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幸せはつくらない、探さない、ただ選ぶもの。シンデレラが幸せになった理由とか

結婚するときに、相手に幸せにしてもらおうとするヤツは幸せになれない。
自分が相手を幸せにしてやろうとする人が真に幸せになれる、なんて話があるけれども、
アレは私から言わせると、真っ赤な嘘ですね。

もちろん、相手に幸せにしてもらいたいなんていう依存的な態度より、自分こそが相手を幸せにしてやりたいという態度のほうが見ていて気持ちが良いのはその通りで、そういう人の方が世間から受け入れられ、褒められる可能性が高いだろうけれども、じゃあね皆さん、世間から受け入れられて支援してもらえる、つまり、みんなに良い奴だねえって言ってもらうことが、あなたの幸せでしょうか?

本当のところ、
幸せにしてくれという態度も、幸せにしてあげるという態度も、どっちも不正解なんです、どっちも上手くいかない。

では正解は何かというと、
「結婚相手が不幸になろうと何だろうと関係なく、この結婚が上手くいこうと失敗しようと関係なく、私は幸せだ」ということを決意する、決めてしまうことですね。そういう結婚だけが、本当に上手くいく。

「愛とお金、幸せに必要なのはどっち?」なんていう議論もね、そもそも議論にならないはずなんですよ。

愛もお金も関係なく幸せな人だけが、幸せになれます。愛があれば、金があればと言ってる人はどっちが手に入っても幸せになれない。これが答えです。

幸せな人だけが幸せになれる、というのがこの世の仕組みで、ただそれだけなんですね。


幸せとは、探した人が見つけられるものじゃないんです。
不幸という状態から、幸せに「なれる」わけじゃないんです。なんだかの条件が揃ったときに、幸せというゴールにたどり着けるとか、そういうものじゃない。幸せに条件なんかない。ビンゴゲームじゃないんです。

継母と義理の姉たちにイビられていた哀れなシンデレラは、舞踏会で王子様と出会い、その哀れな環境から逃げ出した故に幸せになった、わけじゃないんです。

シンデレラは義理の家族からイビられようと、幸せであることをやめなかったから、幸せになったんです。シンデレラはたとえ灰をかぶった汚い姿であろうと、自分はプリンセスであるという自覚を失わなかったから、美しい姿に変身できたんです。
だってね、よく考えてくださいよ。普通の女が家族にイビられて家事を押しつけられて灰まみれの格好で暮らさせられてたら、自己肯定感が爆下がりして「私なんかが舞踏会なんかに行っても皆さんにご迷惑おかけするだけなんで…」なんつって家で皿洗いでもしてるはずでしょう。
百歩譲って舞踏会には行けたとして、王子様と踊ったりなんか無理でしょう。
シンデレラはなかなかどうして、たくましい女なのです。
そして事実、ああいう女だけが幸せになれる。


シンデレラとはそういう話だと私は思うのです。
多くの人が、あれを「たとえ不幸の中にあっても、清い心で尽くしていれば誰かが迎えにきて救い出してくれる」という話として解釈するのは、無理もないことだけれども、非常に残念なことだと思います。

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