母親から観る自己形成と自分の役割

前回こちらにて投稿させていただいた「父親から観る自己形成と自分の役割」の実質続編となるものを書きたくなったので、こちらにて寄稿する。

母親からの入電

本日、母親から電話があった。年末年始は予定通り休みであることと、帰省する予定を連携する。免許の更新が視力検査NGでうまくいかないなど他愛もない話をする。てか、こないだ視力改善に効果があり前にも試して結果でたサプリ紹介したやん。何で飲まんのやろ。って思う。あと、移住に際しいろいろと力になってくれた叔父(母の弟)の話をする。例によってマウント取るような態度。実弟をアイツ呼ばわりとは。いつもの事なので怒る気にもならず適当にあしらう。そのような話で、30分ぐらい話して電話を切った。

オトコに対するトラウマ

母親の生い立ちを辿ると、何となくそうなることは解る氣がする。生まれたほぼ直後に生みの母(つまり母方の祖母にあたる)は死亡。なのでウチの母親は生みの母親の顔を知らない。残りの父親の方は絵に描いたようなDV親父。酒を飲んではウチの母に暴力を振るっていたそう。そのDV親父も母親が7歳の時に死亡。母親曰く、葬式の時に涙も出なかったと。壮絶なDV体験を経て来ていたことが、これだけでも解る。
其の後は祖母のところに預けられ、ここでもジェネレーションギャップから当たり前の事をさせてもらえない状態はつづく。そして祖母が亡くなったあとは親戚に預けられたのだが、そこでも虐めを受けたようだ。

そしてDVは連鎖していくようだ

そんな母親の馴れ初め、というレベルのものは無かったようで。ウチの父親とはお見合い結婚だそう。まあそうだと思う。DV親父からの刷り込みが強烈ゆえ、男性に対するトラウマも相当だっただろう。もとより好きなタイプというのが、実直な男ではなく、ちょい悪の方というのだから、恋愛結婚は無理だったと思うし、したとしても失敗していたと思う。親の虐待がイコール親の権威と刷り込まれているのだから、その影響は子供にも行くが、旦那の方に行くこともあると思う。この刷り込みについてはアドラー心理学で解説されているが、まさにそれで毒親と化した母親からバンバン言われて大変な目に遭った。
モノを紛失するというレッテル貼られて鍵すら持たせてもらえず、ウチに帰っても中に入れない。何か壊せば私のせいにされる。小学生の頃からずっと世の中を悲観的に見てこちらに文句を言ってくる。正直口喧嘩することも一時期はあった。

社会人になっても続くマウント

社会人になってもこのような形でいちいちマウント取ってくるので、こちらも心理学や哲学、情報サイトなどを見て色々と研究し、何とかして意識の奴隷から解放されようと努力を始める。自分の息子が、自分を凌駕していると氣付き初めても、相変わらず親の威厳を濫用したりなんなりで口撃してきたり、時には話を大袈裟にして支配しようともしたので、徹頭徹尾崩さない柱を自分に立てて、帰省は最小限にするかたちで、母親の影響を受けないようにしてきた(今も継続中)。
そういう努力が実ったのか、継続はしていても、NPO法人の理事となったり、いろんな人脈が構築できたりして、母親も舌を巻くほどまでになっていた。と同時に、いつの間にか彼女というものをつくらずにここまで来てしまった。

毒親の心理の根幹にあるものは”寂しさ”

そういうやり取りしている中で、ウチの母親の本質に氣付き始めるようになった。それは、
『この人、寂しいんだな。』
まともな両親の愛を経験せず、それでも温厚で器の大きい父と出会って生活していても、愛情不足ゆえに満たされないものがあるんだろうなっということがだんだんと解ってきた氣がした。
そういう寂しさを人をディスったりマウント取ったりでしか満たされなかったのだろうなということが、ある時期から解るようになった。

そういえば、生まれてこの方彼女を作ったことが無いのだが、世の女性を母親と同じく怖い存在と観ていたから、その怖い存在から逃げようとしていたから、だからいままで彼女作らずに来たのだな、っということにも最近氣付いてきた。
そして、自分が恋心を抱く女性の傾向として、
・もともとのポテンシャルが高く強い女性。
・強いゆえに攻撃されたり責められたりしてきた女性。
があるが、ある意味母親に似たところがある。

またさらに、ドラマなどフィクションであっても女性を力で支配したり抑え込んだり、傷つけるシーンがあると義憤心が湧いてくるのだが、これもそういう母親の苦悩や葛藤を傍で観つつも、なにも出来なかったことに対する思いなのだということにも氣付き始めた。

母親に似た女性に好意を抱きつつも、支配される恐怖で恋人同士になれず、目を向けずに逃げ続けてきた結果が今なのだという事にも氣付き始めた。

今年も間もなく終わろうとしているが、人が生まれてから持たされた使命があるとするならば、傷ついた女性を精神的に癒すというのが自分の使命であり、そのことがようやく見えてきた氣がする。恐怖で果たすべき使命から逃げ続け、その矛盾に葛藤する自分はもう今年で棄てよう。
これで、「自分が果たすべき役割」の第一歩が踏み出せましたな(了)。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?