まとめ

まとめ
 以上のことをまとめてゆく。対称的な関係は、互いに対応しあう同時性の軸によって成立している。この関係は時間的な継起が消滅され、時間と空間が結びつく中で動いてゆく。関わりの境目によって環境が作られてゆくのは、混合的な形として作られることにあり、環境の中で事実が生成されてゆく事により相互的に影響を与えてゆく。「器用な仕事」であるbricolageは、事実を経験した事に対し、周囲にある具体的な事物を用いて組み立ててゆくが、二項論理の混ざり合う境目で形を創り、形像されたものである。ひとつの習慣であり、形を作ることで二項論理は混ざり合い混合的な物であり、対称性に基づくために、同一性と混ざり合う事で矛盾している。
器用な仕事は、周囲にある具体的な物を集めてゆく事で、構造化されてゆく。構造化を促すのは形を生成する「形なき一」であり、つなげる事によって形となり同時に変化してゆく。変化されてゆくのは、構造化されている事実が還元されていく事で変化してゆく。促す形は習慣であり形は生命を持っている。生命は形であり形に対し、形として外に形を作り、物に形を与えることによって自己に形を与えてゆく。形は、形同士が連関しあうことによって、互いに影響しあっていることにある。円環に内在する年輪は事実を還元することによって得られる。還元されてゆく意識は形であり、二項論理である理性であるロゴスと感情であるパトスを混合し総合したものであり、両者をつなげている「形なき一」によって還元され、論理的にも感情的にも関連づけることによって対称性の論理は形であることが示され、確信されたことにより年輪が形成されることによって内在性は対称的に保たれる。保たれるのは、「内にある」対称性である。文化の根底である伝統が内蔵されて内在することによって還元されてゆくことにより、超越するものである。
しかし、年輪は構造的であるが、「過去―現在―未来」に対しての時間的な継起がなく伝統的なものである。伝統とは、事実に対する行為の中で起こり留まったもので歴史的な事実を還元した確信である。伝統とは、過去のものを現在化し、現在化したものを未来へとつなぐことによって結んでゆく。同時に歴史的なものであり、自由なものであるが、過去の必然性によって限定されている現在は過去の必然性によって未来を決定してゆく。「内にある」対称性の年輪は事実に含まれている憶測、偏見を防ぐ確信であるが、バイロジックが対称、非対称に動くために形が収縮し、膨張することにより年輪が連続して還元されてゆくので、大きな年輪は小さい年輪を、大きな年輪は小さな年輪を形成し密度を厚くしてゆく。
このようなことが考察したことだが、神話の思考はこうした原理によって生成ざれるし、変化してゆく。自然認識が一般化され、二項論理が対称化されてゆく。二項論理は対立、極、相関、相似、相違の関係にあり、理性であるロゴスと感情であるパトスを対称的に結び、混ざり合う対称性の論理によって思考したものである。円は異なるもの同士を同一化することによって創る同時性の軸であり一つの円をなして循環している。円環が季節、「太陽―月」等の丸いものが循環してゆく象徴であり、一年の周期に従うことにより過ぎ去った時間を新たに始めてゆくことで、再生させてゆく。円環を一つの思考とするならば、時間的な継起が消滅した時間の中で循環してゆく季節の中で、習慣が繰り返されてゆく。
関係の中において経験は事実において積み重ねられている。主体と環境との関係は自己を形成するものであり、形を作る。形は混合的に混ざっているもので、形に内在されている年輪が変化してゆく事によって、形である環境に対して関係している物は変わってゆく。習慣が形となり、生命とみなされるのは主体と環境との関係の中であり、二項論理として定式化されている。二項論理は、同時性の軸によって対称的につながっており、混合的な形を形成しているのは二項の対立、極、相関、相違、相似の関係性にあり、理性であるロゴス、感情であるパトスが根底としてあり、成り立っている。この対称性の論理の形によって構想される事によって、関係性が創られると同時に創ってゆく。
主体は環境を限定し、環境は主体を限定してゆく。この相互的な関係の中で環境が作られてゆく。対称性による関係によって、円環が形成されて、関わる軸が創られる。インディアンの人と山羊が夫婦となる神話にあるように、関係が形として、円環が創られてくるのならば、形によって一つの周期によって同一のつながりを持ってゆく。関係が円環となり循環し、一つの木になるならば、収縮と膨張を繰り返す中で年輪は形成されてゆく。循環するのは、過ぎた時間と空間の再生であり、人と山羊の関わりにおいて述べれば、人が山羊、山羊が人になることで関わりあう環境を創ってゆくが、同時性の軸によって円を描いていく事で人と山羊は部分と部分が同一化されて円を作り循環してゆく。互いに共有してゆく事で形となるが、共有しあう約束について主体は環境に限定されてゆく事で共有する経験を還元し、主体によって形を創る。互いにつながることで、共有しあう約束を確認しあってゆく。この行為によって約束した事実は還元され、確信してゆく知恵の年輪が創られてゆく。円は一つの環であるが、環と環とが関わりあう境目によって混ざる円環が形であり、互いの間によって伝統が築かれてゆく事で、年輪が形成されてゆく。
以下のように、関わりは同一的である対称性に基づいてゆく。基づくことに個人の経験が還元されたことで形を創ることによって、形は形を呼ぶことで伝統が生じるが、過去に経験した伝統によって現在に伝統が生じると同時に関係性が築かれてゆく。「環境とは何か?」と問うと、環と環の境目によって築かれてゆく関係であり、環境は関境である。関境である環と環との境目によって関わってゆくのは人間同士もあるがそれだけではない。人と自然、人と社会との関係にもなり、それらは異なりあうもの同士の間にあり、対称性に基づく関係によって基づいてゆくものである。伝統は、過去のものを現在に伝える行為によって生かされるもので対称性に基づく円環の中で流れている。同時に内在するもので、形が変化してゆくことで新しくなってゆく。
対称性に基づいてゆく関係は、神話的な思考に基づく。神話は、動植物、社会関係等の具体的な事物を用いることで語られるものであり、ひとつの目的に基づいている。それは、空間、時間の中に拡がって散逸し、おおもとのつながりを失っているように見えるものに対して失われたつながりを回復することにあり、互いの関わりあうバランスが欠く時に対称的なつながりを求めようとする。現実では両立が不可能になるものに対し、共生しようとする可能性を論理的に探ろうとする。しかし、一方的な非対称によって感覚性が無痛化されてゆくのならば、「快適さ」を維持したままに快を求めて苦しみを避ける。そして物をどんどん取り入れてゆくことで、他者とぶつかっても、変化することなく拡張してゆく事で促されてゆくことで対称的な関係は抑圧されていく。
現象に対し、対称的な関係によってつながりあう円環は抑圧されてゆくだろう。しかし円環は、内在化されてゆく事実を還元してゆく事によって、確信してゆく年輪を形成してゆく行為によって知恵を創り、経験していく事実を扱う要がある。二項操作によって事実を扱ってゆくのは「器用な仕事」にあるが事実的な経験によって形成されていった年輪の円を用いてゆく事で事実を循環させてゆくことで、関係を思考してゆく。連続的な時間の中で経験する事実が還元されてゆく事で年輪が形成されて事実的な二項論理を用いて、関係性を制作してゆく。関係性を表現してゆく事によって関係を形成してゆく。
対称的なつながり通して関係について述べた。人間は思考の形によって、関わりが作られてくる。考えてゆく思考の原理は、円のように循環するし、直線的に伸びることもあり対称的で、非対称に動いてゆく。
 自分に対し、理解できないことを昔の人たちは、具体的に動物や植物、社会的関係を用いることにより神話を作り物事を考えてきた。そのことにより、自然に生きる動植物に対して密接な親しみと、畏敬の念を持って接してきたのだろう。
「環境問題」とは言われているが環と環の関わる境目の問題である。環と環の境目に対して、私たちは思考の形である円環の年輪を用いることで境目の関わりの中で、経験した事実を確信に変えてゆくことで対称的なつながりを見直してゆく。人間関係においても必要だが、人間以外の動植物との対称的な関係を見直してゆく必要があるのではないだろうか。



引用・参考文献

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