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添削屋「ミサキさん」の考察|5|「『文章術のベストセラー100冊』のポイントを1冊にまとめてみた」を読んでみた⑤

|4|からつづく

第2位 伝わる文章には「型」がある

[Point]として、以下の3点が挙げられています。
1⃣ 「結論が先、説明があと」の「逆三角形型」が基本
2⃣ 説得力を高めたいときは
  「結論→理由→具体例→結論」の「PREP」法
3⃣ 論文は「序論→本論→結論」の「三段階型」で書く

「『文章術のベストセラー100冊』のポイントを1冊にまとめてみた」26ページ

このテーマに関しては、本エッセイの趣旨からそれますので、割愛させていただきますね。
ご興味のある方は、ぜひ本書を手にとってください。
ビジネス文書・記事・ブログなどの文章構成に適用できます。

第3位 文章も「見た目」が大事

[Point]として、以下の3点が挙げられています。
1⃣ 「余白」で読みやすい印象を与える
2⃣ ひらがなと漢字はバランス重視で
3⃣ 見た目を良くすると文章のリズムも良くなる

「『文章術のベストセラー100冊』のポイントを1冊にまとめてみた」40ページ

見た目とは、紙面、誌面、画面の字面(文字を並べたときの印象)のことで、100冊中36冊が「見た目を整えること」をポイントとして挙げていました。

同上

◇文章にも「ルックス」が求められる理由

ここでは、レイアウトなどまで含めて論じられているようですが、それは領域が違うことだと思いますので、「文章」のそのものの「見た目」にかかわることに限って引用してみます。

「人に『分らせる』ためには、文字の形とか音の調子とか云うことも、与って力がある」

谷崎潤一郎『文章讀本』/中央公論新社

「その文が読みやすいか、読みにくいかは、中身を読まなくても分かる。読みやすそうな本はワン・パラグラフが短く、白いスペースが多い」

スティーヴン・キング『書くことについて』/小学館

この本では一緒くたに論じられてますが、谷崎潤一郎の述べていることがこここでいう「見た目を整えること」の意味で使っているのかどうかは意見の分かれるところだと思います。

その点、スティーヴン・キングの言葉は文字通り文章の「見た目」に言及したものといえます。
しかも、スティーヴン・キングはアメリカの作家ですから、当然英語(アルファベット)での文章を念頭においています。その点、日本語の文章はかな(カナ)文字と漢字で成り立っていますので、日本語の場合には漢字の多さにもかかわってくる問題と言えるでしょう。

1⃣ 「余白」で読みやすい印象を与える

ここに関しましては、本エッセイの趣旨からは離れますので、省略させていただきます。

2⃣ ひらがなと漢字はバランス重視で

これはとても大事なところなので、私見や例文も交えて詳しく述べます。
添削をさせていただく場合にも、私自身細心の注意を払っているところです。

私の知る範囲で、なるべく漢字を使わないでひらがな表記する作家としてまず石田衣良さんが浮かびます(下の文はまだ漢字が多い方ですね)。

 黒いスーツの御堂静香は、壁の木目に溶けこんでしまったようだった。華やいだ雲に濾された月明かりのなか、その部屋に立っているのはぼくと咲良だけだ。御堂静香が教官のように命じた。
 「あなたのセックスを試してごらんなさい。わたしはここで見ている」
 声のほうに目をやった。テーブルの上には水滴で白くくるまれたグラスが浮かんでいた。ガラスの支柱には黒に壁を透かして見えない。組んだ足先だけが月の明かりに浸っていた。そこには誰もいないようなのに全身に暗闇から視線を感じる。肌のおもてにちいさな炎を近づけたようだった。御堂静香に見られている身体の右半分だけが、ちりちりと危険な熱を持っている。

『娼年』

◇ひらがなと漢字の割合は、「ひらがな8:漢字2」

物理学者の木下是雄さんは、読みやすさへの配慮として、「字面の白さ」を挙げています。
・用のないところに漢字を使わない→字面が白くなる。
・用のないところに漢字を使う→字面が黒くなる。

「字面が黒い」と難しい印象を与えてしまうため、「かたい漢語やむずかしい漢字は必要最小限しか使わないようにしてほしい」(『理科系の作文技術』/中央公論新社)と木下さんは提案しています。

「『文章術のベストセラー100冊』のポイントを1冊にまとめてみた」46ページ

引用された部分だけでも、「かたい」や「むずかしい」などひらがな表記を多用していますね。

漢字とひらがなの割合として、本書では
「漢字2、3割」
「ひらがな7、8割」

がひとつの目安とされています。

私が以前小説をプロの方に見ていただいたときに言われたことは、「意味のつうじる範囲ならなるべく漢字はひらがなにしてください」ということでした。
その理由が意外だったのでよく覚えています。
文章のリズムを損なわないために」というもの。
プロの作家は個人差はあれ、みなそうしているはずです、と。

私自身は、近代文学をかなり読んだこともあり、なるべく漢字にした方がよいと考えていました。けれども、「リズム」というところでなるほどなぁと思ったのです。

そこは、昭和中期くらいまでと現代とでは明確に変わってきているところですよね。

 が、やがて発車の笛が鳴った。私はかすかな心の寛ぎを感じながら、後の窓枠へ頭をもたせて、目の前の停車場がずるずると後ずさりを始めるのを待つともなく待ちかまえていた。ところがそれよりも先にけたたましい日和下駄の音が、改札口の方から聞え出したと思うと、間もなく車掌の何か云い罵る声と共に、私の乗っている二等室の戸ががらりと開いて、十三四の小娘が一人、慌しく中へ入って来た、と同時に一つずしりと揺れて、徐に汽車は動き出した。一本ずつ眼をくぎって行くプラットフォオムの柱、置き忘れたような運水車、それから車内の誰かに祝儀の礼を云っている赤帽――そう云うすべては、窓へ吹きつける煤煙の中に、未練がましく後へ倒れて行った。……

大正の作家・芥川龍之介の佳作「蜜柑」の一節です。

青空文庫でも確認してみましたが、漢字はほぼそのままですね。ただ漢字は旧字体でかなも旧仮名使いです。
でも案外「かすかな」「かまえていた」「くぎって」などひらがなも多いですね(原文にあたれずすみません)。
他方、「入って来た」「くぎって行く」「そう云う」などの「来た」「行く」「云う」は現代の基準ではひらがなになると思います。

|6|につづく



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