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小説:不謹慎な霊媒師

「ああ、行かないでもうちょっとだけ、もうちょっとだけここにいて」

「だめなんだ。順子。俺はもう死んだ身。浮世に長くいられない」

「だったら最後に抱きしめて」

「わかったよ」

 二人は互いに抱擁し、まだ男に質量が残っていることを確かめ合う。

「どうしていけばいいの? あなたなしで」

「君なら大丈夫だよ」

 男の足が消えてゆく。

「大丈夫なんかじゃない! だからこうしてここに来たのに!」

「いいや、大丈夫だよ。君は強い」

 男の体は腰より上しかなく、指の先も存在していない。女は男の体に絡みついた腕をほどき、男の顔を両手で覆った。

「いかないで。私をまた一人にするのはやめて」

 男は女に優しい目線を向けるがゲームオーバー時間切れのようだ。首から下が消えてゆき、女の両手が空を切る。

「いかないでぇ! いかないでぇぇぇぇぇ!」

 女はへたり込み、空に手を伸ばすが何もつかめない。愛する人をまた失うことは耐えがたい不幸だろう。しばらく女はその場でへたり込みすすり泣いた。

 しかし、未亡人をその場で放置しておくわけにはいかない。酷なことだが声をかけなければいけないのだ。

「90分コース4万円です。お題払ってください」

 その場に座り続けられても商売あがったりだ。さっさとどいてほしい。何より、私はこの下手すれば地中はるか底までつぶされ石炭と化してしまうような重い空気からは早く逃れたい。

「ちょっと心の整理をさせて」

「すみません。そういうのは店の外でやってくださいな。未練たらしいですよ。風俗嬢に本気で恋をした男でも予約時間が過ぎれば店を後にしますよ?」

「サイテー」

「すみません。付き合っていますと私の身が持たないもので」

 女は4万円を私に投げつけ店から出てゆく。サイテーとはよく言うじゃあないか。イヤ、確かにかなりの後ろめたさはあるのだが。でも、これはれっきとした商売である。本来なら命を生み出す行為を娯楽のために消費する風俗と、死者を読みから呼び戻すこの商売は生と死のコントラストの違いはあればこそ、同じく生命の神秘を扱った商売であり、サイテーなものではない。しかし風俗は18禁である。そうなるとやはり死者をよみがえらせる行為は最低であるのかもしれない。

 一方でこの行為自体をサイテーと言っているのではなく、私の性格をさしてサイテーというのであれば耳が痛い話である。私には死んだ人をよみがえらせる力があり、ゆえに死の恐怖をさほど感じない。人が死に対し恐れるのは、もうこの世に存在しなくなることや、もう二度と会って会話できなくなってしまうといった感情に起因するのだろう。しかし、私はいつでも死んだ祖母に会えるし、話もできる。ゆえにこの場にきて感情を爆発させる客人たちに対して共感できないのである。

 私の客は金こそ沢山落としてゆくものの、皆死んだような表情をしてやってくる。それが毎日朝から晩まで列をなしてやってくるのだから私の気持ちも地に落ちてしまう。同情できる神経が備わっていれば多少は楽になるのだろうが、同情できるのであればこんな能力は持って生まれていない。ましてや、こんな能力さえなければこのような仕事はしないだろうに。ほかの仕事で働くことさえできればこのような仕事は今すぐにでもやめてやるというのに。

飲食の仕事は熱湯消毒をした陶器の茶碗は持てるのようなものではないので挑戦する気にはならないし、営業の仕事も酒が飲めないし人が苦手なのでとてもじゃないがやってゆけない。ああ、才能ならせめてこのような陰気な才能ではなく、人を笑顔にし幸せにできるようなあっと驚く身体能力や自分の世界を作り上げられる想像力などの才能を持ってこの世に生を授かりたかったものである。

 自分の両肩に降りかかる不幸を思い、そんな自分に対する慰めのため息を吐くと、店の扉が開いた。薄暗い室内に外のまぶしい光が陰気な職場を蹴散らすように入ってくる。ヒカリとともに入ってきた男もまた陰気な様子は感じられなかった。

「おや? お客さんお店をお間違えではないでしょうか?」

 彼の目には暴力的な輝きがともっていたので本当に風呂場か何かと勘違いしたのかと考察してしまう。

「イヤ、上司をよみがえらせたい」

 間違ってはいないがこの男がこの場にいることが間違っているような気がしてくる。しかし、私は不謹慎という感覚など持ち合わせていただろうか? 心は確かに揺れたが、その感情の揺れを外部に漏らさないのがプロである。

「いいでしょう。それならば遺品を出してください。遺品に付着した魂の残絵で読みから肉体と魂を呼び戻します」

 男は画面の割れたガラケーを取り出し、私に渡した。この残絵の量ならいけそうである。私は目を閉じて呪文を唱えた。

 私は天と肉体の綱引きをし、その戦いを制した。死人は現世に現れた。

「おう、田伏。どうだ元気にやっているの――ブヘェ!」

 依頼主である田伏はいきなり鉄拳を食らわせた。

「貴様! 実に面倒な仕事を大量に残して逝きやがって! おかげで毎日終電まで残業の日々じゃないか!」

「た、田伏! 上司に向かって何ということを!」

 上司は顔面を手で押さえながらも怒りをあらわにする。

「お前そういうところあったよなぁ! 今まで散々パワハラしやがってよぉ! でも! 今は! いい気味だぜ! もうお前を守る会社も法もないんだからなぁ!」

「わ、わかった! わかった! 悪かったから! だからやめてくれぇぇぇぇぇ!」

 その叫び声が店内に響き、田伏は殴るのをやめた。

「だったら、あの案件実際のところどうなってるのか教えろよ」

 その後は仕事の話をして90分を終えた。田伏は私に4万円を支払う。じつにすがすがしい、いい笑顔だった。

「ご来店ありがとうございました」

 田伏が店を出ると、静かで薄暗いいつもの店内に戻った。

「し、死体に鞭打つとは……」

 私は、これ以降依頼主のメンタルケアにも心がけることを天に誓った。

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