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ネガティブな思考にポジティブシンキングで対抗するのはどうやら無駄、いや逆効果

最近「思考を止める」ってことを自分の人生で実験してるような感じなんだけど、そうやってると、これまで当たり前にやってきたことが、すごく不思議に思えてきたりする。

その中でも最近よく頭に浮かぶのが、どうして過去の自分はあんなにも、嫌われること、悪く思われることを恐れてたのかってこと。
誰かに「あいつは仕事ができない」とか「あいつは調子に乗ってる」とか「あいつは人としておかしい」とか「性格悪い」とかって言われること、前はめちゃくちゃ怖かった。頭では「そんなこと気にしなくていい、言ってる方がおかしいんだから」とか「言いたい奴には言わせておけばいい」とか色々と理屈をこねて自分を守っていたけど、どこかでやっぱ、怖かった。
自分の理屈の壁の間をすり抜けて悪口が胸に刺さってくるのが、どうしようもなく怖かった。

例えば明日は子どもの保育園で親子遠足というのがあり、園児たちと共によく知らないママさんパパさんたちとバスでみんなで移動してお弁当食べたりっていうイベントがなんだけど、前の私ならめっちゃ緊張してたなあと思うわけ、こういうの。
「変な奴だって思われたらどうしよう」とか
「自分の子どもまで嫌われたらどうしよう」とか
「服装おかしかったらどうしよう」とか
「お菓子とか余分に持っていかなきゃダメかなあ」とか
「私以外のママさんたちがすでに仲良しで、輪に入れなかったら気まずいなあ、恥ずかしいなあ」とか、色々気になってた。

今もそういう気持ちが全くゼロってわけじゃなくて、なんかこう、友達できたらいいなー、うまく話せたらいいなーとはもちろん思ってる、思ってはいるんだけど、まあ、多分変な奴だとは思われるだろうなー。でも、誰か仲良くしてくれたらいいなー。ぼっちになったら、窓の外でも見てればいいやっていう感じ。
自分ってうまく周りに馴染めないなあとは相変わらず思ってるんだけど、そういう自分を恥ずかしいと思わなくなったというか。

いや嘘、いい大人なのにちょっと恥ずかしいとは思ってる。思ってるんだけど、それ以上のことがないんだよね。

ああ恥ずかしい奴だなあ私は。完。って感じ。

前なら、ここから長文の物語が始まってたと思う。

ああ恥ずかしい奴だなあ私は。いやしかしそもそも恥ずかしいなんて思わなくていいんだこんなこと。こんな遠足なんてイベントがあるほうがおかしい。こんな企画誰が嬉しいんだ。そもそも私には〇〇という感覚がまるでなくて、だからこういう集まりは(略)

みたいなのが。
これまでは

思考する>頭の中で喋る>それに反応してさらに思考する>さらに頭の中で喋る

っていう「思考のループ」を自然に生成してた。なんかそれが当たり前になってた。

思考のループが「嫌われてる」を作る

思うに「嫌われてるかも」とか「あの人たち、私の悪口を言ってるのかも」とかそいう風に過剰に他人の目線にビビったり自意識過剰になっちゃう時って、
この思考のループが暴走してる時だったんだと思う。

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