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仲間探せの連呼

仲間探せと言われて、今に至っていない。
その一方で、仲間意識を声高に言ってくる。

元々、仲間を持つのでなく、持たされた側の人間だ。
時に仲間と思っていないのに「仲間だろ?」と言ってくるのもいた。
しきりという人が多かった。

自分の知っている仲間とは、仲間意識によって、他人に服従を求めるタイプのものが多かった。仲間になった合わせる事で、付き合わさせる傾向になる。すべては良かったわけでないが、断りにくい。

断れば因縁つけられていく。ひどい時には激怒されて、怒鳴られる始末だった。枠から離れると、裏切り行為にもみなされるのだろう。仲間にした存在が、そのグループのボス、その他にとっては所有物に等しかったのだろう。
又はグループからやめたそうな態度とみられると遠回しに、言ってくる。「俺らから離れていく奴らがいるけど、そいつら不幸になった」という謎の脅しをしてくる。沖縄で学生していた時の話。

きっと、自分の縄張りから人がいなくなることへの恐怖に対する裏返しなのだろう。仲間とはこの人にとっては数の力に等しかったと思う。

縄張りがある。

仲間意識は良くも悪くも服従性をソフトに言ってくる。言っていては同調させる。それは発言や力の強い傾向に比例する。拮抗する間柄では反発しあって、中和される。そこには拮抗できる力がないと、バランスが取れない。取れないと人間関係が成り立たなくなる。

バランス取れないと、言い出し事も中断できなくなるし、押し付けられても、反動で他の人間にも行く。「口は災いの元」であるが、沖縄では人に強く主張しまくる人が多かった。その反面おとなしすぎる人がいて拮抗してた。主張の強い人が表で歩く感じだった。知識に横柄なのもこのグループに多いのかもしれない。

強弱のバランスがなく、一方的な人間関係だと成り立たなくなっていく。加害者扱いされることがある。仲間という意識を作らなければ、人に押し付ける意識も芽生えないのかもしれない。

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