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「パターナリズム」について

パターナリズムという言葉がある。Wikipediaによれば、「強い立場にある者が、弱い立場にある者の利益のためだとして、本人の意志は問わずに介入・干渉・支援すること」なのだそうである。

典型的には、「国家と国民」の関係がある。同じくWikipediaからの引用で恐縮であるが、「国家がいわば「親」として「子」である国民を保護する、という国家観にもパターナリスティックな干渉を正当化する傾向がみられる。実際に施行されている事例としては、賭博禁止(刑法186条)などが挙げられる。こうした立法措置以外にも、官公庁による行政指導や、市町村における窓口業務などにも同様の傾向がみられる」とある。

要するに、「愚かな国民たちは放っておいたら、間違った方向に行きかねないから、優秀な政治家や官僚が、羊飼いが羊の群れを誘導するがごとく、正しい方向に導いてやらないといけない」といった、「上から目線」な姿勢がそこには窺える。

論語に、「由らしむべし知らしむべからず」という言葉があるが、こちらも似たような感じであろうか。先日、暴漢に襲われて命を落とした元首相を含めて、与党政治家の中には、「指導者の言うことに従っていれば、間違いないのだから、ゴチャゴチャと文句を言わずに、言われたとおりにやれよ」といった本音が透けて見えるような人が少なくない。国会で野党に対してまともに説明責任を果たそうとしないのも、小馬鹿にしたような薄ら笑いを浮かべたり、下品なヤジを飛ばしたりするのも、そうした姿勢のあらわれであろう。もっとも、まともな議論の相手にならない野党も情けないのであるが。

話が横道に逸れた。

「夫婦別姓」とか、「同性婚」とか、与党政治家が大嫌いであろうテーマがいくつかある。伝統的な日本の家族制度を損なうとかいった理由を盾に、まともに議論することすら拒絶している人も少なくない。

こういうのもパターナリズムの典型例なのかも知れない。

いわば、「正しい家族制度」というものを国家が規定して、それ以外は一切許容しないという姿勢である。

でも、そういう姿勢自体が「余計なお世話」であると思う。何が正しい家族制度かなんて、10人いれば10通りとまでは言わないが、複数の正解があってもちっともおかしくはない。

夫婦で別姓を名乗りたいと思えば、それぞれ別の姓を名乗ればいいし、やはり同じ姓だよねと思うならば、そうすればいい。どちらを選択しても大丈夫なように法整備を行ない、あとはそれぞれのカップルの選択に任せる。それで何も問題ない話であるような気がするのだが、どうして国民の選択肢を狭めようとするのか理解に苦しむ。

同性婚も同じである。同性同士でも結婚という制度を選択したいと思えば選択すればいいし、そうした選択が法的に可能な制度だけ用意しておけば済むことだ。興味ない人には関係ないし、誰にも迷惑をかけることではない。

人を殺すなとか、人を傷つけるなとか、人のものを盗むなとか、他人に迷惑をかけるようなことは無論ダメであるが、それ以外のことに関しては、国があれこれと型にはめ過ぎない方が、国民にとっては居心地が良いはずである。なのに、あれこれと口出ししようとする。背景には、パターナリズムがある。あるいは国民を基本的に馬鹿だと思っているのだろう。

もっと他にやることがあるような気がする。

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