見出し画像

信号待ち

いつから、信号待ちのときに交差する道路のほうの信号を見るようになったんだろうと思った。
交差する道路の信号が黄色になり、ほんの少し待てば、やがて自分が進みたいほうの信号が青になる。こんな当たり前のことに気づいたのはいつだったんだろう。
小さい頃はずっと前を向いていた。青になったら渡ればいい。至極単純で、それ以上でもそれ以下でもない。
赤になったら渡ってはいけない。当然の話。
そう、真っ直ぐ前を向いていれば、なにも間違いなんて起きない。そりゃたまに、こちらが青だけど突っ込んでくる車もいるからそれはまた別の話として。

だけどいつからか、交差する道路の信号ばかりをチラチラと見るようになっていた。高校生の頃は、友達からのメッセージに返信はしたかなと携帯を確認をしながら、携帯をポケットにしまう時間がほしいから交差する道路の信号をチェックした。あっちが黄色になったくらいでポケットに携帯をしまうと、ちょうどよく自分が進むほうの信号が青になるからだ。

携帯をいじっていなくても、常に確認するのは交差する道路の信号。あっちの信号が黄色になったくらいでペダルに置く足に力を入れるとうまくいくのだ。よーいどんみたいな感覚。青になった瞬間に走り出せる。遅れたら誰に咎められるでもないのに、青になった瞬間に走り出すべきだと思っている。


明確に、こんなふうに真っ直ぐ前の信号だけを見つめられなくなったのはいつからだろうとわかる日はもう来ないけれど、なんとなく、裏事情を己からまさぐって上手いこと生きている、つもりなんではないかと私は思う。
私には、青になる瞬間が分かるのです。すごいでしょ。.......は、ちょっと違うんだけど、だけど、こんな気持ちと少し似ている気持ちが自分の心にはある。

大人になっていく、っていう表現の仕方はあまりにもアバウトすぎるなとは思うけれど、個人的にはこの表現がぴったりな気がした。

どんな仕組みで信号が動いているのかを知って、たまに見る歩車分離信号に苛立って、押しボタン式の信号でごめんなさいと思いながらボタンを押したりする。
ただGOサインをくれるのだと、それだけの物として信号を見つめていられなくなった。
そこには私の感情が必ず入り混じっていて、それがかなりの確率でマイナスな感情なのだ。

ああ、こんなことなら、交差する道路の信号の存在になんか、気づかないままでよかった。


東日本大震災の日、つまり三月十一日。(嫌な話題だ!と思った方はすぐに逃げてください。すみません)
小学五年生だった私は、確か通学班のメンバーを束ねて帰っていたような気がする。
私は怖かった。自分が班長として先頭にいてもいいのだろうかと怯えていたのだ。またあの大地震が来たら?私はどうすればいいのかわからずに不安でいっぱいだった。

信号待ちで、震える心を落ち着かせるために、交差する道路の信号を見ていた。じっと見つめていた。ほんのちょっぴり泣いていた。
そのとき、本当に偶然なのだけれどかなり大きな余震が来た。車が徐行なんかするくらいの。交差する道路を行き交う車たちはみんな、ゆったりと走る。止まる車もいた。それでもっと怖くなった。車という守られた存在の中にいる大人たちも怖がっているのに、私がこの年下の子たちを支えられるわけがないと思った。
また、交差する道路の信号を見た。

思えばあのときも、信号という存在は悪魔のようだった。早く家に帰りたい。年下の子たちみんな家に帰したい。そうして不安から解放されたい。
そんな気持ちでいっぱいだった私の前に、交差する道路の信号が、青い笑顔でじっと立っていた。


大人になるときってどういうときだと思う?と聞かれたとき、私は、信号待ちを少し首をひねってするようになったら。と答えるかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?