ぱよ
詩のような、小説のような、そんなオリジナル創作
オチなし意味なし突拍子なし、で思うことを綴ります。
推しのマガジン読みたさにnoteを登録してみたら、自分でも何か投稿してみたら面白いかなと思って文章を書いております。 はじめまして。ぱよです。 好きなものは本と映画と音楽。 本は小説ノンフィクション問わず広く読んでますが、なんとなく非日常的世界で淡々と描かれる日常に惹かれます。デフォー『ロビンソンクルーソー』、村上春樹『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』、柏葉幸子『霧のむこうのふしぎな町』は手元に置いてないと生きていけない、そんな大事な本です。 映画は洋画ア
僕の家には庭がある。 そこまで立派なものではないかもしれないけど、 小さな植木やら花壇やらが置いてあって 天気のいい日は縁側に腰かけて 外の空気を楽しめるような そんな庭だ。 庭なんてない家もめずらしくないこの世の中で ちょっとした僕の自慢だ。 僕の庭には、たまに猫がやってくる。 黒い野良猫。 どこからやってくるのかわからないし いつくるかもわからない。 気が付いたらふらりとやってきて、 窓越しに僕に話しかける。 そんな時は縁側に出てきて しばらくその黒い野良猫と話をする。
たとえば 自虐ネタが苦手だ。 「そんなことないですよ」と返すのもなんか気を使っているように見えるし 「そのとおりですよね」なんて絶対言えないし 気まずい笑いを返すしかなくなるから自虐が苦手。 なのにうっかりすると自分もフランクに自虐に走り、 引き気味の笑顔にやらかした…と思う。 とか たとえば 相手の話を一生懸命聞いて、聞いて、聞いた後 自分の話をしようとすると 「いやお前の話は求めてないんだけど」って目をされて なーんだ僕ってば赤べこ的役割しか求められてなかったのね
子どもの頃、大人になるのがたまらなく嫌だった。 小学校を卒業する頃が嫌の最高潮だった。 中学・高校は3年で卒業してしまうから、一足飛びに大人になってしまう気がしたからだ。 大人になるということは、子どもの自分がいなくなることだと思っていた。 自分の中にいる子どもの自分がきれいさっぱりいなくなって きちんとした大人の自分がやってくる。 きちんとしないと、生きていられないと思っていたのだ。 ほんとに大人になってみると、実際はちょっと違うんだなと気づいた。 僕の中にはたしかに
宇宙猫は、そらもう宇宙のように大きな猫なもんだから 地球をボールにして遊び 太陽のストーブの前で眠るのだ。 宇宙猫が気まぐれに 星を落としたり 爪のさきっちょで海をかき混ぜたりする時 何も知らない可愛い可愛い人間は やれ天変地異だ、神の怒りだ、宇宙の神秘だと やいやい、にぎにぎ、大騒ぎ だけど宇宙猫は猫だもんだから 宇宙の蚤よりちっぽけな囁きなど全然お構いなしに 今日も気ままに遊ぶのだ。
夢を見るんだ。 なんだかよくわからないけれど、なんとなく幸せそうな夢を。 僕と、ドムと、クリスと、三人でバンドをしてる夢。 世界中のあちこちを回って 大きな会場でびっくりするようなライブをする。 誰も思いつかないような とてつもないライブをする、そんな自分を見る夢。 いつも僕は観客の側で 楽しそうに曲を演奏する、大きくなった自分を見てる。 見る。ただそれだけ。 それだけなのに身体がうずうずして それだけだから早くそっちに行きたくて そのステージの上から
俺が、強く望みさえすれば いつまでも終わりなんて来ないって思ってた。 大好きな奴らと ずっと、ずっと 楽しくやっていけるんだって 信じてるとか、そんなちゃちなものじゃねえ 当たり前に当然に ずっと続くんだ だってこの俺が望んだことだぜ? 兄貴 てめぇは最低な野郎だ 9月にオアシスのネブワースの映画を見ました。 ライブの最後、お互いに「楽しかったね!」って笑いあうギャラガー兄弟を見てちょっとしんどくなった。 メンバーが脱退した時のリアム君のインタビュー
いつもどこか居心地の悪さを抱えていて ここは自分の居場所じゃないって、 どこにいってもそんな目をしている それがあいつなんだ 友達が沢山いるやつっていうか いろんなコミュニティにいるやつだった どこにでも所属できる どこにでも行ける だけどそれって、逆に言っちゃうとどこにも帰れないってことなのかもしれないな 地元のワルとつるんでいる時も 女子たちとはしゃいでいる時も 俺たちとバカやっている時だって いつだって「ここは僕の居場所じゃない」って 人懐っこ
初夏あたりからぽちぽちレコードを買っている。実は夏にターンテーブルも買った。レコードはいいぞ。 レコードを初めて買ったのは近所の昔からやっているオーディオショップ。たまたまレコード市をやっていたのだ。 レコードは洋楽にハマりだす前から気になっていた。CDやパソコンで聞くのと音がどう違うのか知りたくて。でも僕にはレコードで聞きたいほど思い入れのあるミュージシャンがいなくて。そんな中洋楽沼に落ちた。これは買うしかない。 しかし僕の住むこの田舎にレコード売ってる店とかあるのだ
「ねえ、君をがっかりさせるようなことを言ってあげようか」 傍らに体育座りをしているトムが、ふいにそう呟く。 「君を幻滅させるようなこと」 自嘲気味に笑いながら。 この状態の彼の言うことにあまり興味はないけれど。片眉を少しだけあげて聞いている姿勢を見せる。そうして形だけでも示してやると、彼は安心するから。 「本当はね、誰のことも好きじゃないんだ」 小さい体をさらに縮こまらせながら、ささやくように、歌うように彼は続ける。 「エド、君のことも。ジョニーも、コリンも、フ
「アンブレラアカデミー」というドラマが好きです。シーズン2までやっています。一番好きなのはファイブ君なんだけど、クラウスとベンのコンビも好き。今日はクラウスとベンの二次創作小説みたいな何かを挙げます。 ↓ 以下本文 ―死者と会話をすることができる― 自らの能力を初めてありがたいと感じたのは、弟が死んだ時だった。 「クラウス、さすがにそれは薬のやりすぎだよ。よくないって」 なんだろう、死んだ弟の声が聞こえるな……ああ、ちょうど程よくラリってきたところだ。いつもの幻聴だ
去年の冬あたりからUKロック及び洋楽沼にハマっている。洋楽バリバリ初心者です。 レディオヘッドから始まって、オアシス、ブラー、ニルヴァーナ、トラヴィス、コールドプレイ、New Order、MUSE、ザ・スミス、My Chemical Romance、Slipknot、レッドツェッペリン、などなど、などなど、聞いてきた。 その中で音楽が好きだなと思ったのがレディオヘッド、オアシス、New Order、MUSE、マイケミ、Slipknotで メンバーの関係性も含めてめためた
僕のからだ どんどん、どんどん、小さくなって。 僕のからだ どんどん、どんどん、小さくなって 子供よりも 赤ちゃんよりも 小さくなって 僕のからだ どんどん、どんどん、小さくなって ねずみよりも ありんこよりも 小さくなって 僕のからだ どんどん、どんどん、小さくなって みじんこよりも さいぼうよりも 小さくなって 僕のからだ どんどん、どんどん、小さくなって どんどん、どんどん、小さくなって 見えなくなるまで小さくなって そうしてぷ
一人称の呼び方がたくさんあるのが、日本語の楽しいところです。 「わたし」「俺」「僕」「あたし」「うち」「自分」「小生」「吾輩」「ワシ」など。などなど。日本語には一人称がたくさんある。面白いですよね。 たまらなく好きな一人称がある。「僕」だ。 「僕」。「ぼく」。声に出してみてください。なんて可愛らしい響きなんだろう。「僕」という言葉の可愛さが好きです。 男の人が使う「僕」が好き。普段は「俺」の人が、ちょっといいこちゃんぶって「僕」というのも好き。ずっと「僕」って言ってる
「人類に絶望するのに特別な体験なんていらない。よく晴れた日曜日に車で街にでかけるだけで十分だ」 車で買い物にでかけた彼女は、戻ってくるなりそういった。なんとも突拍子のない言葉。 「人類に絶望するとどうなるの」 「魔王になるのよ」 これまた突拍子のない言葉だ。 「魔王になるとどうなるの」 「知らないの?」 彼女の眼は怒っている。休日の車に怒っているのだ。 「世界を滅ぼすのよ」 僕にはよく見える。彼女の背後から真っ赤な煙がもうもうと上がって、頭から二本の大きな角