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ただ言いたいことを言うだけの文章


まず最初に言いたいことは、これから書くことはあくまで私個人の主観的な意見であり、私の中の真実であるに過ぎないので、自分が正しくてこれ以外の意見が間違ってるということではないです。

ただ自分が発信したいと感じた以上、その情報に共鳴する人がいると確信していて、発信せずに胸の内に抑圧しておくことは、その人たちにも自分自身にも失礼と思うので包み隠さず言います。


常日頃感じていることではありますが、人生における苦しみの全ての根源と言っても過言ではないのが、「自分でやらなくちゃいけない」という誇大な自我意識なのでは。


現実創造や願望実現といった力は本来自我は持っていないのに、全て自我=自分がやっているという錯覚に陥ってはいないか?


この地球上で、宇宙で、自然の大きなサイクルの中で生かされている以上、自我ではコントロール不可能な大いなるものに動かされ導かれているという感覚が今の自分にはしっくりきてる。
そしてその大いなるものこそが自分たちの本質だと。


それなのに、人類全体の集合意識としていつまでも自我の成長ゲームに夢中になっているがために、比較・競争・優劣・格差が加速してる気がしてます。

まあ偉そうに言っている自分もエゴが喚き立てること全然ありますけど。


で、成長しないといけないとか、ポジティブでいないといけないっていうある種呪いのような風潮が昨今は蔓延しているように思えてならない。

そうやって人の生き方にとやかく言うばかりか、死に方にまでケチをつけるのを見ると本当に嫌気がさす。

こうやって死んだら可哀想、無念、救いたかった、とか。

気持ちはわからなくもない。
でも人の死に方をこの三次元世界の価値観で勝手にジャッジして、悲劇のドラマに仕立て上げたように語るのってそれこそ死者への冒涜じゃない?


生き方にも死に方にもオーディエンスがとやかく言って、ジャッジして、良いとか悪いとか素晴らしいとか悲しいとか言ってる。

そもそも宇宙の次元では一つだった私たちがなぜわざわざ分離してこの地球に肉体を持って生きているのか、それは各々の魂の計画をパズルのピースのように各々の形で表現するためなのでは。

だからこそ、そこに良いも悪いもなくて、全部平等な尊い体験・表現なはずで、自分にとって「良い」形でないからと憐れんだり蔑んだりする。


「みんな違って完全で完璧なら、ジャッジすることすら完璧なのでは?」って確かにそれもそう。
それはそれでお役目があるんだと思っている。

ただ私はそこに共鳴するつもりはないし、そこに共鳴しない人たちに向けて発信しているつもり。
それは私の真実ではないから。
それぞれがそれぞれのエリアで放つ光があって、それぞれのエリアで照らせるものがあるというだけ。


とにかく真実は人の数だけあって、逆に言えば自分の中にしかないの。
生きていくことがとてつもなく大変なこの地球で、外側に求めたくもなるし救われたくもなるよそりゃ。少なくとも私はめっちゃある。

でもさ一人一人が自分自身の真実に忠実に生きることが、世界に対しての誠意だと思うんです。
それが例えばポジティブだとかネガティブだとか、いわゆる素晴らしいかどうかとか、全く関係なくないですか?

そのまんまの自分自身の本質と繋がってそのまんまを表現することがパズルを、幾何学を完成させるんじゃないかな。
悟りとかマインドフルネスとか難しい言葉や理屈に当てはめて頭で自分を作り上げる必要なくない。
身体の深くから聞こえてくるはずの一人一人違う直感を素直に表現すればよくない。

生きづらくて何が悪いの?自分を嫌いで何がダメなの?
変わらなくていいじゃん。そのままでいいじゃん。

そもそもこのちっぽけな顕在意識で認識できる「自分」と思われるものに、綺麗に生きるための能力なんてないと思います。
目の前にある小さなガラス細工を自分自身だと勘違いして、人と違うからもっと美しくしたい、より壊れづらくしたいと奮闘しているようなものなのでは。

無理でしょうそんなことは。
自分の本質はそのガラス細工を両手に持っているもっと大きな存在であり、ガラス細工そのものではない。

これは極端な仮定の話になるけれど、たとえ私が不慮の事故や病気で早くこの世を去ることになったり、ホームレスになって極貧生活を送りながら生きることになったとしても、誰にもジャッジされたくない。

そうなってみないとわからないけれど、そうなることで表現できることや、照らせる光があるからでしかないんじゃないかな。
それに高次の次元では計画してきたことかもしれない。


なんで急にこんな支離滅裂な文章を書こうと思ったのか自分でもよくわからない。
でもどうしようもなく湧き出てきて、書かずにはいられなかった。

誰かのことを否定して傷つけたい意図はもちろんなく、誰かを救いたいとかおこがましい意図もない。

ただ自分に湧き上がってくるこの言葉を発信しないで偽っていることが難しく、失礼に値すると感じたので思うままに書きました。


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