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今日はスタエフのコラボ収録をしようとなっちゃんとお話ししたんだ。
収録はしなかったから、音源残ってないんだけど、いい話だった。
天音らんちゃんのところで出会ったなっちゃんとは、チューニング的な話を延々していて、エネルギーを言葉に落とすときの、細かなチューニングを言葉を介してしている感じ。これがね、気持ちいいのです。

真っ直ぐなエネルギーを掛け合わせる感じ。
感じているものを言葉にしていくのって本当に難しい。
自分で声に出してみて、「なんか違う」みたいになることのが多いんだけど、それでも、なっちゃんは聞き取ってくれてなっちゃんの音を返してくれる。
そうすると、構造が見えてくる感じなのよ←
仕組みや構造を知りたい私にはほんとありがたい時間です。

交流っていうのはチューニングなんだと思う。
目にするもの、出会うもの、全部がチューニング。

収録しなかったいい話の中で「先天的・後天的」って言葉を私使ったんだけど、収録終わってから、「どっちも【天】じゃん!」ってとこに自分で感動した。

要するに、天まで入って「私」なんだ!

「天」が入っているということは、空間も含めて「私」になると思った。
環境も含めて「私」になるってこと!
(この説明で通じるといいけど、文字にしてみるとなんのこっちゃ感があるセンテンスと思う、私もw)

空間ごと、全部私っていう感じなんだけど。何言ってるかわかんないよね…
説明できてないけど、この感覚が「影響する側」っていうことに繋がる感じがするの。

近年の私は特に、「わからない」を「わかった!」にするために、「納得」したいとこが強くて、「そういうもんなんです!」ていう前提を入れるのに時間がかかる。おかげで言語化が遅い。
でも、ここを言語化したい欲求は強い。

無意識で生きるか、意識的に生きるか。

月が、太陽とほぼ同じ大きさで空にあることに、疑問を持たないで生きていられた頃が私にもあったのに。月と地球の距離、地球と太陽の距離、地軸の傾きが四季を創るとか、そんな偶然の絶妙なバランスってどういうこと?!って思っちゃったら、そこに想像を超える何かの存在を感じるようになった。大いなる何か、は確実にある。そうじゃないとこのバランスの奇跡が説明できない。

手足の血管を見ていると、毛細血管とか、そのデザインの凄さに震える。静脈認証ができるくらいに、個人個人違うんだよ。でも、混線することなく、身体中を張り巡らせている、この精密さに、設計図がないわけないし(DNAとか自動生成する?解明できている文明もないのに・・・)、じゃあ、それを設計したのは誰?

せっかく生きているなら、そこを意識して生きたいんだ。
それが、どうやら、愛の世界で生きることになるみたいなんだけど。
調和の世界、循環の世界。そのエネルギーの世界で楽しみたい。

次元のはなし

この世界は「三次元」って言っているけど、三次元を認識できるということは、その上の次元に意識があるってこと。次元て、上から下の次元は見えるけど、下の次元から上が見えない。ということは、意識は三次元じゃないのよね。その自覚が、入ると見える世界が変わるんだと思う。

今日のまとめ(というか反省?

ノープランで思いつくままに書いたら、こんなことになった、という本稿。
書き表したいことは、この世ってすごくて、生きてる私たちってすごくて、夢は現実化してもいいんだ!っていうとこに繋がる話。そこを「当たり前」にしていきたい。
私が「望む未来」を描けなかったのは、自分を責める声に埋め尽くされていたからだって思うから、夢を叶える領域に繋がるために、もっとずっと軽くしたい。

鳥山明さんが「思いついただけで、作品ができあがってたらいいのに」というようなことを言ったって聞いたけど、その魔法、ほんと欲しい!

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