悪い報告が遅くなる理由について
野村胡堂の小説や、テレビ時代劇でもおなじみの「銭形平次捕物控」の主人公である銭形平次の子分で、八五郎(通称、「ガラッパチ」)という人物がいる。そそっかしくて、思慮の浅い人物のようで、物事をきちんと確認したりせず、何か事件を聞きつけると、「親分、たいへんだ!」と大騒ぎしながら、平次親分のところに駆けつける。
若手銀行マン時代の話であるが、某名物支店長から、「組織の危機管理においては、自分のことを利口だと思っているような奴よりも、ああいうガラッパチみたいな奴が良いんだ」と教わったのを思い出した。とにかく、隠しごとをせず、自分で勝手な解釈もせず、見聞きしたままの情報を、まずはそのまま伝えてくれるからである。利口な奴は、まずは自分の保身を考えて、自分の評価に傷がつかないような報告をしようと考えるから、却ってミスリードされてしまう危険があるというのだ。
ガラッパチみたいな社員ばかりならば、何がたいへんなのかは別にして、とりあえず異例なことが起きたということだけでも、トップに認識させることができる。重要な情報の第一報というのは、アラームみたいなものだから、まずはそれで充分なのである。それによって、トップは危機対応モードに切り替わり、続報を身構えることができる。詳細については、その後の続報や、続々報が入って来ることで、少しずつ明らかにしていけばよい。
危機管理における初動対応というものは、思い込みや予断を交えず、脚色抜きの情報を細大漏らさず迅速にトップにまで伝達するとともに、関係部署と共有すること、そうすることで考えられ得る対策を矢継ぎ早に実施することであり、まずは問題解決、被害発生を最小限に食い止めること、火事にたとえれば、消火・鎮火活動を行なうことである。当たり前のことであるが、原因究明とか、再発防止策の策定等は、事後の話である。
言うのは容易いのだが、サラリーマン組織においては、これがなかなかうまくいかないことが多い。それぞれの立場で、自己保身をする気持ちが働いてしまうからである。
上司に対して、良い情報を報告するのを躊躇う人はいない。相手に機嫌よく聞いてもらえるからである。一方、悪い情報を報告するのは気詰まりなものである。嫌な顔をされるかもしれないし、「悪い報告は聞きたくない」という態度をとる上司も少なくないからである。「ちゃんと確認したのか」とか、「中途半端な報告を上げて来るな」とか、「原因は何なのかはっきりさせろ」とか言う上司もいる。
こうなると、上司の顔色を見てしまうようなタイプの中間管理職としては、自分のところで可能な限り情報を整理してから、上司に報告しようとするので、時間がかかることになる。大企業になると、同じようなことを、社内のレポートラインの各段階、つまり現場の平社員からスタートして、係長、課長、部長、役員のそれぞれがやってしまうことなる。結果として、トップの耳に悪い情報が伝わるのに結構な時間を要することになる。
今回の小林製薬の「紅麹」関連の機能性表示食品の健康被害問題については、当初に問題を検知してから、会社としての事実公表に至るまでの時間がかかり過ぎていることが問題となっているようだが、おそらくは、上記のようなことが起きていたのではないだろうか。
現場から担当部門のトップに情報が上がるのにまずは時間を要し、そこから経営トップに情報が上がるのにさらに時間を要し、そこから外部の専門家等を交えつつ、情報を整理して、原因を解明して、対外的にどんな格好で情報を開示したら良いかを相談してと、あれこれ関係者で集まって協議しているうちに、どんどん時間ばかり経過してしまったということであろう。
「そんなアホな」と思うかもしれないが、「大企業あるある」みたいな話である。システム障害常習犯の「みずほ」に対する金融庁からの業務改善命令が事実上解かれたというニュースが少し前に流れていたが、「みずほ」もシステム障害が起きた時の社内の状況は、たぶん似たようなものだったと推察される。
「大企業あるある」と書いたが、規模の小さな中小企業だって、同じようなことは起きる。上司の顔色を忖度するようなカルチャーが少しでもあれば、サラリーマンは同じようなことをやる。僕の経験では、社内で「できる」と評判が高いような人物ほど、ついついやってしまいがちである。現場からの情報を自分なりに整理集約して、「体裁」が整った報告を上げたいという「欲」が出てしまうからである。
しかしながら、危機管理において、現場のそうした「欲」とか「体裁」は無用であるだけではなく、害悪ですらある。途中で勝手な解釈が混じると、情報の偏りや歪みが生じてしまうからである。レポートラインの各段階での少しずつの偏りや歪みが累積されることで、組織として判断を大きく誤る可能性だってあるからだ。現場からの脚色や解釈抜きの生々しい一次情報こそが重要なのだ。
こういうことを防止するには、異例な事象が起きた際の、報連相のルールをあらかじめ明確化しておくことが重要である。
異例な事象といっても、軽重さまざまであるから、緊急性・重要性によって幾つかのパターンに分類しつつ、報告ルート、報告時限を明確に示して、それをとにかく厳守させる。厳守させるという意味は、報告期限を遵守しなければ、報告遅延そのものに対して重たいペナルティーを課すということである。
ヒューマンエラーはゼロにはならないから、事故・トラブル等の異例な事象は、一定の確率で必ず起きる。善意・無過失であっても、起きる時は起きてしまうことがある。でも、報告期限は、守ろうという意思さえあれば守れる。にもかかわらず、それを守らないのは、故意・悪意だからである。それを看過したら、組織運営上の大きなリスク要因となるから、厳罰に処すのは当たり前である。以上は組織運営上のルール設計の問題である。
とはいえ、サラリーマンの立場としては、悪い情報を上げやすい組織、上げにくい組織というものはある。もっと言えば、悪い情報を上げやすい上司、上げにくい上司というのもある。
上司の方に問題があって、部下が悪い情報を上げるのを躊躇うような状態であるにもかかわらず、報告遅延に関してだけ重たいペナルティーが舞っているというのでは、部下の立場としてはまったく救われない。
したがって、上司の立場としては、良い情報、悪い情報にかかわらず、部下が何でも報告しやすいように、常にオープンかつニュートラルな姿勢でいることが重要であろう。
一方、今回の小林製薬みたいな会社はどうだったんだろうかと思うと、なかなか風通しが良さそうな感じはしない。
小林製薬は、オーナー系企業で、現社長は6代目くらいの創業者一族の人だったはずである。こういう会社は、上場している大企業とはいえ、個人経営の中小企業と同じである。社長は神さまみたいなもので、なかなか悪い情報は上げづらかったと思われる。
ちょっと前にダイハツで不祥事があったが、ダイハツの親会社もまた上場している大企業(というか世界的企業)でありながら、まだ創業者の名前が社名になっている会社だった。ああいう会社も、悪い情報は上げづらかったに違いない。
何が言いたいかというと、何か起きてしまってから、「なんで、もっと早く、報告してくれなかったんだ」と言う上司は、果たして、自分が部下から見て、報告しやすい上司だったか否か、反芻してみるべきだということである。
自分のことを棚に上げて、部下にだけ、迅速な報連相を期待するのは正しい態度とは言えない。
上記のとおり、報連相のルールを明確化すること、ルールを遵守させることは当然に重要であるが、そもそもルールがなくても、何でも話ができるような組織風土か否かというのは、また別の問題である。
本来ならば、いろいろな情報が放っておいても共有されるような、自由闊達でコミュニケーションの良い組織であれば、ルールなど必要ないのかもしれない。