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2022.2.10 白菜の塩しょうがスープ、家事の未来

白菜の塩しょうがスープ。昨晩冷蔵庫がかなり寂しく、白菜と冷凍してあったひき肉、たっぷりのしょうがを使ってうちの定番スープにしました。50gものしょうがを使うレシピですが、今朝は少し残っていい感じになっていたところに、さらに針しょうがを追加。ほかほか温まります。

現代思想の別冊『家政学の思想』をつまみ読み。阿古真理さんと藤原辰史さんの対談が非常に面白かったです。

家事は大変だとみんなが言います。でも世の中の仕事で大変でないものなんてないですよね。その中でなぜ家事が疎まれるかといえば、家事の社会的な価値が低いということに起因しているのだろうと思います。ただ、それを解決する方法は、家事をむやみに軽量化することでもないし、家事を経済活動に組み込むことでもない。

藤原さんは、非常に変数の多い中から最適解を導き出す家庭科は、ひとつの領域を超えて学問全体の体系であるべきだとおっしゃっていました。
家庭科が知の体系として見られるようになれば家事の価値は上がります。もっと進化させていこうという空気も醸成されていくし、そうなってはじめて、学校の家庭科の履修時間をもっと増やそうといった議論が俎上に載るのかもしれません。

また、阿古さんの「(家事は)グレーゾーンも多く、家事代行サービスだけで賄うことは難しい。そしてそのプラスアルファこそが人間を人間たらしめている基盤だと思います。そのプラスアルファに宿るものは、言ってみれば「愛」だと思うんですよね」という発言に大きく共感。家事と愛といえば、あの大ヒットドラマ『逃げ恥』で有名になった「それは愛の搾取です」というセリフがありました。なるほど!とうなった反面、これは現代の家事の受け取められ方のねじれがよく表れている場面だなーと思ったものです。金銭的価値には置き換わらない部分があることが家事を家事たらしめている。でも、そこへの疑問も含めて真摯に考えている夫婦はその先に進めると思ったし、勇気ももらいました。

家事代行にせよ料理にせよ、それを合理化しようとした途端、その本質は失われてしまいます。とはいっても、昔ほど家事に手をかけられない現代ではうまく軽量化しなくてはならない。悩みどころです。
それでも、こうして家事の周辺をていねいに掘り起こしていけば、解決の道はかならず見える。今の家事の問題は、さまざまな要因から当事者たちにも問題の本質が見えていないことにもあるんだろうと思います。

と、ちょっと硬派な話をしてしまいましたが、読んで学びが多かったので思ったことをメモ的に記録しておきます。
今日は雪ですね。お出かけの方はどうぞお気をつけください。



読んでくださってありがとうございました。日本をスープの国にする野望を持っています。サポートがたまったらあたらしい鍋を買ってレポートしますね。