大学に行く意味。あるいは「学ぶ」ということ。

大学卒業して何十年も経ったじいさんが言うこっちゃないかもしれんけど、今朝ふと大学に行く意味について寝起きのぼーっとした頭で考えたのでnoteしとこと思う。
入学シーズンでもあるしね。

さて、ワシはというと、世間的にはそこそこ名の知れた大学に入ることが出来た。それなりに受験勉強してきたおかげであることは間違いない。

じゃあなんでその大学を目指したのかというと、親がそういうとこに行かせたかったからだ。そういう教育をされてきたので、そうじゃないとこに行くのは「恥ずかしい」と思わされて来たのだ。いや、親のせいだけではないな、ワシ自身かつてはそう思っていた。

希望した学科は文学部の心理学科だったがそこまでの学力はなかったので、滑り止めとも言える商学部に行くことになった。商学部で学びたいことがあったわけでもないのに。

学びたいことがあったわけではないので、授業は適当に受けていた。単位をとるためだけの作業。長年受験勉強だけはやってきたので、単位はほぼ落とすことなく無難に取ってきた。

そんな状態で4年間大学生活を送って来たので、
「大学で何を学んだのか?」
と問われれると、
「単位を取ることしかしてない」
と答えざるを得ない。
その後の社会人生活に必要なことは、大学からは何ひとつ学ばなかったと言っていい。当時、特にワシのような商学部や経済学部の連中はほとんどそんな感じやったんやないかと思う。

当時の授業で印象的なのは経済概論とか経営概論とかやけど、あんなの(というたら失礼やけど)実際の社会生活でどんだけ役に立つのかも分からないし、講義する教授だって学生に役立たせようと思ってやってる人どれほどいるんやろ。ただ自分の学説を発表する場やったんやないか?

ということで、ワシは大学4年間、大学の授業内容からは何も学ばなかった。学ぶ気さえなかった。卒業証書という肩書が欲しかっただけだ。希望する心理学科に行ってたら違ったかもしれないけど。

そんな大学生やったので、社会人になって、特に転職して2個目の会社に入って実際にテレビの現場で働くようになって、おのれの無知に嫌と言うほど気付かされた。知らないことの多さにある種の絶望感があった。そこそこの大学を出たという自負があったのに、そんなんなんの意味もなかったことがわかった。だって大学で何にも学んでないもん、当たり前といえば当たり前。

そんなワシやったけど、テレビの制作という仕事をして行くにつれ、実に多くのことを学ぶことになった。学ばなければこの仕事は出来なかった。学びしかないと言っても過言ではない。

映像を作るという作業は、インプットとアウトプット。多くの知識と情報を得て、それを映像という形にする作業。教師に似ていると思う。
特にワシが関わって来たのは主に情報番組が多かったので、様々なジャンルの情報を身につける必要があった。偏った情報ではなく幅広く知る必要があった。それを求められた。

中には全く興味がないジャンルもあるけど、無いからといってインプットを怠るわけにはいかないので、ひたすら学んだ。

学んで知見を深めるうちに興味が湧いてきたものも少なからずある。仕事として「必要だから」学びを行って来たのが、もはや自ら積極的に学びたいと思うものに変化して行ったのだ。

大学という学びの機関に4年間もいながら何ら学びを得ていないワシは、全く無駄な4年を過ごして来たと言える。学びたいことを見つけることすら出来なかった。受験勉強の申し子だったワシは、受験のための勉強をするばかりで、学びの楽しさを知らなかった。

学びの楽しさを他人に押し売りする気は毛頭ない。けど、せっかく大学に入ったのなら「学ぶ楽しさ」を知って欲しいと思う。授業にそれがなさそうなら、授業以外の学生生活で何かしらの学びを得る体験をしてほしい。学びたいことが見つかってない人は、とにかく色んなことを体験してみて、学びたいと思うことを見つけて欲しい。

時間は限られているし、それこそ「単位を取る」という作業も必要。
やけどそれ以上に、「学ぶ」ことの大事さや楽しさを知っておくと、その後の社会人生活でもなんかしら役に立つんやないかと思う。

そんなことを、寝起きのぼーっとした頭で思いついたので、ここにnoteしとく。

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