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同窓会に参加する人たちについて

同窓会に参加する人というのは、総じて、<学生時代の楽しさのピークを更新できていない人たち>で、<仕事はそれなりにうまく行っているけどどこか物足りず、自分の承認欲求を満たせていない。そこそこお金もあって、自分的には「上手くいっている」と思っているけど、その成功を周囲と比較することでもっと明確にしたい。>人たちなのだそうである。

<「今が本当に楽しい人」は、同窓会に頻繁に顔を出し、何度も何度も同じ思い出話なんてする必要もないし暇もない>からである。

なるほど。そう言われてみると、そうなのかもしれないと思った。現在の生活が忙しくて、充足感を得られている人たちにとっては、同窓会に参加して、更新されない思い出話に繰り返し浸ったところで、何の意味もないからである。

そこまで考えたところで、昨年、僕はすごく久しぶりに高校の同窓会に出席したことを思い出した。いくら年を取ったからとはいえ、あれは、一体全体、どういう心境の変化だったのだろうか。

1つには、もはや現役世代ではなくて、そこそこヒマで、いろいろな意味でゆとりがあって、自由が利く立場だからということが大きい。

銀行員としての現役時代は、転勤が多く、首都圏と近畿圏を行き来するような生活を送っていた。当時は、同窓会の案内など貰っても、ガン無視していたから、忙しかったというのは事実である。でも、先般の同窓会で、わざわざ東京から同窓会に参加するだけのために、関西に戻って来たという参加者も何人かいたから、忙しいというのは言い訳でしかない。

要するに、当時の僕としては、いろいろ公私にわたり忙しくて、精神的にも疲れ切っていたから、せっかくの休日を同窓会なんて非生産的というか、自分にとって意味のないことに費やしたいとは思わなかったということであろう。単なる優先順位の問題である。今は、その当時に比べれば、気持ちの上で余裕があるというか、はっきり言えば、ヒマだということになる。

ゆとりというのには、金銭的な問題も含まれる。土日も生活のための仕事に追われていたり、数千円の参加費用をもったいないと思うようであれば、同窓会に参加しようとは思わないであろう。

2つめは、まあまあ健康だからということもある。

病気や経年劣化で、カラダの自由があまり利かず、どこに行くにしても、誰かにサポートしてもらわないといけない状況だとすれば、わざわざ同窓会に参加しようとは思わないだろう。若い頃とは比ぶべくもないとしても、まだまだ元気で自分のことは自分でできるというのは大きい。

出席している他のメンバーを見渡しても、まあ細かい話をすれば、お互いにあちこちガタが来ているのであろうが、さすがに車椅子で来ているような人はいなかった。行動の自由が制限されるようになると、人間というものは不要不急な外出を控えることになる。同窓会なんて、不要不急な用事の代表みたいなものである。

3つめは、高校卒業後、40年以上経過した現在の、同窓生たちの劣化ぶりを見てみたかったという、趣味の悪い好奇心であろうか。

高校時代、カッコよかった男子も、かわいかった女子も、40年も経過すれば、一様にジジババになっている。それでも、日頃の食生活や適度な運動といった本人の健康管理、私生活の充実ぶり、病歴等の結果によって、劣化の度合いについてはかなりの開きがあるはずである。マラソンにおいて、先頭集団なのか、真ん中あたりか、後方で脱落寸前なのかを確認する作業と似ている。自分よりも若い人や年長者と比較するよりも、同い年と比較した方が、自分自身の立ち位置をより正確に把握することができる。

ホンネで言わせてもらうと、高校卒業後、約40年経過した現時点において、僕の経年劣化ぶりは、「まあまあマシな方」であったと思う。太ってもおらず、痩せすぎてもおらず、老けすぎてもおらず、肌ツヤや血色も悪くはなく、なかなか良い具合のジジイに仕上がっていると思った。もちろん、自己評価だから多少甘くなるのは仕方がないし、こういうのも、一種の承認欲求を満たす行為なのだとすれば、そのとおりであろう。

逆に、同窓生たちと比較した自分自身の立ち位置(この場合は、老け具合における)が、著しく見劣りするような事態になったとすれば、きっと同窓会に参加したくなくなるであろう。

ということは、2つめ、3つめを大括りにまとめるならば、自分自身の健康問題に帰結する。アラフィフになると、健康であるということの重要性は、若い頃と比べて、とても大きな意味を持つ。若者にとっては、健康であることは、ある程度は、当たり前というか、健康でない状態にならない限りは、その大切さに気がつかない程度の些細なものであるが、アラフィフくらいになると、日々を平穏無事に過ごすことができるかどうか、あるいは生活を楽しむことができるかどうかは、自身の健康状態に大きく依存していることに気づかされる。

まとめるならば、僕らくらいの世代になって同窓会に参加しようと思うということは、自分の健康状態であるとか、経年劣化の度合いに関して、少なくとも自己評価に関しては、まずまずの及第点と考えているということを意味するのであろう。

まあ、こういうのも一種の健康診断ということになるのだろう。

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