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『全ての叡智はローマから始まった - 今も生きるローマ人の発想力』について

最近、読んだ本の中で、たいへん面白かったものを1冊ご紹介したい。

『全ての叡智はローマから始まった - 今も生きるローマ人の発想力』(藤谷道夫著、さくら舎)である。

これを読むと、人間というものは、古代ローマの頃と比べても、あまり賢くなっていないということがよくわかる。

まず、古代ローマ人は、人間が無謬であるなんて非現実的な前提でモノを考えない。人間は不完全で過ちを犯すものであり、リスクを低減できたとしてもゼロにはできないから、リスク管理に力を入れる。この点だけでも、他人の間違いに不寛容な現代の我々よりは、よほど人間というものを理解している。

古代ローマ人にとって、「国家」とは「みんなのもの」「住民の福祉・安寧のための装置」であり、「住民が国家を治める」と考える。日本では、「国家」に相当する概念が長らく存在せず、あるのは「天皇家」とか「徳川家」であったのとは対照的である。

現代の多くの国で採用されている「共和政」、つまり「君主を持たず、主権を国民が有し、国民が選んだ代表によって統治される」というやり方は、ローマ・ルートの間接民主政である。もちろん民主主義政治というものは未完成であり、古代ローマにおいても、現代と同様に、「ポピュリズム」(衆愚政治)、「多数決の暴力」、「元老院(今の国会みたいなもの)の腐敗」、「(元老院議員等の)既得権者による格差是認」、「中産階級の没落」といった問題が起きていた。

こうした中で登場したカエサルは、政治的な立場としては、「革新左派」であり、「情報公開制度」による政治の可視化等を通じて、元老院の権力を奪い、「農地法」によって土地を再分配することで、健全な中産階級育成に取り組んだ。また退役軍人や失業者の雇用促進を狙いとして、植民市・属州の建設にも取り組んでいる。カエサルが暗殺されたのは、既得権を失うことを怖れた元老院による陰謀であるが、結果的には、それがきっかけになって共和政から帝政に向かうことになる。

初代ローマ皇帝はカエサルの養子オクタヴィアヌスであるが、カエサルにしてもオクタヴィアヌスにしても、彼らの働きぶりを見ていると、有能な皇帝、あるいは独裁者が強力なリーダーシップに基づいて政治を行なった方が、民主政治よりもよほど効率的であることがわかる。

ただし暗愚な皇帝が出現したら最悪である。第3代皇帝カリグラ、第5代皇帝ネロのような下積み経験もなく若くして分不相応な権力を持たされてしまうと身を滅ぼすことになる。

誤った権力の行使は、民に対する有形無形の暴力であるので、最終的には権力者もまた権力の報いを暴力として受けることになる。民意を無視して暴政を敷いた皇帝は、たいてい民意を代弁する側近に殺される。

ネルウァ、トラヤヌス、ハドリアヌス、アントニヌス・ピウス、マルクス・アウレリウス・アントニヌスの5人のローマ皇帝の時代を「五賢帝時代」と呼び、『ローマ帝国衰亡史』において、ギボンは「人類が最も幸福であった時代」と評している。

マルクス・アウレリウスの後継者、息子のコンモドゥスの代になると、またおかしな具合になって来る。結局、為政者が有能であれば効率的ではあるものの、無能だと救いようがないのが皇帝による独裁政治ということになる。そういう意味で、欠陥だらけであっても、我々は民主政を捨てきれないのである。

古代ローマのすごいところの1つは、「都市」というもののプロトタイプを完成させたことにある。ローマには、以下のような設備が備わっている。

①歩道と車道、②下水道、③上水道、④敷石舗装道路、⑤コンクリート建造物、⑥円形競技場、⑦大戦車競技場、⑧コンサートホール、劇場、⑨公共図書館、⑩ヘルスセンター、公共大浴場、⑪集中暖房システム、⑫モニュメント、⑬公共広場、公会堂、⑭公衆水洗トイレ、⑮給水所、⑯高層集合住宅である。

ローマ人は、これらを「都市」としての必須要件のように考えて、ローマを雛型として征服した土地にローマのコピーを建造していく。パリやロンドンも元はと言えばローマのコピーである。

こうした都市建設を支えていたのが優れた土木技術である。古代ローマのコンクリートは消石灰に火山灰を混ぜており、現代のコンクリートの2倍の強度を持つ。現代のコンクリートは100年も経てば浸食や崩壊の危険性があるが、古代ローマのコンクリートは空気中の炭酸ガスと反応して徐々に固まり、時間が経つほどに強度を増す。

上水道、下水道、敷石舗装道路の3つは都市インフラの基盤である。

上水道は、総延長距離9,700キロあったという。また、中世のヨーロッパには下水道がなく不潔極まりない状態であったが、古代ローマには公衆水洗トイレが1,000ヶ所以上もあり誰でも利用できた。冬季には床暖房まであったという。

敷石舗装道路は、主要幹線道路と支線道路を合計すると総延長15万キロに達する。ちなみに、日本の高速道路の総延長は9,000キロである。

なんか2,000年経っても、あまり人間は進歩していないということが、本書を読むとつくづく思い知らされる。

特に政治の混迷を見るにつけ、カエサルみたいな有能な政治家が出現するのであれば、終身独裁官になってもらうのも悪くないかなとさえ思ってしまう。


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