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科学と技術と科学技術の倫理-Science, Technology and Ethics-

2024年3月11日、第96回アカデミー賞でクリストファー・ノーラン監督「オッペンハイマー」が作品賞を含む7冠を受賞したことが話題となりました。
この映画は第二次世界大戦中のアメリカで原子爆弾の開発計画「マンハッタン・プロジェクト」を指揮したロバート・オッペンハイマーを題材としたもので、世界的に話題となりました。

オッペンハイマーは理論物理学者であり、「原爆の父」とも呼ばれている天才科学者とされています。映画では、原爆の開発からその先に起こったことについての成功と苦悩を描いているそうです。

今回は、科学技術と倫理についてのお話をします。
少々真面目な話となります。



Introduction

科学(science)の営みの本質はソクラテス哲学における「無知の知」であり、科学者の好奇心に駆動されて森羅万象の客観的理解が基盤となります。それは真理の探究であり、本来は社会性に乏しいものでした。

対して、技術開発は国公私の多様なステークホルダーにより支えられ、同時に社会的期待と要請が寄せられるものとなります。

今日では、未知の事実の発見に向かう「科学」の営みと、「社会的需要」を解決するための「技術」の発明が、「科学技術(science and technology)」として一体的に捉えられています。

20世紀に世界は科学技術の大きな恩恵を受けるとともに、その都度新たな問題が生じてきました。

今回は代表的な2例をもとにお話していきます。

暴走する科学技術

マンハッタン・プロジェクトは、第二次世界大戦中に枢軸国の脅威に端を発したもので、アメリカ・イギリス・カナダが原子爆弾の開発のために科学者や技術者を総動員したプロジェクトになります。オッペンハイマーはその科学部門のリーダーでした。

原子爆弾の理論や構造、歴史についてはここでは書ききれないので省略させていただきますが、広島に投下されたリトルボーイはその威力はTNT換算で約16ktであり、爆心地から3kmの範囲は全建物の85%が消失するものでした。

後にオッペンハイマーは原爆投下による惨状を知り、原爆の破壊力や人道的影響、論理的問題に注力し、水爆の開発の反対活動を行いました。

先程の「科学」「技術」「科学技術」についてをマンハッタン・プロジェクトで言うならば、アルバート・アインシュタインの相対性理論の確立、オットー・ハーンのウラン核分裂現象の発見という「科学」的な営みが基礎となりました。
その基礎から、国家の「社会的需要」を満たすためのプロジェクトにオッペンハイマー他多くの科学者や技術者が原爆を開発する「技術」を発明しました。
結果、「科学技術」により、広島で約14万人、長崎で約7万4千人の命が、一瞬で、無差別に、失われる事となりました。

オッペンハイマーほかプロジェクトに動員された科学者が原爆を開発しなければ広島への原爆投下はなかったのでしょうか?原爆を設計した技術者がいけなかったのでしょうか?プロジェクトを計画した政府の問題でしょうか?

いったい、だれが悪かったのでしょうか?

安全性とリスク管理

もう一つ別のお話をさせていただきます。

1986年1月28日、アメリカのスペースシャトル"チャレンジャー号”を打ち上げ、その73秒後に分解、7名の乗組員が全員死亡するという大事故がありました。チャレンジャー号はテストのみで終わったエンタープライズ号に次いで2番目に製造され、宇宙航行に耐えうる初のスペースシャトルでした。スペースシャトル計画において初めて宇宙遊泳をした宇宙飛行士と、2人の女性宇宙飛行士を乗せていました。また、夜間に発射された初めてのシャトルでもありました。

そして、事故により宇宙飛行士が全員死亡した初めてのスペースシャトルでした。

この事故の原因を調査する過程で、ある事実が明らかになりました。

機体全体の分解は、右側固体燃料補助ロケットの密閉用Oリングが発進時に破損したことによるものであると判明しました。
Oリングは開発の段階で、低温時でシールが不十分となり、高熱ガスの漏洩により爆発事故が生じる危険性が危惧されていました。
打ち上げ当時の予想気温は-3.3℃で、O-リングの開発会社の技術者たちは打ち上げを反対していました。

しかし、契約元であるNASAの予定通りの飛行を成功させたがっており、また、次のNASAとの契約獲得を狙って技術者側の中止勧告を無視することとしました。
NASA側としても、翌日に控える大統領一般教書に伴い、中止することで今後開発予算が切られることを危惧していた背景もありました。

結果、7名の人命を奪い、数百万ドルのスペースシャトルを失い、NASAの評判を劇的に落としました。

この事件では、技術者の意見と今後の経営を天秤にかけた経営陣が悪かったのでしょうか?予算縮小を危惧するNASAの焦りが問題だったのでしょうか?では、本当に技術者側は説得に足る説明のためのデータを提示したでしょうか?

いったい、だれが悪かったのでしょうか?

科学者の社会責任

これらの歴史から、私たち、特に科学者や技術者はどのようなことを学ぶべきなのでしょうか。

科学と社会の役割について最初に明確にしたのは、マンハッタン・プロジェクトに参画していたジェームズ・フランクの『政治的・社会的問題に関する委員会報告』(フランク報告書)であるとされています。その中では、原爆を日本に投下すべきでないと明確に提言しています。
しかし、その主張も虚しく計画は実行されることとなりました。

チャレンジャー号では、O-リング製造の技術者たちは打ち上げに反対していましたが、結果はその主張は通ることはありませんでした。
もしも技術者たちが、低温とSRB接合部の焼損との間の関係をもっと明確に説明できていた説得できていたかもしれません。

チャレンジャー号の事故は安全工学、内部告発の倫理、コミュニケーション、集団的意志決定、集団思考の危険性などの研究においてしばしば事例研究として取り上げられており、大学等での教育現場でも取り扱われます。

科学者は、専門家としての知識や経験を社会に活かすという必要性が伴います。そのうえで、科学の持つ問題や危険性について専門家にしかわからないことを、科学者は公正かつ明確に伝えるという社会的責任があると言われるようになりました。

同様に、技術者はその専門性を活かすとともに、エンジニアとしての意見を上層部に適切に伝え、適切な意思決定が行われるようにする必要性が問われてきました。NASAでは現在、加えて内部告発(ホイッスルブロワー)に関する体制が整備されており、今後の再発防止のために努めています。

科学コミュニケーション

社会の発展や経済の成長が科学技術の成果や使い方に大きく依存するようになっている現代においては、正確な科学技術情報、科学技術の楽しさ、または科学技術の正負の側面も正しく伝え議論を促すこと、社会課題の解決や利害の調整に関わる関係性が求められるようになっています。
この科学の側と社会の相互方向のアプローチを科学コミュニケーションと言います。

科学と社会をつなぐ架け橋として、現在では科学コミュニケーターという資格が設けられており、科学館や研究機関をはじめとしてその活躍の場を広げ、その育成も科学館、博物館、大学等において広がりを見せてきました。

科学コミュニケーターについては、文部科学省の第3期科学技術基本計画より記載されています。

(科学技術コミュニケーターの養成)
科学技術を一般国民に分かりやすく伝え、あるいは社会の問題意識を研究 者・技術者の側にフィードバックするなど、研究者・技術者と社会との間のコ ミュニケーションを促進する役割を担う人材の養成や活躍を、地域レベルを含 め推進する。具体的には、科学技術コミュニケーターを養成し、研究者のアウ トリーチ活動の推進、科学館における展示企画者や解説者等の活躍の促進、国 や公的研究機関の研究費や研究開発プロジェクトにおける科学技術コミュニケ ーション活動のための支出の確保等により、職業としても活躍できる場を創 出・拡大する。

科学技術・学術審議会 研究計画・評価分科会 科学技術社会連携委員会(第6回)

サイエンスコミュニケーターは日本サイエンスコミュニケーション協会の認定する資格となります(JASC認定サイエンスコミュニケーター)。

確かに科学技術と社会の架け橋になるような存在は必要です。
しかし、それは科学者や技術者などの専門家に元来課せられている責務なのではないでしょうか。
科学コミュニケーション自体が特殊な技能なのではなく、一度大学や専門学校で専攻して科学技術を学んだ科学者や技術者として従事しているならば当然知っていなければならない、基礎的なものなのであると思われます。

歴史上、科学技術と社会のボタンの掛け違いにより多くの問題が生じていますが、そこには専門家としてのリテラシーだけでなく、科学そのもののエシカルな理解が必要であると考えられます。

科学的リテラシー

科学技術への理解は必ずしも専門家だけが持つものではなく、むしろ享受するすべての人々が当然理解しているべきことです。日本においては、国民が教育により得られるべきその能力が、科学的リテラシーです。

科学的リテラシーについては、文部科学省のPISA調査とTIMSS調査に定義されています。

(1)科学的リテラシーの定義
1.定義
 科学的リテラシーとは、「自然界及び人間の活動によって起こる自然界の変化について理解し、意思決定するために、科学的知識を使用し、課題を明確にし、証拠に基づく結論を導き出す能力」である。

2.特徴
・日常生活における様々な状況で科学を用いることを重視していること
 →科学的な原理や概念の理解にとどまることなく、それらを「生活と健康」、「地球と環境」、「技術」という側面から、日常生活に活用することを重視している。
・科学的プロセスに着目し把握しようしている。
 →科学的現象の記述、説明、予測、科学的探究の理解、科学的証拠と結果の解釈というプロセスに分類し、把握しようとしている。

資料4‐8 PISA調査(科学的リテラシー)及びTIMSS調査(理科)の結果分析と改善の方向(要旨):文部科学省 (mext.go.jp)

科学技術の方から能動的に手を伸ばすのではなく、社会側もそれを受け取るための理解を積極的に行える知識と思考を、個々が会得していることで社会としてより高いステップへと進めるのだと思われます。

科学技術立国というのは、ただ特定の秀でた大学の研究者におんぶ抱っこしてもらい研究力を見かけで高めるのではなく、社会として科学技術に対する理解を高め、国民全体でより高い次元に至るべきものなのではないでしょうか。

Conclusion

2024年2月17日午前9時22分すぎ、JAXAの国産新型ロケット「H3」の2号機は鹿児島県の種子島宇宙センターから打ち上げられ、目標の軌道に到達し打ち上げに初めて成功しました。

人々が空を見上げ、希望を乗せて飛ぶ一筋の矢は、成功をもってして国中に喜びを与えてくれました。

その1年前の同日、H3の試験1号機は補助ブースターの不具合により急遽打ち上げ中止となりました。
その時の記者会見で、共同通信社の記者が執拗に失敗であることを言い最後に「それは一般に失敗といいます」と吐き捨てていったことは記憶に新しいです。

成功か失敗かの二元論で語るなら、成功してもらわなければならないのは当然で、もしかしたら強行されたことにより事故が発生していた可能性があります。
過去を知り、科学技術について理解がある一般の人であればこの質疑が稚拙で意味のないものであることは明白だと思うのですが、まだ科学技術立国には遠いということでしょうか。

H3初号機も残念ながら打ち上げに失敗してしまいましたが、当時の原因究明を行った対策本部での木村真一座長(東京理科大学教授)は次のように述べています。

「私自身は成功と失敗の二元論は好きではなく、あるのはチャレンジとその結果。意図通りかは別にして、結果から汲み取り、次につなげるプロセスが最も大事だ。事象を真摯に追究し、十分な知見を汲んで報告書となった。次のチャレンジに向かうべき時に来た」

H3初号機失敗、背景に「実績重視、対策や確認の不足」文科省が報告書 | Science Portal - 科学技術の最新情報サイト「サイエンスポータル」 (jst.go.jp)

科学技術の成果とは、結果ではなくそれまでの過程も含めた客観的なデータであり、その無限にも近いデータの集積という巨人の肩の上に私達は立っています。

科学者や技術者だけでなく、専門ではない人も、自分の身の回りにあふれる科学技術について、今一度考え直してみる時間を設けてみるのはいかがでしょうか?

ご清聴ありがとうございました。

Reference

科学・技術と社会(8)科学者の倫理と責任
総合研究大学院大学

科学技術と社会
https://www.mext.go.jp/component/b_menu/shingi/toushin/__icsFiles/afieldfile/2015/02/13/1355038_13.pdf

「科学」と「技術」、「科学技術」についてhttps://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/kagaku/kondan21/document/doc03/doc36.htm

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