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沖縄のよさこい踊り 暖簾分けの団体1

昔、#沖縄ほにや にいたが、よさこいソーランの自己陶酔さと似かよってると聞いた。

沖縄ほにやは、 #ほにや を賛美して、ほにやのよさこい踊りに自己陶酔して、賛美する所は。のれん分けされてたが。ほにやマンセーな雰囲気は当時いたから、記憶に残ってる。

ここで、より強くよさこい踊りによる共感幻想の影響を受けた。共感幻想を言う一方で、縄張り意識とよさこい踊りを行うビジネスライクな特徴が混じってた。

よさこいソーランも、調べていくとマイルドヤンキーさと、自己陶酔さがある話が出てくる。ツイッター見ていると、沖縄ほにやの自己陶酔性と同じものが出てく。沖縄ほにやの何人かのメンバーは、よさこいソーランをして、札幌のよさこいソーラン祭りに参加してた。当時はわからなかったが、両者は違うように見えて似てたのかもしれない。

よさこいソーランは誰かが日本人論で中空構造の話をするときの事例で紹介されてた。全体の7割はハマり、残りははまらない話だった。

沖縄ほにやもほにやの毎年のよさこい踊りの変化に影響されてたので、ほにやの毎年のよさこい踊りの変化を中空構造の変化とすると、沖縄ほにやはその変化により常にほにやを賛美する。作られるよさこい踊りやほにやに自己陶酔していくことになる。

その変化によってしか成り立たない。変化について行かないと、存在意義は失われやすいのだろう。

もう解散したそうだ。ほにやの変化に左右され、対応できなかったのだろう。

副ボスに会話のズレで抑え込まれて、コミュニケーションでのやり取りで、話が合うかと言う初歩的な所で、神経質になった記憶しか私にはない。

リーダーは話のズレがあっても、咎められることは少かった。楽しめない人間には排他的なのだろう。楽しもう、個性の尊重だの言ってたが、それはよさこい踊りや、賛美するほにやの価値観や個性を尊重しようと言う主語が、これらの言葉に隠れているのを気づかなかったのだろう。この裏の言葉を読み取って、あの人たちは陶酔と賛美をしてたのだろう。素晴らしい価値観だ。



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