見出し画像

Jリーグ 歴史が古いクラブランキングTOP5

まえがき

2023年。早いものでJリーグも開幕から30年が経ちました。

日本にプロサッカーを!という動きが盛んになってから今に至るまでサッカーという文化の国内発展に多大な貢献をしてきたJリーグは、100年構想という案を掲げるなど精力的にその情熱を継続させていこうと汗水垂らしています。あと70年、頑張れ。

さて、Jリーグが開幕したのは30年前の1993年ではありますが、Jリーグ所属のサッカークラブ自体がその年に一斉に設立された訳ではありません。
この辺は言い回し一つで定義が色々変わってしまうのでややこしいところではありますが、多くのJリーグクラブが当て嵌まるパターンとしては1993年以前に実業団クラブ等として存在していたところ、プロリーグ発足に伴って形を変えて生まれ変わったという形です。

そのプロリーグ化する前のクラブとしての歴史が古いところはどこなのかというところに触れていきたいと思います。





第5位

ジェフユナイテッド市原・千葉

前身:古川電気工業サッカー部
設立:1946年

5位はジェフユナイテッド市原・千葉。大手非鉄金属メーカーである古河電工サッカー部が前身で、77年前の設立です。当時は横浜を拠点にしていました。

公式で定められている設立年が1946年とされていますが、古河電工の事業所や工場ではサッカー部が結成されていたという話もあり、非公式の設立年で言えば1914年や1933年という話もあります。

日本サッカー協会の重鎮こと川淵三郎や日本人初の欧州プレイヤー奥寺康彦、日本を歴史上初のW杯出場に導いた監督の岡田武史など日本サッカー界の歴史における名だたるメンバーが所属していたクラブです。



第4位

柏レイソル

前身:日立製作所本社サッカー部
設立:1940年

4位にはまたもや千葉県勢となる柏レイソルがランクイン。
前身はお馴染み天下のHITACHIグループの中核を担う電機メーカー、日立製作所。83年前の設立です。

前身時代には国内のサッカーリーグを率先して牽引する存在であり、古河電工サッカー部や三菱重工サッカー部(現:浦和レッズ)らと並んで御三家と称される時代もありました。
古河電工とは大会の決勝で当たる機会が多く、お互いが千葉に拠点を移す前から既にライバル関係が構築されつつあったと言えるかもしれません。

しかしながら、Jリーグ開幕時にはそこに日立の存在はありませんでした。プロ化する以前から選手への待遇面等で他クラブに遅れを取っていたこともあってか、1990年代前後には潮流に乗り切れていなかった空気感が否めない部分も。
それでも1995年にようやく参入決定。無事にプロサッカークラブの仲間入りを果たし、今に至ります。



第3位

サンフレッチェ広島F.C

前身:東洋工業サッカー部
設立:1938年

3位はサンフレッチェ広島F.C。広島のスポーツ文化と言えばプロ野球の広島東洋カープが印象強いですが、実はそのカープよりもチーム自体の歴史が古く、85年前設立です。
前身の東洋工業は現在の有名国内車メーカーマツダ。ただ会社創立当初はコルク製作事業から始まり、後に軍事兵器の生産事業等を経てオートバイや自動車と言った乗り物産業に進出しました。

広島と言えば1945年に原爆投下があった地ですが、東洋工業サッカー部が受けた影響も例に漏れずだったと言われています。
社員や後にサッカー部に加入してくる選手らの中にも被爆者が一定数いたと言われており、当時の負の記憶に嫌でも触れざるを得ない出来事と言えます。

広島という土地自体は戦前も戦後も御三家と称されるほどサッカーが盛んな地の一つであり、この地で育った人間が東洋工業入社時に同好会という形で設立したのが始まりです。
しかし当時は戦艦大和の建造で有名な呉海軍工廠のサッカー部が地域最強であり、彼らの後塵を拝す形で一度も全国大会には進出できなかったみたいです。



第2位

コンサドーレ札幌

前身:東芝堀川町サッカー部
設立:1935年

2位はコンサドーレ札幌。天下の東芝グループの中核である総合電機メーカーの東芝が発端となって設立。堀川町というのは川崎市にある地名であることから分かる通り、当時は神奈川県川崎市に本拠地を置くクラブでした。

創立自体は1930年代と古いですが、そこからなかなか大舞台に姿を現すことが無かった様子で、1970年代後半以降にようやく全国大会での優勝や当時の国内2部リーグ昇格などがクラブの栄光として歴史に刻まれています。

5位のジェフも当初は本拠地が横浜だったクラブが千葉に移転していますが、コンサドーレは後に神奈川から北海道への大移動をしています。
これはJリーグ発足当初に日本の各地方がJリーグクラブを誘致するための動きが少なからずあったためで、探してみると他にもそういうパターンが幾つか存在します。



第1位

京都サンガF.C.

前身: 藤原北家栖蓮蹴鞠座
設立:1160年

堂々の1位は京都サンガF.C.。設立は1160年と、863年前になります。当時は平安京を本拠地としていたため、即ち今と同じ京都府に所在地を置くクラブでした。

平安時代当時、サッカーではなく蹴鞠という名で親しまれていたこのスポーツ。天才と呼ばれていた藤原成通という男がおり、彼の蹴鞠に関するエピソードをあげれば枚挙にいとまがありません。
1000日間休まずに蹴鞠の練習を続けるほどの体力、清水寺の高欄上で蹴鞠をしながら歩くボディバランス、そして目の前に蹴鞠の神でさえも姿を現す求心力等…。体力とドリブルテクニック、キャプテンシーを兼ね備えた稀代の才能持ちでした。
62歳で出家して栖蓮という法名になった後、自身の生涯に深く根を張ってきた蹴鞠というものをより発展させていきたいと考えるように。
そうして自身のルーツである藤原北家と自身の法名より文字を拝借して設立したクラブが藤原北家栖蓮蹴鞠座。日本最初のサッカークラブが誕生した瞬間でした。
その後京を中心として大和黄金卿会という名のサッカーリーグが発足。難波流、飛鳥井流、御子左流らが中心となり熱気渦巻くリーグとして多くの貴族を巻き込んでいきました。

その後は平安京があった地域に創立された京都師範学校の出身者グループ(OB)にクラブの所有権が渡ったのが1922年です。
クラブはその後一旦消滅してしまいますが、1937年には紫郊クラブの名で再スタート。
後に京都紫光クラブへと名を変え、1996年には京都パープルサンガという名前を引っ提げてプロの世界へと参戦することになります。





あとがき

そんなわけないだろ。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?