批判
ある時、2007年、踊り団体をやめた。ある事がきっかけになって。
ある女性が働く島に行こうと言う話がメーリングリストに流れた。それに応募したら断わられた。
NGにされた。それは当然のことで、幾分かのトラブルと、メールのやり方でで頼りすぎてそうなって拒絶された。
それでやめた。やめた後は大変だった。精神的に。
この女性の性格は純粋な人らしいと聞いたが、無関心な人で、人の意見を聞いて関心ないものに関心のあるふりをする人だった。そのことにきずくには時間がかかった。この女性はけなげに、所属していた踊り団体に貢献していた。自分の立場は悪かった。
気にしていたのもあった。
しかしやめたことで、同調的な団体の自己陶酔性からは距離をとることができた。あの団体の異様な熱狂性には、客観的な疑問を持つことは難しい。楽しむことを求められていた。その楽しむの中に自己陶酔性があった。
その当時持っていた人間関係も、この大遺体の要素に依存しすぎていた。
沖縄は小さい、狭い。同じ顔の人間と出くわすことが多い。仕事はバイトを転々としてた。
段々と自己陶酔の空気から正気になった。
だが、ここにいた後遺症は大きかった。個性の尊重の建前あっても、人間関係で、自由にものを言えることは乏しく、些細なことを書いたり、言ったら、電話を向こうのリーダーがかけてきて、言動の取り消しや、メーリングリストでの発言が趣旨とずれているから謝罪しろと言われたりした。おそらく誰かが苦情を出したのだろう。
段々、個性の尊重など無くなる。というより、最初から乏しかった。同僚に相談して、不満も言った。しかし、この人物もリーダーのカリスマ性に自己陶酔しやすいためか、意志のずれがあった。他には言葉のずれで、自己満足にされ、役に立たない目の前で言われたり、抽象的な物言いがわからないとも言われてた。踊りを楽しむ陰で、この封殺が続くと精神的におかしくなってた。誰かにも頼りたくなり、失敗した。
あの当時、2005年頃、団体で踊る過程で「一人でない、みんないる」という風潮があった。大学時代の人間関係のトラウマの整理のために、論文もどきを書いてた。大変だったし、素人が哲学チックに書いてて、今思うと、エッセイだった。人間関係の中での人間の在り方。人間の経験から経験の体形を組み立てて秩序付けていく事を知恵とした。他人にも意見を聞きたかったが、無理に等しかった。
これを書けば人生変わると思い込んでもいた。それは幻想だった。
同時に共同幻想が沖縄の中にあった。仲間は大事だと言う人の幻想や、何かあったら相談してと言う社交辞令。又は人を哀れむ女もいた。
この幻想は、ないに等しい。創価学会の人と基本的に変わらない。合われそうに見える人に働きかけるのみで逆に頼ろうとすると、手のひらを返される。仲間という幻想でそれが作られるが、建前に等しい。
沖縄では共同体の幻想があり、仲間意識の挑発ゲームがある。そして自分たちの家族の幸せをアピールして哀れんでくる人もいた。沖縄の人にはこれが当たり前の事なんだろうと思う。違和感はないらしいから。
そういう経験の上に批判意識が出てくる。踊り団体への分析と批判。
些細なところから始まった。