「困った」は成長の種
人はどんなときに「学習しよう」と思うだろうか。「困った」と感じたときではないだろうか。
もうすぐテストがある。このままだと良い結果が残せないぞ。困った。どうしよう。そうだ勉強しよう。
どうも仕事がうまくいかない。困った。どうしよう。そうだ研修に参加してみよう。
いくらNOTEの記事を書いてもスキが伸びない。困った。どうしよう。そうだ文章の書き方の本でも読んでみよう。
こんなふうに「困った」と感じたときにこそ、人は自発的に学習しようと思うのだ。
しかし学校は、生徒に「困った」と思わせないように指導しているように思える。テスト勉強で困らないように補習をするから参加しなさい。宿題を出すからやってきなさい。社会に出たときに困らないように今からルールを守りなさい。マナーを身につけなさい。先生の言う通りやれば大人になっても困らないんだから、ちゃんと言ったっとおりにやりなさい…
はたしてこれで、生徒は成長するのだろうか?自分自身で「困った」と感じることがないまま、言われたとおりにやり続けていたら、卒業後に指示してくれるっ人がいなくなったときに、いきなり、あまりに大きな「困った」に直面して、立ちすくむか逃げ出すかしかできなくなってしまうのではないだろうか。これでは「成長した」とは言えないだろう。
学校は生徒を成長させるための場だ。だから、学校の仕事は生徒に「困った」を与えることだ。困らせることで初めて「学ばなきゃ」という意欲(必要性)が生まれる。生徒の中にこの意欲が湧いたときに、初めて「教える」に意味が生まれるのだ。
楽しい学校生活、いい思い出がたくさん詰まった学校生活。こんなものよりも「困った」がたくさん詰まった、大変な学校生活のほうが、生徒の成長につながるのではないだろうか。
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