カピバラ☆おやじ

TV・映像ディレクター歴30数年。無駄に多趣味なオッサンの独白。

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最近の記事

白Tシャツ考

無地の白Tが流行り初めて10年くらいになりますかね? 昭和生まれのオッサンには白Tといえば下着のイメージしかなかった。 子どもの頃、実家の隣が八百屋やったんやけど、その八百屋のオッサンが下着の白Tに白のステテコ腹巻き姿やった。バカボンのパパに近いイメージ。未だにそのイメージが強い。 今の若い人はそんな白Tをカッコよく着こなしてアウターとして違和感がない。インナーぽくないデザインの物が増えてるってのもあるやろう。 けど、昭和のオッサンにはそのデザインの違いがよくわからな

    • 大学に行く意味。あるいは「学ぶ」ということ。

      大学卒業して何十年も経ったじいさんが言うこっちゃないかもしれんけど、今朝ふと大学に行く意味について寝起きのぼーっとした頭で考えたのでnoteしとこと思う。 入学シーズンでもあるしね。 さて、ワシはというと、世間的にはそこそこ名の知れた大学に入ることが出来た。それなりに受験勉強してきたおかげであることは間違いない。 じゃあなんでその大学を目指したのかというと、親がそういうとこに行かせたかったからだ。そういう教育をされてきたので、そうじゃないとこに行くのは「恥ずかしい」と思わ

      • 黒島天主堂の御朱印の話

        長崎県佐世保沖合の黒島。 文字通り、黒ぐろとした色からそう呼ばれるようになったらしい。車であれば10分で一周できてしまう小さな島。人口300人余り。 かつては島の住民のほとんどが潜伏キリシタンで、今はカトリックとなっている。 島の中心にあるのが黒島天主堂。 高さ32m余り、島の人口には不釣り合いなほど大きく立派な教会だ。国の重要文化財にも指定されている。島のキリスト教徒の信仰の篤さを感じさせる。 レンガの一部は島の赤土から作られたらしい。 内部もとても立派で、国宝の大

        • 「遺跡」となる途中の廃墟を見た話

          前置き とりあえず、昨日見て感じたことの記憶を、 記録として残しておこうと思う。 ちゃんとした文章にはなってないかもやけど。 長崎県の野崎島集落跡を取材で訪れた。 集落跡は2018年に「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産のひとつとして世界遺産となった。 港を降りた瞬間、目の前に広がるのは、数々の廃墟。数十年前まで人が暮らしていた野崎集落の廃村だ。 この地域の特徴として、家屋の周囲には防風用(たぶん)の石垣が築かれている。どの家も立派な石垣を備えている。

          なぜTVディレクターになったのか?

          このnoteは人に見せること以上に、自分自身の備忘録として書いてる側面があります。なので、ぼくがなぜTVディレクターになったのかなんて、他人からすれば「そんなん知るかよ!」ってところですが、まぁ興味がある方はお付き合いください。 ■歴史好き少年 子どもの頃は考古学者になりたいと思ってました。 歴史好きの子どもでした。父親の影響や住んでいた地域の影響もあったと思います。 テレビは好きでしたが、別にテレビ番組を作りたいとか考えたこともありませんでした。 ■カメラ好き少年 今

          なぜTVディレクターになったのか?

          「前説」が性格を変えた?

          「前説(まえせつ)」という言葉をご存じでしょうか? 最近はもうかなり一般的にも浸透してるかも。 何かというと、テレビの収録や舞台公演が始まる直前に、 スタッフや若手芸人などが観客に向かって収録の注意事項や演目などを説明する事です。 テレビの収録ではADがこれをやることが多いです。 かく言うぼくもADに成り立てのころ、前説をやらされました。 観客をいじって笑わせたり、 その日の内容を軽く説明したり、 拍手の練習をしたりします。 始まる前にある程度観客を盛り上げておくことで、

          「前説」が性格を変えた?

          「テレビディレクターってすごい」いや、すごい?

          最近はあまり言われなくなりましたが、 ぼくがテレビディレクターだと言うと、 「すごいですね!」 と言われた事があります。 いや、テレビディレクターってすごいですかね? 確かにレアな仕事ではあります。 職種としては全人口に占める割合は少ないでしょう。 でもこの仕事がすごい!とは自分自身は一度も思ったことがありません。 それよりもぼくは、営業職とか経理職とか、いわゆるよくある職種の人の方が、すごい!と思っています。 ぼくはずっとテレビ業界ではありますが、最初に入ったテレ

          「テレビディレクターってすごい」いや、すごい?

          まずは自己紹介です

          大学を卒業して地方のテレビ局に就職しました。 しかし希望していたテレビ制作の部署に就くことができず、またこの地方テレビ局では存分に仕事もできないかも?と思ったことから、大阪のテレビ制作会社に転職しました。 その後、別の制作会社に転職し、テレビディレクター歴は合計30年を越えました。 30年以上ずっと制作畑にいられたことは、自分にとっても奇跡的なことやなぁと、今さらながらに思っております。 そして、いよいよ「定年」の足音が聞こえる年齢となりました。会社を出た後も、死ぬまで

          まずは自己紹介です