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映画「ア・フュー・グッドメン」について

少し前に、NHK-BS放送で、昼間に、映画「ア・フュー・グッドメン」が放送されていた。

この映画は、たぶん何度も見ている。映画終盤、トム・クルーズとジャック・ニコルソンの法廷での緊迫したやり取りの場面には鮮明な記憶があるからである。

だが、最後に見たのは、たぶん相当に前である。銀行のコンプライアンス部門に配属されたり、銀行卒業後に一般企業の監査役を引き受けたり、内部監査部門とか内部統制システムの整備に関わったりするようになってから以降で、ちゃんと見直したのは今回が初めてのはずである。

と言うのも、この映画は、組織における不正や不祥事に対して、当事者の1人として携わる立場の人間にとっては、とても他人事、あるいは対岸の火事として醒めた目で見ていられないような、どこの組織にも共通して起こり得るような問題にフォーカスしているからである。前に見た時は、単なるリーガル・サスペンス物として良くできた映画だという印象しか持たなかったはずである。

まず最初に言えることは、どんな組織も不正とか不祥事を防止するために、さまざまな仕組みを講じている。厳格な職務権限規程を設けたり、精緻な内部統制システムを構築して相互牽制機能が働くようにしたり、内部通報窓口を設置したり等々である。最近、世間をお騒がせしている、小林製薬も、海上自衛隊も、兵庫県庁も、その辺りは、ちゃんとやっていたはずである。

しかしながら、組織内で本当に権力を持っている人に対しては、どんな仕組みも無力であり、たちどころに無効化されてしまうのだ。この映画の登場人物では、ジャック・ニコルソン演じるジョゼップ大佐がそれに該当する。彼は、グアンタナモ米海兵基地司令官であり、国家安全保障会議メンバーへの昇進も噂される海兵隊内の実力者である。

ジョセップは、典型的なパワハラ気質の持ち主であり、プライドが高く、とても狷介な性格の人物なのであるが、海兵隊内部では誰も怖くて手が出せない。下手に逆らうと、もしも彼が出世したら、どのような報復をされるかわかったものではないからである。職業軍人といえど、所詮、みんなサラリーマンなのだ。

グアンタナモ基地で起きたサンティアゴ1等兵死亡事故についても、被疑者として逮捕された、ドーソン上等兵とローデン・ダウニー1等兵の2人を処罰することで簡単に済ませようという空気に海軍内が支配されたのも、司令官がジェセップ大佐であることと無関係ではない。

したがって、ドーソンとダウニーの弁護人として任命されたのが、正義感の強いギャロウェイ少佐(デミ・ムーア)ではなく、若いキャフィ中尉(トム・クルーズ)であったのにも理由がある。キャフィはハーバード・ロースクール出身で、父親(故人)も著名な法律家というサラブレッドではあるが、司法取引による安直・簡便な処理を好むタイプであり、法廷経験が乏しい点を、海軍上層部が「見込んだ」のだ。この時点で、海軍上層部の誰も事件を荒立てようとは思っていなかったことがわかる。

ちなみに、この場合の司法取引というのは、被告人が有罪を認める代わりに、検察官は協力事実に基づいて、被告人の量刑を軽くする方向で調整することである。キャフィにとっては、事件の真相などはまるで興味がなく、任された事件を手早く要領よく処理することに専念しているかのようである。あれこれ突き回って、事件を深掘りするのは時間の無駄なのである。

実際、弁護人に任命されたキャフィは、検察官であるジャック・ロス大尉とさっそく「落とし所」の相談を開始するし、仕事よりもソフトボールの練習を優先させるしと、当初はいかにもやる気のないテキトーな仕事ぶりである。エライさんたちの想定内、あるいは期待どおりである。

ところが、ドーソンとダウニーは司法取引の提案をきっぱり拒絶する。彼らの主張は、自分たちは小隊長であるケンドリック中尉の「コード・レッド」の命令に従っただけであり、サンティアゴを殺害する意図などなかったというのだ。

「コード・レッド」とは、軍隊内部での規律を乱す者に対する暴力的制裁のことを意味する。もちろん、規程やマニュアルのどこにも文書化されてはいない。軍隊で昔から半ば慣習として行なわれてきたことであり、体育会系の体罰と同様、皆が黙認してきたものでもある。

簡単に片が付くという思惑が外れたキャフィは、一時は弁護人を辞任することも考えたものの、ギャロウェイらに感化され、ドーソンとダウニーの無罪を勝ち取るため無謀とも言える法廷闘争に挑むこととなり、最終的には、懲戒覚悟で、ジョセップ大佐を証言台に立たせることになる。

ここから先のシーンは、何回見ても、緊迫感がある。できれば、字幕付きであっても原語(英語)でのやり取りを見ることをおススメしたい。キャフィは、巧みな弁舌を駆使して、誇り高いジョセップの神経を逆撫でし、挑発しつつ、彼の証言の矛盾点を指摘し、徐々に精神的に追い詰めて行き、最後は「コード・レッド」の指令を出したことを自白させることに成功する。

法廷経験が乏しいキャフィに、どうして腕利きのベテラン弁護士並みの法廷闘争ができたのかは謎である。やる気がイマイチだっただけで、突然、覚醒してポテンシャルを開花させたということなのか、ちょっとスッキリしないのだが、その辺はまあ置いておくことにする。

ジョセップが逮捕されたことで、ドーソンとダウニーは殺人および共謀に関して無罪となったものの、「軍人として不名誉な行為」については有罪とされ、不名誉除隊の処分を受けることとなる。海兵隊員であることを誇りに思っていた若いダウニーは、無罪になったにもかかわらず、不名誉除隊という厳しい処分を受けたことがどうにも納得できないのだが、ドーソンの方は、軍人としての規律を守り上官の指示に従う前に、サンティアゴのような弱者を守ってやれなかったことを悔い、処分を受け容れる。

自らの非を悔いたドーソンは、真っ当な人物として描かれているが、ジョセップの副官のマーキンソン中佐、小隊長のケンドリック中尉は、ジョセップの横暴な指示に対しても何も抵抗できず、部下を見殺しにしてしまっている。マーキンソンの方は、さすがにジョセップについていけないものを感じて、職場を投げ出して失踪してしまい、一旦はキャフィの前に姿を見せるが、ジョセップと対決する度胸はなく、結局、自ら死を選んでしまう。そう言えば、兵庫県にも自殺した幹部がいたのを思い出した。自殺するくらいの覚悟があるならば、最後まで闘うべきであろう。

ケンドリックの方は、たぶん信奉するジョセップにすっかりマインドコントロールされてしまっているので、彼の指示に対して否ということなどあり得なかったであろう。

彼らだけではない。ジョセップに都合の良い証言をした軍医を始めとする基地内の他の隊員たち、事件を荒立たせずに穏便に解決しようとした海軍法務官たちも含めて、組織内で権力を持った人間の前では無力なのだ。ジョセップがこの先も順調に出世して、国家安全保障会議メンバーを経て、将官にでもなるようなことがあれば、恩を売っておいて損はない。逆に恨まれるようなことがあれば、後が怖い。

上意下達で、同調圧力の強い組織、伝統的な価値観とかカルチャーが重視される組織というものはどこも、この映画と同じような問題が起きる可能性は高いと考えるべきであろう。日本の伝統的大企業や官庁などにとっては、決して他人事ではない。

そうした組織の中で、組織の本流のような部門で、エースとか出世頭とされているような人物というのは、何かあっても組織が守ってくれるものだから、「全能感」というか、「自分こそがルール」、あるいは「この組織を背負って立っている自分は、何をやっても許される」といった偏った考え方に陥りがちである。僕の銀行時代にもジョセップ大佐のような人物はいた。

ジョセップにしても、ドーソンとダウニーにしても、ケンドリックにしても、それぞれが自分の正義を貫いた結果、悲劇が起きていることに着目する必要がある。

ジョセップは、司令官の立場で、自分が任されている組織の秩序を守ることこそ正義だと信じている。ドーソンとダウニーは、現場の兵卒の立場として、上官の指示に従うことが正義だと信じていた。ケンドリックも小隊長の立場として、司令官であるジョセップの意思に基づいて現場を統率することが正義だと思っている。

彼らの皆が海兵隊員であることを誇りに思い、祖国のために厳しい任務に就いていることに微塵も疑いを持っていない。「組織ぐるみの不正」が起きる大企業や官庁なども、もしかしたら、どこも似たようなものかもしれない。

こうした問題を防止するのは容易ではないが、1つ言えることは、「組織内の常識が、世間の常識と必ずしも一致するものではない」ということを、「世間の声代表」として、組織内でハッキリと主張できるような立場の人を確保しておくしかない。

社外取締役とか監査役というのは、本来ならば、そういう立場でなければならないのだが、波風を立てることなく、黙っておとなしくしていた方が、無難に「身過ぎ世過ぎ」ができると考えるような社外取締役、監査役が増えているとすれば、本当に困ったことである。

何か問題が起きると、会社の機関設計を改変すれば良いと考える傾向があるが、結局は、ハードの問題ではなくて、ソフト、つまり「勇気をもって、間違っていることは間違っていると、声を上がられる人がいるかどうか」の問題なのである。

この映画の登場人物であれば、まずはギャロウェイ少佐みたいな人材が重要である。彼女のおかげで、最初はポンコツだったキャフィも奮い立ったし、ドーソンも自らの間違いに気づくことができた。良い人材は、周囲に良い影響を与える。ただし、その逆もまた真なりということになる。

参考までに記載するが、米国の海兵隊というのは、海外での武力行使を専門とする、米国の「先鋒部隊」であり、陸海空軍に比べると規模は小さいが、陸海空軍の全機能を備えており、少数精鋭かつ自己完結性と機動性に優れている。軍政面では海兵隊は海軍省の監督下にあるが、軍令面では独立した組織になっている。

伝統的に志願制であり、厳しい訓練の修了者のみが、「マリーン(海兵隊員)」と名乗ることを許されることから、非常に誇り高い組織として知られている。ちなみに、太平洋戦争において、マリアナ諸島、硫黄島、沖縄などで日本軍と激戦を繰り広げた相手は、主として海兵隊であった。

不名誉除隊というのは、不名誉な行為に対する懲戒処分の一種で、強制的に除隊させられる。不名誉除隊の場合、「海兵隊員」「元海兵隊員」と名乗ることすら禁止されるという。海兵隊員であることに強い誇りを持っているダウニーが、不名誉除隊に納得できなかったのも理解できる。

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