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大好きな絵との出会いと印象派について思ったことを振り返ってみる。

私には本当に大好きな絵があります。
それはジャン=レオン・ジェロームの「蛇使い」という絵なのですが、この作品に出会ったことで私は大学で美術史を専攻しようと決めましたし、この絵をもっとたくさんの人に知って欲しい、広めたいといつも思っています。

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ジャン=レオン・ジェローム《蛇使い》1879年 クラーク美術館蔵

ただ、この絵に出会ったとき、この作品に強く惹かれたと同時に、違和感や疑問に思うことがあったなと、ふと思い出したのでそのことを振り返ってみます。

出会いと強い違和感

私がこの絵と出会ったのは2013年の「奇跡のクラーク・コレクション ―ルノワールとフランス絵画の傑作―」展です。

元々この展覧会には、印象派の作品をみる目的で足を運びました。
私が通っていた大学の美術史の教授は、19~20世紀のフランス美術が専門で、授業でも印象派の絵画について学ぶことが多く、この展覧会は必見だなと当然思ってました。

もちろんこの展覧会で来日していた印象派の作品群は本当に充実しており、素晴らしいものでしたが、それ以上に圧倒的に私が惹かれたのは小さな展示室に飾られていた数点のアカデミスム絵画でした。

ジャン=レオン・ジェロームの「蛇使い」をはじめ、同じくジェロームの「奴隷市場」、アルフレッド・ステヴァンスの「公爵夫人(青いドレス)」、ウィリアム=アドルフ・ブグロー の「座る裸婦」などなど、、、圧倒的な技量を感じさせる作品の数々に私はとても惹かれ、その小さな展示室のなかをしばらくの間ぐるぐる回ってました。

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ウィリアム=アドルフ・ブグロー《座る裸婦》1884年 クラーク美術館蔵

その中でも私が特に「蛇使い」に魅了された理由は長くなるので一旦割愛するとして、このときに私が感じたのは強い違和感です。

このアカデミズム絵画たちは、本当に素晴らしい絵画である一方で、この美術展では圧倒的に脇役でした。
(もちろん数多くのルノワールの作品が来ていたのでそちらがメインになるのは当然かとは思いますが、あまりにも脇役感が強かった。。)

また、当時の私の知識不足な側面はあるものの、私はこのジェロームという芸術家についてこのときに初めて知りましたし、美術史の基礎論を一通り履修していたはずなのに、展示されていた他のアカデミズム絵画についてもあまり知識がありませんでした。

さらに、観賞後すぐにアカデミズム絵画やジェロームについて調べてみると、出てくるワードは「旧体制の重鎮」「印象派を批判したことで有名」「印象派の敵」というような、印象派との対比の話ばかり。。

あれほど美しく、またとても興味深い絵が、印象派との比較や敵対関係でどうとかいう文脈でしか認知されていないことが本当に違和感でしたし、その文脈とは全く関係のない軸でこのジェロームの作品をしっかり学んで分析したいと強く思い美術史を専攻しました。

そういう意味で私の人生において本当に意味を持っている大好きな作品です。

世の中における印象派の立ち位置への違和感。

印象派は日本もちろん、世界中でとても人気のあるテーマだと思います。
マネやモネ、ルノワールをはじめとして日本でも知名度の高い画家も多く、展覧会が開かれればテレビCMや交通広告で大きく告知され、動員数も毎回安定して多い印象です。

明るい色彩で描かれている作品が多いこともあり、気軽にこの作品が好き、あの作風が好きという話をしている人が多いのは、以前私が記事で書いたエンタメとして気軽に美術を楽しむ、という観点だととても素敵な光景だなと思っています。

一方で気になるのは、印象派は新しく革新的な美術の潮流でとても良いものだ、という漠然とした印象の一人歩きです。

もちろんその事実は間違ってはおらず、なかなか旧来のサロンを基本とした美術シーンに受け入れられなかったということから考えても革新的な動きとも言えると思いますが、それはそういう動きだったね、というニュアンスで語られるべきであり、それを基準とした良し悪しの判断とは別物だと思ってます。

先ほどのジェロームの話につながりますが、特に、今の日本で近代西洋美術を学ぶと、時代的に印象派の前なのか後なのか、印象派とどういう関係だったのかみたいな語られ方が多いので、印象派が正、というふわっとした認識がじわじわと広がってしまう危険性を孕んでいるのかなと思ったりしてます。

また、印象派自体もその後の様々な芸術家から、印象派以前の作品の描き方(例えば女性を性的なものとして消費するような描き方をしている、など)を踏襲していると指摘されていることも考えると、良し悪しではなく、美術が多様性を生み出し、それを受け入れていくという大きな歴史の流れの一つ、くらいの認識がちょうどいいのかなと個人的には思ってます。

美術は多様性をそのまま受け止めるくらいが楽しいと思う。

ここまで書いてきてなんですが、私は印象派が大好きな人たちが嫌いなわけではないです(笑)

むしろ印象派の芸術家たちが描く色彩豊かな絵も、これまで描かれてこなかったモチーフを描いた絵も、私は大好きですし、誰かが何かを好きと思う気持ちはとても尊いなと思ってます。

ただ、一方で特定の潮流を正とするような見方を助長させかねない語り方が広がっていってしまうのは、個人的な経験からも正直あまり好ましくないなと思ってます。

また、そもそも芸術は好きか好きじゃないかがあるだけで、良し悪しの判断はいらないと思うので、そういう考えもある、ああいう描き方もある、というような感覚でアートを楽しむ人が増えるといいなという気持ちで、ここまで長々と書いてみました。

気付いたら、私の大好きな「蛇使い」についてほとんど語ってないので、またいつか記事を書けたらいいなと思います(笑)

ここまでお付き合いいただきありがとうございました!

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