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ADHDの息子の母が、久しぶりに呟く。

先日、あるスポーツの先生をしている人と話す機会があった。
彼はとても気さくで明るく、私の昔馴染みなので信頼している人の一人だ。
そんな彼が、教え子の事で参っていると言う話を始めた。

その教え子は私もよく知る子で、わかり易くいうと発達障害のあるこだった。
感情の起伏が激しく、情緒不安定だったり命令されることを嫌ったりするこだわりの強いタイプ。しかし笑顔が可愛くて、スポーツ万能、とっても優しいという一面もある。

我が家で言うと、ADHDの兄の方に傾向が似ている。

話を聞くと、言うことは聞かないし、気分が乗らない時はどーんと落ち込んで愚図るし、周りの事も考えず空気も読めないから本当に参っている。自分ともう一人の年配の男の先生は元々子供が好きな方では無いので、こういう子がいると本当に困る。勘弁して欲しい。との事だった。
「色んな人がいるから、合う合わないはあるよね。受け入れられないタイプもあると思う」
という私の言葉に、「え?あれを受け入れられる人がいるの!?」と目を丸くした彼は、一生懸命オブラートに包もうとしていたが、元来素直な人なので、言い方や表情で心底迷惑なのだというのがヒシヒシと伝わってきた。

【色んな人がいるから、受け入れられない人もいる】

それはずっと私が自分に言い聞かせてきた事だった。それは勿論そうだよ。と、当たり前に分かっているつもりでいた。
それなのに、ハッキリと迷惑だと思っている人と相対した時、心臓が抉られるかと思った。

分かっていたはずじゃないか。
色んな人がいる。
誰もが笑いかけてくれる訳じゃない。
自分の人生だってそうだったじゃないか。

自分の子供の事じゃないのに、涙を堪えるのに必死だった。

発達障害。これは、遺伝子レベルで生まれつき脳の働きが偏った発達をするもので、生まれつき心臓病を患っているのと同じでは無いのだろうか。

生まれつき足が動かない子。
生まれつき目が見えない子。
生まれつき我慢できない子。
生まれつき綺麗な字が書けない子。

それぞれ皆憎たらしい面もあればとっても可愛い面があるのも知っている。
当事者の母になった今の私にはみんな同じに見える。

でももし子供がいなかったら?
もし自分に生まれた子が【所謂普通の子】だったら?
気付けなかったかもしれない。
自分も口には出さなくても迷惑だと感じる人間になっていたかもしれない。

その先生には悪意も何も無い。
素直に「俺には無理」そう感じているだけだ。

今私たち親子の周りに居てくれる人達があたたかすぎて、その有難みを忘れかけていた。

これからあと数年したら、一人で旅立っていくかもしれない長男の寝顔を見ながら祈るしかできない。
どうか人の優しさに気づけますように。
どうか人に優しく出来ますように。
今ある幸せは当たり前じゃないって、どうか忘れませんように。

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