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偽りの言葉も、その人の意思と捉えられるのでご用心を。

一言でいうと

見たものが全て

活用シーン

人間関係

内容

エドワード・ジョーンズとヴィクター・ハリスの実験(1967年)

フィデル・カストロ(キューバ革命の中心にいた人物で当時の米国人には非常に不人気だった)に関する短いエッセイを被験者である大学生たちに読んでもらった。

一つ目は、カストロとその政策を擁護するエッセイ
二つ目は、カストロを延々非難する文章

そしてそれぞれのグループを半数ずつに分けで、
A:エッセイは匿名の大学生が自由意志で書いたものと説明
B:エッセイは教官がカストロ賛否のどちらかを指定して学生に書かせたもの
と説明された。

そこで被験者たちには、「筆者の本当の考え方(つまり筆者が個人的にどのくらいカストロを好きか)を、0から100の間で(0はカストロに対する深い憎悪、100は深い愛着)推測するよう指示した。

本来、Bは筆者の意志は反映されていないことが、被験者にはわかっています。しかし、被験者はカストロ寄りのエッセイに44点をつけ、反カストロのエッセイに23点をつけました。つまり、カストロ寄りのエッセイを強制的にかかされた筆者はカストロを好きとおもわれ、カストロ批判のエッセイを強制的にかかされた筆者は、カストロ嫌いと受け取られた。

自由意志で書いたと言われパターンのAは、カストロ寄りが60点で反カストロが20点以下。

つまり、自由意志で書いたと言われたエッセイも、
立場を強制されてかかされたと言われたエッセイも、
同じように、筆者はカストロへの個人的な思いをエッセイに込めたと受け取られている、という事です。
強制されようがされまいが、書かれたものが被験者(読み手)にとってはすべて、と言ってもいいかもしれません。

だれもわかってくれない: 傷つかないための心理学
ハイディ・グラント・ハルヴァーソン (著)


これはけっこう恐ろしい話で、たとえば、やむを得ず会社や友達との約束を破ることになってしまったとします。理由はしっかり伝えていたとしましょう。しかしそれでも、最後に印象として残っているのはやはり、「約束を破られた」という思いなのかもしれません。

どうしようもない理由だった、と頭では理解できるけど、今ここにその人がいないことを思い出すと、腹立たしく感じられてしまう。あるいは、そもそも彼・彼女は来ないつもりだったと感じられてしまう。

だから、約束というのはとても繊細なものかもしれません。

ところで、関西では「行けたら行く」という便利な言葉があります。
言葉そのものは普通に、「都合がつけば行く」という事ですから、そこには行きたいという思いがそれなりにこもっているけど、都合があっていけないかもしれない、というニュアンスが込められています。

そして面白いことに、この言葉にはたいてい「たぶん来ない」という暗黙の了解がある事が多いのです。だから「行けたら行く」と言われた側は、「来るかもしれない」という期待を手放すことができ、その言葉を発したほうは行くことができない(あるいは行く気がない)申し訳なさを短い文章に表すことで成り立っているのかもしれません。

なんにせよ、私達は言葉というコミュニケーションに頼っている以上、その使い方をしっかり学んでおいたほうがいいのかもしれません。


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