殺意vs希死念慮vsダークライ

常に頭の中で戦っている。

殺意

殺意と書いてはいるものの大小様々な対外的な憎悪である。
わかりやすい所だと、自分が不利益になるような行いをされたりだとか、そういった類のこと。

社会生活は人との関わりが非常に多いから、そこをどうにかしていかなければいけないのに全然できていない。
相手にとって良い行いであっても、自分がそれをうまく咀嚼できなかったりすることもストレスの要因になる。

希死念慮

自らの行いを悔やみ、終わらせてしまいたいと思う気持ち。
自分自身が終わってしまえば苦しむこともない。

自分が行ってきた事、行わなかった事を考えると何もできていないと実感する。
何もできない自分を憎む気持ちや、何もできないまま生きていく苦痛を考えると終わらせた方が楽になれるのではないか。
今、自らが感じている苦しみは自分自身が作り上げているし、自分自身の行いがこうしている。

苦しみが"人並み"の苦しみであったとて、その"人並み"未満であったら苦しんではいけないのか?
浮世の中ではおそらくそうなんだろう、他人は対して他人に興味を持っていない。
数値化できないものでも感覚的に比較し、自らのほうが…別の人のほうが…と考えてしまうものなのはわかっているし、合理的だ。現代社会において消耗し消費され続ける人間には他人をかまっている余裕などないのかもしてない。

ダークライ

チャンピオンロードでなみのりしてたんけんセット使うと手に入れられる。


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