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「貧すれば鈍する」について(続き)

研究開発も先立つものがなければ、なかなか成果を上げるのは難しく、今後は日本人のノーベル賞受賞者はあまり出なくなるだろうという話を書いた。

同じことは、文化・芸術全般に関しても言えそうである。やはりおカネの匂いがするところに文化人も芸術家も集まる。

ルネサンス期のフィレンツェが典型である。メディチ家の莫大な財力を背景に、フィレンツェは大いに繁栄し、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロ、ボッティチェッリをはじめとする多くの芸術家が競い合うようにして傑作の数々を残した。

また、メディチ家出身のカトリーヌ・ド・メディシスがフランス王家のアンリ2世のところに輿入れした結果、イタリア料理文化の影響によってフランス料理が発展を遂げ、ナイフとフォークを用いる食事作法が一般的になったという説もある(ただし諸説あり)。

ちなみに、アンリ2世とカトリーヌ・ド・メディシスというのは、スコットランド女王メアリーと結婚したフランソワ2世の両親である。スコットランド女王メアリーは、血統的に現在の英国王室の先祖にあたるという話は前に書いた。

当時のヨーロッパにおいては、イタリア(当時はイタリアという統一国家はなかった)の方が、フランスよりも文化的には先進地域であったのだろう。フランスは大国で財力はあるけれど、イタリアに比べたらまだちょっと垢抜けない田舎で、ドイツ(こちらも統一国家ではなかった)や英国(当時はイングランドとスコットランドは別の国)に至っては、さらに遅れた辺境地帯といった感じだったのであろう。

音楽だって、イタリアがまずは先進国で、ドイツ・オーストリアはイタリア人を招聘して学ぶべき立場であった。モーツァルトは幼少期に父親に連れられて欧州中を遊学しているが、イタリアで多くのことを学んだとされている。「フィガロの結婚」「ドン・ジョヴァンニ」「コジ・ファン・トゥッテ」等の主たるオペラ作品は、いわばドイツ・オーストリア圏出身者の手によるイタリアオペラであった。

やがて大英帝国がヨーロッパの中心として繁栄するようになると、ヘンデル、ヨハン・クリスティアン・バッハ(大バッハの息子)といったドイツ系の有名作曲家が大英帝国で活躍するようになる。一種の「外タレ」のハシリである。ハイドンも後年にロンドンに演奏旅行をしている。いわゆるザロモン交響曲と呼ばれる傑作交響曲群を作ったのもこの頃である。有名アーティストの海外ツアーみたいなものであろう。

繰り返すが、文化や芸術が繁栄するには、まずはおカネがないことには話にならない。だから、経済的に豊かな地域が移動すると、文化や芸術の中心地も自然と移動することになる。

バブルの頃、バブル崩壊後もしばらくの間は、日本にも多くの海外アーティストが来た。最近もまったく来ないわけではないが、以前に比べると、「扱い」が粗略化されてきているのは明らかである。

U2という世界的なロックバンドがある。19年に「The Joshua Tree Tours」の一環として13年ぶりの来日を果たした。日本公演は、さいたまスーパーアリーナで2回あった。それ以外には東京も大阪も公演はない。ちなみに、このツアーでは、ニュージーランド2回、オーストラリア6回、シンガポール2回、日本2回、韓国、フィリピン、インド各1回で計15回の公演をやっている。

ザ・ローリング・ストーンズが、14年に久しぶりに来日コンサートを開催した時は、東京ドームで3回の公演をやっている。この時も日本での公演は東京だけである。ちなみに、日本公演の後、中国2回、シンガポール1回の公演があった。少し時期がずれるが同じ年にストーンズはオーストラリアで8回、ニュージーランドで1回の公演をやっている。

こう見ていくと、アジア・オセアニア地域において、もはや日本は特別な国ではないということが、アーティストの公演回数からも窺い知れるのではないだろうか。

ポピュラー音楽だけでなく、クラシック音楽の分野も似たようなところがある。海外の有名歌劇場の引っ越し公演とか、有名オーケストラの来日公演なども、韓国だったり、中国で公演をやってから、ついでに来日しているんじゃないかというような扱いのこともあった(と思う。記憶が定かでないのでどの来日公演だったかは特定できず)。

あと、ついでに書くと、ずっと昔であれば、東京だけではなく、大阪でも同様に公演があったと思うが、最近は、東京公演だけやって、大阪はスルーすることが少なくない。オペラなどは舞台の準備に多大な労力を要するから効率よく済ませたいのはよくわかるが、それだけ大阪のポジションが低下しているということであろう。大阪はやらず、代わりに横浜公演ありというパターンもあった。これも経済面での首都圏一極集中を示している。

ここまでを整理すると、①経済的な地盤沈下と時を同じくして、海外アーティストにとって、日本は特別な国ではなくなってしまったこと、②代わりに同じアジア・オセアニア地区で相対的な経済的地位が向上した他国(中国、韓国、シンガポール、オーストラリア等)が日本に取って代わりつつあること、③日本の中でも、東京等首都圏に比べて大阪の地盤沈下が著しいことが明らかである。

こういうのも、「貧すれば鈍する」ということなのか、あるいは「カネの切れ目が縁の切れ目」ということなのか、いずれにせよ寂しいものがある。だが、文化や芸術とは本来そういうものである。経済力があって、食べていく以外の贅沢な楽しみのために気前よくおカネを支出できる人たちが数多くいなければ、そもそも成り立つものではない。

昨今の円安も無視できない。海外から来日する有名アーティストの公演チケットはもともと決して安くはない。円安の影響で、今後はもっと高価なものになれば、庶民には簡単に手が出せない贅沢品になるであろう。

まあ、それでもおカネを出す価値があるものであれば、僕ならば借金してでも観に行きたいと今後も思うことであろう。意味のあることや価値のあることにおカネを使わなければ、生きていても、ちっとも楽しくはないではないか。

94年10月にウィーン国立歌劇場が引っ越し公演をした際に、カルロス・クライバー指揮の「ばらの騎士」を東京文化会館で鑑賞する機会を得た。その時のS席のチケットは65千円であった。当時の若い僕にとっては、決して安い出費ではなかったが、クライバーが生前オペラを指揮したのは94年の来日公演が最後である。奇しくも、そうした歴史的瞬間に立ち会えたのであるから、いま振り返っても、ちっとも高いとは思わない。

でも国が貧しくなれば、精神的な余裕のある人たちがだんだんと減ってくるのは間違いないし、そうならば、やがて海外の著名アーティストは日本をスルーして中国やシンガポールばかりで公演するようになってしまうかもしれない。


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