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デート代について

デート代を男性が負担すべきか否かという問題についての議論で世間が騒がしい。

発端は、某AV女優が「デート代は男性に奢って欲しい」とTwitterに投稿したことに対して、「古い」「キモい」などと批判が殺到し、呟きを削除して謝罪することになったようである。

どうして、こんなしょうもない問題で非難されたり、議論が起きるのか、僕にはよくわからない。それに、ちょっと炎上したくらいで書き込みを削除したり謝るくらいならば、某女優も最初から何も言わなければ良いのだ。

しかしながら、ちょっと俯瞰的に考えると、この問題の根底には若い人たちの沸々とした怒りというか、今の世の中の現状に対する不満のようなものがあるような気がしてならない。具体的には次の2点を考慮する必要がある。

1つめは、気前よく奢りたくても、無い袖は振れないという問題である。若い男性の多くは懐具合に余裕があるわけではない。なのに、女性から当たり前のように「デート代は男性が負担するべき」と主張されると、カチンと来るのである。

背景として、日本人はこの30年余り、少しも豊かになっておらず、はっきり言えば、他のアジア諸国にも追いつき追い越され、貧しい国になりつつある。その中で、一番の悲哀を味わっているのは、若い人たちであり、非正規雇用の不安定な仕事にしか就けない人たちである。生涯未婚率が男女ともに上昇しているのも、それらと決して無関係ではない。

2つめは、ジェンダーフリーとか、男女平等とか言われている世の中であるにもかかわらず、デート代だけ男性負担が当然と言われることに対して矛盾を感じることである。男性からすれば、若い女性たち(もしかしたら、若くない女性も含まれるのかもしれないが)は、「いいとこ取り」をしようとしているように見えてしまうのだ。余裕があればともかくとして、余裕がない状況下では、こうした不公平は我慢がならないと考えたとしても無理からぬところである。

以上のようなことも勘案した上で、このデート代問題に関する僕の私見は次の①から③のとおりである。
①懐具合に余裕がある方が奢る、②誘った方が奢る、③デートをすることで便益を得る側が奢る。以上である。

①については、経済的に考えれば当然のことである。カップルが刹那的な関係ではなく、中長期的な関係を構築するつもりであるならば、決して無理はするべきではない。男性が奢ると決めつけるのではなく、たとえば、定職に就いている側、収入がより多い側、まとまった臨時収入があった側が負担するのが自然であるし、ワリカンをするにしても余裕がある側がより多くを負担するのが公平というものである。

もし女性側で、男性に奢られるなんて潔しとしないと考えるのであれば、1円単位まで完全なワリカンにしても構わない。当事者同士の勝手である。

②については、デートに誘った側が費用を負担すると言えば、誘われた側の心情としては納得しやすい。

これについても、誘われた側も相手に全面的に費用負担させるのは抵抗があると考えるのであれば、一定の割合での負担を申し入れれば良いだけのことである。

③については、デートをすることで便益、つまり精神的あるいは肉体的な欲求をより多く満たすことができる側が費用負担するということである。パパ活とかママ活のような関係もこれに含まれるかもしれない。

冒頭の某AV女優のように「デート代は男性に奢って欲しい」と主張する女性の多くは、自分ではっきりと意識するしないにかかわらず、自身の「オンナとしての魅力、あるいは市場価値」を商品にしていると言えなくもない。言い換えれば、市場価値の認められない女性まで同じことを主張するのは少々厚かましい。

実際の運用においては、上記の①から③のルールを組み合わせて、双方の負担感が納得的になるように話し合って決めれば良い。もし、それくらいの話し合いもできないようなカップルであれば、さっさと別れた方が良い。

断っておくが、僕はアラカンであるが、わりとジェンダーフリーな考え方の持ち主であると自認しており、僕と同世代のオッサンに多く見られるような、「オトコらしく」とか「オンナらしく」といった、ジェンダーロールの押しつけをするつもりはない。LGBTQのカップルについてはあまり想定していなかったが、その場合も基本的には①から③のルールに基づいて解決できそうである。

先ほども書いたように、この問題の根底には、今の世の中の貧困問題があり、これを解決しないとどうしようもない。つまり、個々のカップルのデート代の負担をどうするのかといった、きわめてミクロ的な問題ととらえるのではなく、日本社会をどうすれば豊かにできるのかというマクロ的な問題として大きくとらえる必要がある。

政府も「異次元の少子化対策」などと大風呂敷を広げるのは構わないが、社会全体が豊かになり、社会的弱者、つまり若い人たちであったり、非正規雇用労働者層であったりに対する所得の再分配が十分なものとならないことには、少子化対策にもならないということを十分に理解した方が良い。

人口推移というのは、社会の豊かさの指標のような面がある。

戦国時代末期、安土桃山時代頃の日本の人口は1,200万人くらいだったと言われている。それが江戸時代以降、短期間で人口が増えて3,000万人くらいになり、明治維新の頃までは横ばい程度で推移する。戦争がなくなり、生産能力が向上したものの、それ以上の人口増を賄うほどの豊かさはなかったのであろう。

明治以降、再び人口増のトレンドになり、終戦直後で7,000万人ほど、1960年代に12,000万人に達しているのは、明治政府による富国強兵、殖産興業の推進、戦後の高度成長等を通じて、日本の国が全体として豊かになり、それだけ人口が増えても養えるようになったからであろう。

この問題について、これ以上、書きはじめると、デート代負担問題から大きく逸れてしまうので、この辺にとどめておくことにするが、現状の足元において、社会的な格差が無視できないほど大きくなり、若い人が先々に夢も希望も持ちにくい社会になったがために、生涯未婚者が増え、少子化が止まらず、人口減少トレンドに陥っているというマクロ的な問題が背景にあるのであって、その結果、デート代を誰が負担するのかというミクロ的かつセコイ話で揉めることになっているのだという全体構造を理解しておく必要があるということだろう。

社会が豊かで、懐具合に余裕があれば、こんな問題で揉めたりしないのだ。

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