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なぜ私は料理をするのか?

7日にNサロンの1回目の講義を終えた。話している最中、みんなが割と静かな感じだったので、あれ、大丈夫だったかしら…と思っていたのだが、一日たったらレポートが続々noteに上がってきて、しかも理解の深いものばかりだったので、安心した。熱心に聞いていてくださっていたんですね。

みんなのレポートを読みながら、やはり家庭料理のアップデートというのは本当に難しいことだなと感じた。それぞれの抱える家庭の形と料理への動機や熱がほんとうに多様だから。

料理が面倒でしかたがない、でも娘と一緒に作ることが新しいモチベーションになった、という人方がいる。

経済や栄養ももちろんだけれど、少食の家族のために料理を作る人がいる。

疲れてごはんが作れないということに、心の重さを感じる人がいる。

海外で暮らし、日本の食についてあらためて考えている人もいる。

ほんとは全員紹介したい。それぐらい、各々の家の食べ方の考え方は違うし、スタイルも違う。違うのが、本当の姿だ。

だけど環境が私たちにそれを許さない部分もある。日々大量に流れてくるTwitterやインスタグラムに流れてくるきらびやかな食の写真や情報は、私たちの本当の食生活を上書きしてくる。食事とはこういうものだというイメージが無意識に刷り込まれていく。

私たちが対抗できる一つの手段は、語ることだと思う。自分の食、自分の家族とその関係。聞き手が感じとり、質問を投げかけていくことによって過去や現在、これからの未来までもが引き出される。なぜ料理をするのか、その理由が明らかになっていく。

(昔の主婦たちは、それを井戸端会議という場でやっていた)

家庭料理の新デザイン、あとの2回はなるべくみんなが自分の食の話をしてもらえるようにしたいなと考えている。その中に「なぜ私は料理をするのか?」という根本的な問いへの答えがみつかるかもしれない。みつからないかもしれない。でも、きっと何かが手に入る。

課題とも絡めつつ、ぜひ自分の食について書いてみてください。

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この記事のサムネ画像にある『生命の効率的な維持』『文化的好奇心』というワードは、新しいカテイカで、一緒にやっている阿古真理さんの『料理は女の義務ですか』(新潮新書)に書かれていたもので、読むことで自分で漠然と出していた料理の動機がうまく区分けされた。また『小林カツ代と栗原はるみ』(同)の中から主婦史を簡単に紹介させてもらった。

歴史を知り、少し引いた目線を持つことで、今の自分が見えることもある。








読んでくださってありがとうございました。日本をスープの国にする野望を持っています。サポートがたまったらあたらしい鍋を買ってレポートしますね。