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映画「ゴジラ -1.0」について

公開前から話題になっていた、ゴジラ映画の新作。公開初日の11月3日(金)に、難波にて鑑賞。

結論から言うと、予想していたよりも面白かった。

ゴジラ映画で、「怖いやん」と思ったのは、今回が初めてかもしれない。

過去のゴジラ映画では、巨大なゴジラが、ミニチュアの高層ビルや、戦車とか戦闘機をいくら派手に破壊したところで、自分の身に迫ってくる恐怖は、あまり感じられなかった。

ホントは高層ビルの中にも、戦車や戦闘機の中にも、人間がいるはずだし、ゴジラによって命を奪われているはずであるが、実感としてピンと来ないのだ。人間に対するゴジラの明確な殺意が感じられなかったからであろう。

その点、「ガメラ」のライバルのギャオスとか、「ジュラシック・パーク」のティラノサウルスの方が、よほど怖い。獲物としての人間個々に対する殺意(というか食欲)がひしひしと感じられるからだ。

今回の映画のゴジラは、人間に対する明らかな悪意というか、殺意が感じられるから怖い。ゴジラの顔(あるいは大きく開けた口)とか、足のクローズアップのシーンが多いのも、恐怖を煽り立てる。走っている電車に噛みつき、引きちぎり、放り投げる。木造のボロ船を、まるでジョーズのように大きな口を開けて追いかけてくる。街頭を逃げ惑う人々を追いかけまわして、巨大な足で踏み潰す。従来のゴジラ映画とは明らかに一線を画している。

ゴジラの吐く熱線は、核爆発並みの威力があって、きのこ雲が巻き起こり、爆風があたり一面にあるものすべてを吹き飛ばして、黒い雨まで降って来る。怪獣映画でここまでやるかという感じである。

戦争中から戦後間もない時期が時代設定となっているのも効果的である。主人公の敷島が復員して戻って来た東京は、空襲によって焼け野原になっており、あたり一面瓦礫だらけである。そうした何もない状態から日本人たちが頑張って少しずつ復興しつつある途上の東京に、ゴジラが襲いかかり、再び瓦礫の山を築いていくのだ。現代の東京の新宿の超高層ビルを破壊されるよりも、破壊される「痛み」とか「辛さ」を切実に体感させられる。「せっかく復興しつつあるのに、また壊しやがった」という感じである。

登場人物たちが、命知らずのヒーローではなくて、良くも悪くも「普通の人たち」であるのも良い。主人公の敷島などは、特攻隊員なのに、死に切れずに、逃げ帰って来るし、ゴジラを射撃する勇気もなく、そのせいで整備隊を全滅させてしまう。要するにヘタレである。でも、疑似家族になった典子を失い(ホントは死んでいないのだが)、残された明子を守るために、決死の覚悟でゴジラを迎え撃つことになる。臆病なごく普通の人間であっても、大事なものを守るためならば、勇気を奮い立たせるものなのだ。

米軍も政府も何もやってくれず、民間人たちが協力し合って、知恵を絞り、ゴジラに立ち向かうという設定も、最終的には自分たちの国は自分たちで守るしかないし、誰かに頼っているようではダメなんだということを示唆しているような気がする。彼らも皆んな、家族を守るために立ち上がった人たちである。

最終的にゴジラを破壊することに成功して、ゴジラの残骸は海中深く沈んでいくことになるのだが、実はホントに死んだわけではないという結末は、続編があることを予想させる。

典子の首筋のアザのようなものも、何やら意味深である。ホントは爆風で吹き飛ばされて命を落としたのだが、ゴジラ細胞のお陰で再生したことを意味しているのかなあと思ったのだが、これも続編でタネ明かしをする予定なのだろうか。

「シン・ゴジラ」に登場したゴジラは、東日本大震災のような大規模自然災害の象徴であり、国家の存亡をかけて、自然の脅威にいかに対抗するかがテーマであった。

本作のゴジラは、新型コロナウイルスのようなパンデミックの脅威の象徴なのだとすれば、この映画では描かれていない、「後の世界」の方に実は真の恐怖が待ち受けているのかもしれない。

個人的な好みとしては、「シン・ゴジラ」よりも、ハリウッド版のゴジラ・シリーズよりも、本作の方が面白かった。

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