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「メタバース」について

昔、「セカンドライフ」というのがあったのを思い出した。いま現在もあるのかどうかは知らない。

「VR」(ヴァーチャル・リアリティ)という括りで、幅広くとらえるならば、「メタバース」という概念自体は昔からあったのではないか。

映画の「マトリックス」なんて、そういうののハシリだろうし、鈴木光司のホラー小説『リング』の続々編に『ループ』というのがあったが、あれなどはメタバースの世界を先取りしていたのかもしれない。

昔はパソコンのスペックや通信環境の制約もあって、やれることには限界があったが、徐々にそういう制約が取っ払われて来ると、物理的な場所に関係なく、いろいろなことができる可能性が広がって来る。

単にアバターを介して他者とコミュニケーションを取ったり、経済活動を行なったりするだけではない。そもそも滅多に家の外に出なくても済むようになるかもしれない。

ちょっと話が逸れるが、星新一の短編小説に「ものぐさ太郎」というのがある(『なりそこない王子』収録)。原作自体はたぶん50年以上も前の作品である。主人公が、部屋のベッドに寝っ転がったまま、ビールを飲みながら、電話だけ使って大儲けをするという話である。今ならば、さしずめパソコンかスマホであろう。

コンサートとかスポーツ観戦などは、リアルな同じ空間で体験することにいちばんの価値があるのは言うまでもないが、ヴァーチャルな空間での体験が臨場感あるものとなれば、リアルな体験に次ぐ選択肢として注目されるであろう。何しろ、コンサートホールやスタジアムの収容人数に制約されることはないし、何人詰め込んでも「三密」の心配もない。

「oVice」というヴァーチャル・オフィスのサービスがある。正直なところ、スペック的にはまだまだショボい印象は否めないが、あれなんかもオフィスに出社しないで済む仕組みとしては一定の範囲で有効であろう。Zoomなんかだと改まった感じになって、立ち話や雑談、フリートークなどはやりにくいが、あれだともう少し気楽にやれそうである。もっと臨場感ある体験ができるようになれば、ますますテレワークが普及するかもしれない。

「メタバース」の利用がどんどんと突き進むとどういう社会になるのだろうか。コロナ渦もあり、他人とリアルに接触をしないコミュニケーション手段がより選好されるようになると、むしろヴァーチャルなコミュニケーションが基本となり、リアルな接触は例外ということになるかもしれない。

そういう世界が進展すると、「外に出るのも面倒だ、あるいはリスクを感じる」ということになって、映画「アバター」に登場したような、ネットの世界じゃないリアルな世界のアバター(のようなもの)が、自分に代わって屋外に出て、いろいろな活動をするようになるのではないか。映画の話ばかりで恐縮であるが、「サロゲート」という映画では、脳波で遠隔操作できるロボット<サロゲート>を分身として使役し、自分は家から一歩も出ずに社会生活を営む近未来社会が描かれていた。やろうと思えば、技術的には、そう遠い未来ではないような気がする。

人間がだんだんと家の外には出なくなってしまうと、どういう未来が待っているのだろうか。他人とリアルに接触すること自体に抵抗感を感じるようになるかもしれない。

そうなると、男女の出会いはどうなるのか。マッチングアプリは今でもあるが、ああいうのを通じた出会いが基本形になるのか。そうやって男女が出会ったとして、他人と同居したり、ましてや結婚することに抵抗感を感じるようになるのではないか。「つきあう」ようになったとしても、リモートでのデートが基本であったり、お互いのアバターによるヴァーチャル・デートだったりとか。ちょっとそうなると、僕にはついていけない。

さらに言えば、セックスなどという他人との肉体的な接触は、もう気持ち悪くてやれなくなってしまって、「人工授精でいいよね」みたいな感じにならないのか。村田沙耶香『消滅世界』という小説を思い出した。

便利になるのは良いが、なんだか明るい未来ばかりとは限らないような気がする。「自然がいちばん」とか言うつもりはないが、適度に外に出て、適度に他人とリアルなコミュニケーションが取れる方が良い。

当たり前のことだが、リアルなコミュニケーションを補完する手段として「ヴァーチャル」があるという基本原則から、あまり足を踏み外さないようにしてもらいたいものである。


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