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ヨコ、12年間お疲れ様でした(コンサドーレ札幌〜引退編)

横山知伸選手の引退によせて、だらだらと勝手な思い出を綴るシリーズ、こちらが最後になります。フロンターレ、セレッソ、大宮在籍時については以下。

※基本的に敬称略で失礼します

北海道コンサドーレ札幌

2016年年末に、大宮と契約更新のリリースが出たので来年も大宮通いましょーと安心し、天皇杯準決勝で川崎が勝ち、初の元日決勝だと浮かれたのも束の間吹田スタジアムで灰になり抜け殻状態だったところへコンサドーレ札幌へ期限付き移籍のリリースが。契約更新したあとに期限付き移籍とかそんなこともあるのねー。しかし北海道かー遠いなー。

幸いにも関東近郊アウェイの試合が続いたのと、4月に川崎戦があったので、結構立て続けに観戦することができました。

2017年3月4日(土)J1第2節 横浜F・マリノス
2017年4月2日(日)J1第5節 ヴァンフォーレ甲府
2017年4月16日(日) J1第7節 川崎フロンターレ
2017年4月22日(土) J1第8節 浦和レッズ
2017年4月30日(日) J1第9節 ジュビロ磐田

甲府や磐田が関東近郊かというのはさておき、5試合観て一度も勝つところを見れず。磐田戦とか絶対勝てると思ったのに。

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磐田戦は現地で観ていたのですが、試合前にゲーフラ掲げて、試合始まったらゲーフラの棒を抜いて畳んでしまったのです。座席狭いし立てかけておくと倒れて周りの迷惑かなと思って。それに開始3分でゴール決めるとか思わないし。磐田のビジター席ってゴール裏の2階で死角も多くて、肝心のゴールシーンもアウェイ側だったのに「いまの足は横山な気がするぞ?」くらいの感じで全然見えず。周りのかたと「誰ですかね?横山?横山ですね!?」と顔を見合わせていたらアナウンスがあったので、慌てて手で持って掲げたけど風強くてほとんど見えてなかったと思う。痛恨の極み。

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4月の川崎戦は札幌ドームへ観に行きました。しかし試合が日曜で、前日の練習は札幌ドームだというので(見学不可だったかも)、前日に札幌へ行ったのですが練習見学できず(白い恋人パークへは行ったぞ)、日曜の試合後に帰ってきてしまったのです。旦那も一緒だったから私だけもう一泊する訳にもいかないし、仕事もあるしで。そのかわり、6月末に一人で札幌に行くつもりでいたのです。2泊3日の予定で飛行機と宿もとって、練習見学とか、行きたいお店とか満喫して清水戦観て帰ろうと思っていたのですが、行けなくなりまして。

というのは、6月初めに妊娠が判明し、つわりも結構あったし何より「高年齢かつ重度の心臓弁膜症持ちハイリスク妊婦」になってしまったもので、一人で札幌に2泊して万が一何かあったらと思うとキャンセルせざるを得ませんでした。

6月の鹿島や柏も行くつもりでいましたが、鹿島は怪我でメンバー入りせず、柏もつわりがピークの頃で、しかも日立台のビジター席は仮設スタンドで揺れるし(等々力のピッチサイドシートですら気持ち悪くなった)、柏駅から徒歩20分でバスも無いに等しいので諦め、8月のアウェイ川崎戦は観に行ったけれど足首痛めてメンバー外、次に観れたのはアウェイのFC東京戦でした。リーグ戦アウェイ初勝利。結局この試合が私が生でプレーを見れた最後の試合になってしまいました。アウェイ清水もどうにか行けないか悩んだけど8ヶ月のお腹抱えて一人で清水行くのはさすがに難しく。最終節の鳥栖戦は、ゴールシーンだけ夜に病室でDAZNで見ました。

福森のFKからのヘディングシュートとか川崎サポとしては胸熱すぎるでしょ。

翌2018年、監督がペトロヴィッチに替わり、全くメンバー入りできなくなりました。味スタのアウェイも見に行ったけれど案の定メンバー外で。「もう札幌で試合出られないならどこかレンタル出してくれよー(できれば関東近郊のチーム)」と思っていたら、熊本に期限付き移籍のリリースが出ました。

ロアッソ熊本

熊本ですかあ…遠いですねえ…しかも関東アウェイの試合が割と前半に終わってしまっていたため、残っていたのは東京ヴェルディと水戸のみ。

リフレッシュも兼ねて一人で熊本行ってきたら?と旦那が言ってくれたので、土曜夜の試合を調べてホームの大分戦に行きました。
1-1の同点に追いつき、横山を入れて逃げ切ろうと交代の準備してライン際で待機していたら大分に2点目を決められてしまい。結局横山の交代はやめて水野晃樹が入り、試合もその後さらに失点して1-3で負け。もっと早く交代していれば横山も見れたし逃げ切れたんじゃないかい?と思ったけどまあ仕方ない。
翌日はファン感謝デーということで、そこでお会いできるかなと思っていたのですが、8月に起きた北海道の地震の影響で、横山は家族を札幌に残して熊本に来ていたのでファン感謝デーには参加せず札幌に戻ると発表が。半ば予想していたし仕方がないのだけどまあちょっとショックですよね。熊本まで行って会えなかったというのは。

翌週のアウェイ東京ヴェルディ戦はベンチ入りしたけど出場せず、水戸はメンバー入りすらしておらず、仕方がないので梅酒飲みながら木村祐志のキッカー姿を眺めてました(水戸じゃん)。

熊本は降格してしまい、熊本も札幌も契約満了になり、トライアウトに出たところまではチェックしていて「どこか決まらないんだろうか?」と思っていたら。それこそ青天の霹靂ですよね。

病名が病名なので、とにかく生きててよかった!というのが最初で。でもこのまま引退なんだろうか?と思ったら復帰に向けてリハビリ中ということで。高校の同級生の大沢朋也さんのツイッターとかで生存確認をしてました。

まさかの水野晃樹選手のInstagramでとあるチームに練習参加していることを知り、それから程なくしてFC岐阜へ加入のリリースが出ました。

FC岐阜

10月27日の町田ゼルビア戦を観に野津田へ行きましたがメンバー入りせず。シーズン終盤になっても全くメンバー入りできず、メンバー入りできずに終わるのだろうか?脳腫瘍の手術から9ヶ月しか経っていない人が、J2とはいえ復活できるほど甘くはないのかな…と思いつつ、岐阜にいるうちに会いに行きたいと思い、11月16日のヴァンフォーレ甲府戦と、翌日の練習を観に行くことにしました。そのときの観戦記はこちら。

メンバー外だろうと思って行ったので、メンバーを見て「うそー!」と屋台村の前で叫んでしまいました。ウォーミングアップでピッチに出てきたときは本当に感極まってしまい、バックスタンドでタオマフを顔に当てているあやしいおばさんに…。ウォーミングアップのときも声を出したり手を叩いたりして選手たちを鼓舞しようとしてました。(この記事のヘッダーはこの試合のウォーミングアップの写真です)

翌日、Google mapさんに従ったら路線バスの旅みたくコミュニティバスとか乗る羽目になりながら練習場所のグラウンドへ行きました。

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直接話すの実に3年ぶりとかで、他のファンの人も待たせてるしみたいな感じで勝手にあたふたしてしまい。写真は撮らせてもらったけど一緒に写真撮ってもらうの忘れたなとか、また来年もきっとどこかのチームで会えるかなとか軽く考えてたんですよね。

翌週11月24日(日)東京ヴェルディ戦も観に行きました。

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試合はまあ5-1で大敗しまして(しかも小池純輝ハットトリック)、この展開じゃまあ出場は無いよなーと思いながら見てた訳ですが、この日特に目立ったのは、失点したときにベンチから立ち上がって、ピッチ内の選手に向かって声を掛けて鼓舞していたところ。上の写真は塚川選手が交代で入ろうとしている場面なんですが、交代で入る選手に声を掛け、下がってきた選手をねぎらい、試合に出られなくてもベテランの選手としてできることを、という気持ちが伝わってきて泣きそうになりました。個人的には何となくセレッソにいた頃の茂庭選手みたいだなあと。

有料記事なのでタグマ!のサッカーパックとかに入っている方でないと続きは読めないのですが、冒頭の部分だけでも北野監督(当時)の評価がわかるのではないかと思います。
私の中では大学卒業したばかりでユニクロのリュック背負って学生っぽい格好してた頃のヨコがつい先日のように思えてしまうのだけれど、いつの間にか様々な経験を経て、自分の経験を後輩に伝えられるベテラン選手になっていたのだなあと。FC岐阜でベンチ入りした2試合を観戦しながらしみじみと考えておりました。

おわりに

ただの自己満足のだらだら記事もそろそろ締めたいと思います。今後は指導者を目指すそうで、年始のB・C級ライセンス指導者講習会にも参加していたようですし、どこかのチームのコーチとして、また姿を見れたら良いなと思っています。所属していたチームのどこかで引退の挨拶とか聞ける機会があるとよいですが難しいですかね。引退セレモニーやファンとの送別会など、ファン・サポーターに直接引退の挨拶ができる選手というのはほんとうに一握りですし、幸せなことなのだなと改めて思います。トライアウトに出ても所属先が決まらず地域リーグや社会人チームで仕事の傍らプレーを続けたり、ひっそりと引退して元所属チームのスクールコーチになったり、サッカーとは全く違う道を進んだり。。
直接伝えることはたぶん無理だろうと思うけれど、横山を追いかけて気が付けば色んなチームや場所に行って、年甲斐もなく楽しい個サポライフを送らせていただきました。色んなサポーターの方々とも知り合うことができました。ほんとに感謝です。
長々と書いたけれど、気がついたらどんなプレーが好きだったかとかそういったことを全く書いていない、個人的な追っかけ思い出話になってしまいました…まあ、いいか。

横山知伸さんのこれからの道に幸多からんことを願って、この記事を終わりたいと思います。12年間本当におつかれさまでした。


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