぉ、顔もいいからほかのバカな男どもはさぁ、だまされちまってんの」

「かぁ、だめだ。何回聞いても腹が立つ。ちょっと美人だからって、甘やかされて自分の前にきれいにレールが引かれてるだけなのによ。自分ができると勘違いしてんだよな。そういう女は一回ぶん殴らねぇとだめだ」

 妙に電気が暗く、騒がしい居酒屋で目の前の酔っ払いがわめく。この酔っ払いの名は三坂平太。大学生以来の親友である。会社は違うが、家も近いので金曜日毎週飲んでいる。

 三坂平太は、まだにっくき我が上司の悪口と呪いの言葉を叫び続ける。そして、少し静まったと思ったら、呑んでお前も吐き出せと酒を勧めるのだ。

 酒はあまり強くない方で、いつも文字どおり吐いてしまうのだが、迷惑なんて一度も思わなかった。むしろ感謝をしている。会社には味方はほぼおらず、実家も遠く、彼女もいない私にとっては、唯一安心して愚痴をはける友であった。しかもそれだけじゃない。全力で私に同情し、私を肯定してくれる唯一の存在だった。

 そんな情に厚い男はついに泣き出してしまった。そして、ひときわ大きな声でわめきだす。

「あんまりだぁ!!! お前はこんなにもいい奴で、才能にあふれている奴だというのに、その男をゴミだカスだと切り捨てるなんて、この世界はどうにかなっている」

 おいおいと泣き喚く三坂の姿につい、私の目がしらも熱くなってしまう。

「おいおい、泣くなよ。友よ。漢は黙って世の荒波に耐えるものだろうがよ」

「お前も泣いているじゃあないか! こんなことがあっていいのか! この世はどうもおかしい! わが親友に厳しすぎるぞ」

 三坂は泣きじゃくり、俺の肩をたたく。俺は乱暴に焼き鳥を食らった。何度も焼き鳥を食らった。そしてそれを俺がトイレで吐き、その後三坂が長いトイレに入った。三坂の目は座っている。酔っぱらって座っているのではない。酔いがさ待った座り方をしている。

「やるぞ。もう俺は我慢ならん。日曜日アジサイ公園で会おう。あそこにはキョウチクトウも植わっている」

 感動してしまった。情に厚い男とは思っていたがそこまでやる男だとは思っていなかった。

「わかった。日曜日だ」

 俺と三坂は力強く握手をした。感謝の念を込め、会計はすべて俺が払うことにした。
 
 日曜日、待ち合わせの時間の20分前。アジサイ公園で待っていると、何か悪寒が走る。なぜかは分からないが、影に隠れ、周りを確認する。それを見ると肝を冷やした。女がいる。沢辻だ。奴がここにきている。

 恐れと同時に怒りのボルテージが一気に上昇してゆく、一瞬で腹の中は煮えたぎる。俺の貴重な休日にすら視界に入りやがって。何なら今すぐにでも……。

「ママ! 見て!」

 子供がクローバーの王冠を女の頭に載せた。女は、ごはん中にお行儀悪いでしょと言った。しかし、その言葉とは裏腹に口調と表情は柔らかく、何の抵抗もなしに息子が渡したものを受け取った。

「ママ! ママ! 大好き! ずっとママと一緒がいい!」
「でも……」
「だったら、おれのあげる! 明日も遊ぶ!」

 男の子は女にパンの切れ端を渡した。

「そうね……もうちょっとナオくんと遊べるように会社にお願いしてみよっか」
「やったぁ!」

複雑な気分だ。この雲がかかったみたいな気持ちは朝を迎えれば晴れるだろうと思った。しかし、一向に雲は晴れてくれない。そのせいか仕事も進まない。

 唸っていると、私のそばを通り過ぎる際誰かがハンカチを落としたのが見えた。それを俺は拾い上げ、その人物に渡す。

「ッチッ! 触んなよ。ンなことよりさっさと仕事進めろよグズ」

 沢辻彩音はゴミを見るような目で俺に言った。この野郎。瞬間、俺のはらわたは煮え、その熱で俺の中にかかる雲は晴れた。

 俺はカバンの中のビニールをまさぐる。その中には大きなはっぱに木の枝そしてピンクの花が入っていた。

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