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他人の不倫がなぜ話題になるのかについて

広末涼子の不倫騒動で、テレビのワイドショーは、連日、大賑わいである。前にも「不倫」あるいは「婚外恋愛」については、記事に書いたことがあるので、基本的に僕の考え方は、それらの文章の内容と変わりはない。

改めて簡潔に整理するならば、以下のとおりである。

  • 人はしばしば婚外恋愛をするものである。そもそも生涯、特定の異性としか性交渉しない方が無理があり、自然の摂理にも反する。

  • 一方で、法律上、自分または/かつ相手方の配偶者に対する不貞行為に該当する。また公人/有名人の場合、バレた場合のマイナス影響は大きく、周囲にいろいろな迷惑を及ぼすことを考えれば、やりたければバレないように、うまくやるのが、大人としてのエチケットである。

  • 本来は他人のプライベートな問題に過ぎない不倫が、公人/有名人の場合、世間で大きな騒動になるのは、単なる「ルサンチマン」である。

「ルサンチマン」とは、「弱者が敵わない強者に対して内面に抱く、「憤り・怨恨・憎悪・非難・嫉妬」といった感情。そこから、弱い自分は「善」であり、強者は「悪」だという「価値の転倒」のこと。」(Wikipedia)を意味する。

要するに、「うまいことやりやがって」という妬みや嫉妬心である。自分だって(不倫や婚外恋愛を)やれるものならばやってみたいけど、経済力がなかったり、異性にモテなかったりといった理由で願望を果たすことができないのに、一部の人間だけがやれるなんて許せないという思いである。特に相手が、有名人であったり社会的や経済的に恵まれた立場であれば、ことさらに感情が増幅されることになる。

広末涼子のように美人で有名女優であれば、あるいは鳥羽周作みたいな有名シェフであれば、配偶者以外の異性と楽しい思いをすることができるのに、それに引き換え自分は……といった一般庶民の妬みや嫉妬心があるから、他人の下半身のゲスい話題でおおいに盛り上がってしまうことになる。昔ならば、そういう暗い感情は腹の底に抑え込んでおくしかなかったが、今ならば、ネットでいくらでも拡散させることができてしまうから、余計にタチが悪いのだ。

広末涼子と鳥羽周作が一般人であれば、今回の問題は、双方の配偶者を含めた当事者4人の問題である。当事者4人で不法行為に基づく賠償責任について話し合ってもらうしかないし、世間には何の関係もないことである。

彼らが有名人であるために、スポンサーやら事務所やらも含めたヤヤコシイ問題が生じてしまうが、それらについても最終的には利害関係者との間で金銭的な解決に向けて話し合ってもらうしかない。

いずれにせよ、この種の問題は、赤の他人にはどこまでいっても関係のない話なのだ。

なのに、世間は大騒ぎする。まるで人殺しでもしたみたいな騒ぎようである。「不倫」という言葉も大仰で趣味が悪い。「人倫に悖る」(=人の道から外れている)という意味である。たしかに良いか悪いかと言われたら、悪いことには違いないのだが、そんなことは赤の他人に言われなくてもわかりきったことである。

当たり前の正論を、匿名で振りかざす輩は、誠にタチが悪い。自分には関係ないのに、まるで自警団にでもなったかのように他人を攻撃する。何さまのつもりであろうか。

そんなに他人を指弾したいのであれば、自分自身が実名を晒して、面と向かって言えば良いのだ。それをしないのは、所詮は「ルサンチマン」だからである。

妬ましいのであれば、自分もさっさと相手を見つけて、よろしくやればいいのだ。そんな度胸も甲斐性もないのであれば、何も言わないことである。

僕はこのような他人の下半身の話題に関しては、非難めいたことは一切言わないことにしている。自分が他人を羨むしかない、しょうもない奴だと白状しているような気がするからである。カッコよくない。

他人を妬んでも、自分には何も得られるものはないのだ。欲しいものがあれば、自分でも手に入れれば良い。本当に不倫が良くないと思うのならば、自分だけはやらないようにすれば良い。それだけである。他人は関係ない。


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