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電車に揺られて本を読む

 電車の中でスマートフォンを触るなんて私にはとてももったいなくてもうできないのです。ですがお気持ちはわかります。かつては私もそうだったのですから。

 朝、電車を乗る時というのは十中八九行きたくない場所に運ばれている時です。しかも、これが眠たい。本来その時間、人間というものは家から出ていたくはありません。いえ、布団からさえも出ていたくないのです。そうでなければ私は、スマートフォンのやかましく心臓を逆なでる電子音を毎晩セットすることはありません。

 それで迎える朝というのは理想の朝ではないのです。理想の朝というのは朝の陽ざし自然とで目を覚まし、自然と伸びをし布団から立ち上がり、その足でトーストとベーコンエッグを作り、その後、足を組み椅子に半分腰かけ、何か読み物を読みながら焼きたてのパンと目玉焼きをかじることなのです。目覚ましが鳴る時点でその朝は迎えられません。ですが現実というのはさらに厳しい。その朝を迎えられぬどころか普通のトーストを焼く暇もなく、私は奴隷船に詰め込まれるわけです。だからこそ、せめて脳だけは甘く快楽にまみれた電子の海にどっぷりと漬け込んでおきたいのです。

しかし、一方でこういう考え方もできるはずです。本来得るはずの豊かな朝を取り戻したいし、耐え忍ぶ戦いではなく、反抗をしてみたいと。現実の思い通りにはさせたくないと。つい私はそのように思想が向かってしまうのでした。

 ではどのようにするのか。さすがに、私と同じく辛い場所に運ばれている彼らに対して迷惑をかけるわけにはいきませんから、ここでベーコンエッグサンドを頬張るというのは選択してはいけません。うとうとと夢を見るのも魅力的ですが、それを目標に電車に乗り、その後、座ることなく電車から降りてしまうようなことがあれば、その一日はいったいどうなってしまうのでしょうか。であれば、やはり読み物を読むのがいいでしょう。読む者によっては夢を見ることだってできますし。

 そうやって私は静かな抵抗として通勤電車の中、読書をすることに決めました。そう決めたのはいいものの私は不安でした。電車の中で電子機器とともに快楽物質に溺れる気持ちよさというのは毎日体感するものでしたから、心が強くない私はそれにあらがえるか心配でした。ちょうど、非暴力不服従に賭けマハトマガンジーと塩の道を歩いた虐げられる民たちの気持ちに似たところがあったはずです。もう、ガンジーにすがるしかない。しかし、それは弱肉強食の世の中抵抗の一切もせずに行進することです。この行為を人々が行うにあたって暴力に蹂躙される恐怖が伴わなかったというと嘘になるでしょう。しかし、えいやと抵抗を行ってみると、暴力は相手ではなかったのです。それは快楽という一種の暴力に対しても同じでした。

 電車と本というのはとても相性が良いものです。そして、その理由は電車という空間にあります。電車というのは不思議な空間の中です。第一に外との気温の違いというのがあるでしょう。外が暑かろうと電車の中というのは涼しく快適です。しかし、それだけで不思議な空間というのは無理があります。でも、やはり電車の中というのは違和感があります。その原因は光にあると私は思います。電車の窓はとても大きく、たくさんの光を車内に取り込みます。そのおかげで外とあまり明るさの変化というのはない。外にいるかのようなの明るさであるのに、外と違う温度というのが電車を不思議な空間にしている要因の一つであります。

 それに加え、とらえ方によっては車両というのは一つの大きな部屋であると言えます。私が住むアパートより広いでしょう。そのアパート以上の部屋が移動し、一定のリズムで私たちを揺らすのです。

 ですから、そのちぐはぐさに、物語がすっともぐりこんでしまう隙が出来上がり、本を読んでいる時の電車の中は本の中の世界と錯覚してしまいそうになってしまうのです。

 そのまま、その感覚に飲み込まれてしまったら私は電車を降りることはできないでしょう。しかし、これも電車の面白いところで駅に着き、ドアが開くタイミングで、その夢見心地な空間はふと緩み、ドアの外から出て行ってしまうのです。その時はいつも、ドアの外を眺め恨めしく思うのですがたいてい、電子の海に溺れることなく同じことをやっている人が一人はいるのです。そして、互いに「ほほう、私と同じく分かっているのですか。しかし、あなたも物好きですね」とほんの少し目を細め、再び同志と夢の中に入り込むのです。

 その夢と現実の境がゆらゆらと揺れる感覚を知ってしまえばもう、それを体験しないわけにはいきません。それで今日も本を開いているのです。目的地の前の駅に着き、扉が開きます。顔を上げると、高いビルの後ろには真っ青な透明な空が私を見下ろしています。今日もいい朝だったと思いながら私はページをめくります。ここまでくると、夢のような時間はもうおしまいですが、ページをめくるたびに、まだつかないでくれ、せめて区切りのいいところまでと願います。しかし、電車は無慈悲に進み、物語を途中で寸断させてしまうのです。ため息をつきしおりを挟みながら仕方なく電車の外に出ます。

 電車の外の空気は風船のように膨らみ、粘りっこい熱を帯びています。ビルの輪郭がゆらゆら揺れるようです。この空気とゆらゆらは脳内をピリリと刺激します。私の頭の中には夢の残り香がずっと漂い続けるのです。

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