SNSのこと。【感動】mixiにログインできた!
ひたすらに独り言を呟いていた、懐かしのmixi。
ログは2005年から残ってた。
19年前の今日の私の、このすごい独り言ポエムがおもしろ!
コメントしてくれている人たち、全員あった事ない人たちなんだよ。
たまたま、最初のコメントの人は退会したユーザーだからスクショに入れてみた。(ロマンチストな男性だったんだね。当時は誰?これ?なに?怖って思ったけど)
このあとの会ったこともない知らない人(でもマイミクさん)からのコメントもなかなか面白くてね。
(当時の私は全然何にも考えてなかったけど、この文字列だけで小説かけそうなナニカが、行間にいっぱいある感じするわ)
ああ、mixiの初期って、こういう平和な場所だったよなぁと改めて感じた。
画面が昔のままなのも、emotional。
(ここから下は私の自己紹介的な散文です)
私は、win98が発売されてからずっとインターネットの海で遊んできていて。最初はジオシティーズで自分のページをつくって、好きなこと(当時は何よりサッカー観戦)を書きまくった。そして、そこでお友達になった人たちとテレホーダイで夜な夜なチャットしたり、オフで会ったりもしたりして。けっこう牧歌的で友好的な環境の中で楽しんできた。
インターネットがなかったら、知り合うこともなかった人たちと、一緒にサッカー観戦旅行に行ったりもした。画面に表示される文字の向こうにいる「ひと」と、実際あう「ひと」と、イメージが違う人もいたけど、仲良くなる人たちは大体、画面から感じる印象と齟齬がない人たちだった。
ごく初期のweb上は、素人ホームページがいっぱいで勝手に音が出るとか、色々と支離滅裂で、もうどこまでもカオスだったけど、趣味でつながる友達はたくさんできて楽しかった。作っていた自分のページのファンとかもできて、そのトピックでは私と友達が2トップでもあった。試合観戦記とか、練習見学記とか、写真もスキャンして載せて、楽しかった。フランスW杯の観戦旅行記は大作で、あれも残しておけばよかったな、と思う。
ジオシティーズの後、Galaxy?Gaiax?とかいうのがあって、そこで日記書いたりした記憶がある。Galaxy?Gaiax?に書いたのはほんとにほんとに誰にもいえない、心の声ばっかりだった気がする。チャットも全く知らない人が話しかけてくるような感じだった(夜中の悩み相談展開とか)。今となっては、サイト名もわかんないし、見れないのが残念。2001年、父が亡くなる前夜眠れなかった私はGalaxy?Gaiax?に父への手紙を書いた。あの時、あの場所に書いたら父に届くような気がしたんだ。
会員制SNSとして最初にmixiが登場し、私が参加した頃はmixi登録人口30万人くらいの頃で、知らない人の書くお話がみんな面白くて、ひっそりこっそりfanになって読ませてもらっていたことも思い出す。純粋に書くことを楽しむ人が多かった。だから、安心して書くことができた。
mixiを使っていた頃は、新しい人間関係は仕事以外で見つけたい頃だったから、オフ会とかも行ってみたりしてたな。そこで会った人とお友達になり、グループで遊んだりしていって、彼氏ができたりもした。
日常の中で、自分が頭の中だけで思っていることを書き出す場所として、mixiは安心の場所だった。でも、知ってる人が増えていくうちに、段々と思っている全部は書かなくなって、twitterに鍵かけてぶつぶつ呟くようになる。
鍵かけてつぶやくのは、相手をしてくれる人がいないから、とにかく不調連絡が書き連ねられていってた。頭が痛い、体が重い、、、あれがいや、これが困る・・・・人が健全な状態でいるために、話し相手は必要なんだと思う。
2005年頃の、mixiの、あのゆるーいつながりで、コメントつけてくれていた人たち、すごい有難い存在だったなぁ。みんな幸せでいてね!
SNSは、今日までいろんなのを使っているけど、短文、短尺、まず結論(タイパ)みたいなものが増えすぎて、コピペもすごいし、読むのにはちょっと…な感じが続いてたけど、ノイジーな感じがようやく落ち着く時期なのかな。最近は、ほんとうの声がキラリとするような感覚がある。
noteは基本が長文を書く仕様だからか、全体的に落ち着きがあって好き。
行間までも読んでいくテキスト文化もまだ健在で、楽しい。
今日で、100日チャレンジ13日目。
だんだん、思っていることをリラックスして好きに書くことができるようになってきた感じ!100日達成する頃には、もっと発信!ができるようになっている予定です。マネタイズだって挑戦していく所存。
発信したいことは、「自分の人生をクリエイトするために、自分の存在に自分が光をあてること」
いろんな手法があるけど、何より、自分が自分の存在をどう扱っているかが重要で、ここを外したらどれも空虚になるから!
「なぜ生まれたのか」「なぜ生きているのか」なんて考えちゃうのは、周りにあわせすぎて苦しくなっているのを自分が気づけないくらいに疲弊しちゃっているからなんだと実感している。(自分を疲弊させる「思考」から抜け出さないのは、前提を自分で固定しちゃってるからなんだけど、ね)
(一年前の私は、誰にも会いたくなかったし、生きる意味なんて見出せなかった。そんな状態から、人は元気になるんだなと実体験を通して感じている)
話が色々散ってますが、mixiに繋がれたのが嬉しくて書き始めた本日の投稿。最後までお付き合いいただきありがとうございました。